黄昏を狩る者

豆腐屋が営む惣菜屋さんを出ると夜聡は、

『月見森』を目指した。茅葺き屋根の集落を背に、浅い傾斜の山の方へ向かっていく。それはごく僅かな傾斜で、歩いてる時は気が付かなかったが、しばらく歩いてから後ろを振り向くと、山から流れる湧水が畦道を通って流れていて、斜面に沿って作られている田んぼが、棚田の様に広がっていた。

田舎の景色というのは何か心をあらわれるようで素朴で美しい。そしてなんだか懐かしい気分にさせる……。


「懐かしい……懐かしいのか?」


なんだか不思議な感覚に陥る。

行った事のない景色?

もしかして昔見た景色?

幼い頃の思い出の場所か?

それともいつか見た夢なのか?


それはデジャヴの様な感覚だった。


「デジャヴ……?」


頭のなかの記憶を巡らせながら歩くと、

まもなく森の入り口が見えてきた。

時刻は14時だ。

夏の日差しが一番きつい時間だ。

同じ京都府内だというのに、夜聡の家からこの場所に辿り着くまでに半日ほど時間を費やしてしまった。



不意に頭の中にビジョンが広がり、ある光景が思い浮かんでハッとした。


「幻夜だ……?!」


その景色は夜聡が初めて入り込んだ幻夜の景色その物だった。けれども幻夜の世界はいつでも夜だった。美しい月夜だ。けれども今は太陽の日差しがさんさんと降り注ぐ昼間だ。


そんな夏の昼間の日差しを浴びているにも関わらず、額からはヒヤリと嫌な汗が流れ、

心拍数は前触れもなくスピードをあげた。


森の入り口に立つとそこは何だか薄暗く、足を踏み入れると、太陽の光は一気に遮られ木々の間を冷たい水を含んだ風を体に感じた。



「フォーフォーフォー。」



と何かが鳴いた。


夜聡は一度立ち止まり肺の中に大きく酸素を取り入れた。耳の奥は研ぎ澄まされ、空気の振動までも聞き取る事ができる気がする。

一つ一つの音が頭の中で想像と共に具象化されていく。森のざわめき、風の音、鴉の鳴き声……それから微かに聞き覚えのある音が夜聡の耳に入ってくる。その音は聞き覚えのある……だがしかし聞いたことのない、そして激しく情熱的なピアノの音だった。


夜聡は音のする方へと進み始めた。

それと同時にやしろを探した。


もしこの森があの日に見た幻夜と同じならば、あの青銅の縁の鏡が置いてある社があるはずだ。彼は幻夜で見た、その鏡に映った自分の姿を思い出していた。


森の中は薄暗くまるで昼間の日差しを感じさせなかった。風は冷たく先ほどまでの夏の暑さを思い出せなくなるくらいだった。背中に流れた汗が冷えて少し寒いくらいだった。しばらく歩いていると朱色の物体が見えてきた。神社の鳥居だ。森の中は単色で(そういえばあまり花とかが目に入らなかった。)その朱い鳥居は何か別の世界は向かう門の様に思えた。そう思うと何か覚悟が必要な様に思えて一度その鳥居の前で立ち止まる。もう一度酸素を取り入れる。深呼吸を一つしてそれから少し瞑想に耽るように目を閉じた。

それから覚悟を決めて鳥居を抜けた。


やはりこの奥の方でピアノがなっているようだ。躍動的でそして挑戦的で、それでいて情熱的なリズムだ。


それは静かな森には不釣り合いで、

それは静かな森に生命の躍動を宿していた。

少しの間目を瞑ってその音に聞き入る。

杉の木の匂い、心地よい風、山から湧き出る清流のせせらぎ、騒めく鳥の羽ばたき、

それから耳元にかかる生暖かい吐息……。


「リベルタンゴ……。」

と夜聡の耳元で吐息の漏れる様な声で誰かが囁いた。


「え?」


夜聡はギクリとしてゆっくりと目を開いた。

女の声だった。おそるおそるその声の主を見る為にゆっくりと振り返る。


そこには若い女が立っていた。

白いスポーティーなキャップ(帽子の中央にはスポーツメーカーのロゴが入っている)をかぶり、髪の毛はおそらくショートカットだろうか?真っ白なTシャツにジーパンというラフな格好をした大学生くらいの女だ。

そして夜聡はその女を知っていた。

行きのバスで見かけたあの女だ。


彼女の顔からはあまり感情というものが感じられず、遠くの何かを見つめているようだった。白いTシャツの袖から伸びた小麦色によく焼けた褐色の腕は、細りとしているのに筋がしっかりとしていて意外と筋肉質だ。

その腕の先から伸びた指先は、そうしなければならないかの様に(おそらくこの曲を辿っているようだ)終始動き続けていた。



「君も黄昏を狩る者なのでしょ。」

と女は感情なく言った。


なんだそれは?

そもそも……、


「というか君は誰?」


「私は美音子みねこ。あなたと同じで斎王さいおうを護りし者よ。」



「さいおう?をまもる?」


なんだかちょっと前にも同じ様な体験をした気がする。突然別世界に迷い込んだように、そして聞いたこともない言葉を並べられる。

あれはたしか……そうだやっぱり初めて幻夜に辿り着いて、葉月と会話を交わした時だ。


「君の名前は?」


夜聡よざと。」



いい響きだね。では夜聡こっちへ来て。」



美音子みねこは夜聡の横を通り過ぎて、社の奥の細い道へ歩き出す。夜聡はわけもわからないまま彼女の後を追った。彼女は慣れた足取りで歩を進めていくが、夜聡にとっては森の中は木々に覆われて薄暗く知らない道で、木漏れ日の光だけが頼りだった。なんとか見失わない様に彼女の背中を追いかけるのが精一杯だった。一体どんな道を通っているのか、全く景色が目に入らなかった。時々顔に木の枝があたりながらも、その草木を掻き分け必死で追った。彼女を見失ってしまったら元来た道すらわからなくなるであろう。

もう引き返す事出来ない。そう思いながら何メートルか進んだところで前方に光がさしているの見えてきた。小さな点は徐々に光の幅を広げていって(正確には夜聡自身がその場所に近づいただけだが)やがて大きなに陽の光が満ちた場所が見えてきた。暗い木々の小さな道から見えるその光は、先の見えない長ーいトンネルを抜けた時の安堵の光にのように見えた。


光のところまで辿り着くとその場所は、思いの外に広く直径が10メートルくらいはありそうだった。その中央には大きな樹木が真っ直ぐにそびえ立っていて、空に向かって幹を伸ばしていた。そしてその樹木の下には何かが置いてあるのが見えた。それはこんな森の真ん中にあるようなものではなかったので、夜聡は目を疑った。

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世真宵人  雨月 史 @9490002

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