風流というのはこういう事なのかもしれない

渓谷沿いの山道をずっとバスで登って行くと、一際目立つ大きな建物(ホテル)が見えてきた。ここは紅葉の名所だ。紅葉を楽しみながら食事のできる建物らしい。紅葉のシーズンでなくても先程から見えている青紅葉もなかなか風流で夏の深緑を存分に堪能できる。その停留所で観光客のほとんどの人バスを降りる。そして少し歩いて、ケーブルカーに乗り換え比叡山の山頂に向かう。

比叡山の山頂には延暦寺がある。


延暦寺は比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。平成6年に世界文化遺産に登録されているらしい。奈良時代末期に、最澄さいちょうが、比叡山に登り草庵そうあん(茶室の様な小さな建物)を結んだのが始まりだそうだ。最澄が中国に留学して天台宗を開宗してからは、弘法大師こうほうたいしの開いた高野山金剛峰寺こうやさんこうごうふじと共に約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨した。


なるほど……。

と思わずスマホで調べた内容に見いる。やはり歴史は奥深い。調べれば調べる程に面白さ増して太古のロマンを感じる。そして世の中のほとんどの事はこうして、調べればすぐに情報を得られるのだ。

太古の浪漫でさえ……。


それなのに『月の都』の情報が極小しか得られないのはやはり違和感を感じる。


ふと顔をあげるとバスの中には運転手以外には、水色のリュックを背負った中年の男性と、本を読み耽る若い大学生くらいの女性(ジーパンにTシャツそれにスポーティーなキャップを被っていてどうやら観光客ではなさそうだ。)の二人しかいなかった。(二人とも他の乗客の印象が強すぎて最初から乗っていたのか、もしくはどこからか乗ったのか全く覚えていない。)他の人はみんな先程の登山口で降りたようだ。


それから10分程バスを走らせると(登山口からそこまでは途中の停留所は一つも無かった。)人工的で女性的な日本語で『次は月宮道つきぐうみち月宮道つきぐうみちでございます。』と告げた。日本語に続いて英語、中国語?の順番でアナウンスは続いた。それから今も昔も変わり映えのない押しボタンを押すと、

『次停まります』

とやはり機械的な声でそうなってランプが光った。

次第にバスはスピードを落として左折のランプをつけカチカチとその音をたてた。

月宮道というバスの停留所は、予想に反して大きな乗降場で、何台かのバスや観光バスも行き来できるようになっているようだった。停車位置に停まると運転手は無言で扉を開いた。



夜聡以外の二人もここで降りる様だった。

女性はそそくさと慣れた手つきで電子マネーで支払い、男性は用意していた小銭を透明の箱の中にいれた。そして夜聡もどちらで払うか少し悩んだ末に電子マネーの入ったカードをパネルに当てて、「ピピ」という電子音を確認すると、やはりそそくさとバスを降りた。考えてみれば、運転手とは乗車してから乗降するまで一切言葉を交わさずそしてろくに顔も見ずにバスを降りた。

そう思いながら停留所を降りて振り向くと、素っ気なく扉を閉じてしまい、結局運転手の顔を見ることが出来なかった。



乗降所から道を隔てて右手側に普通自動車が一台なんとか通れそうなあまり舗装されていない小道が見えた。(左側にはいくつかの有料駐車場があるようだ。)その入り口には2m四方の案内板が建てつけられていてその案内板には、いくつかの観光名所を踏まえた簡易的な観光案内図が描かれていた。月の都に行くにはその観光名所を通り抜けなければならない。案内板の最奥部には目立たないただの交差点の信号に書かれた土地名の様に『月神社』の文字を確認する事が出来た。その案内板は、たいした古くもなさそうだが然程さほど新しくもない。それがまた景観と調和して、まるで自然に生えたそういう植物の様にも思えた。


入り口こそ狭い道ではあったが、中に入った行くと軽自動車がなんとかすれ違う事くらいは可能な、思っているよりは少し開らけた道だった。歩を進めると道は急勾配で曲がりくねっており、昔ながらの喫茶店が一軒。店先には陶器やいくつかの植物系雑貨が置かれていた。山間とはいえ、やはり夏の日差しは夜聡の脳天を焼き付け額からは既に汗が吹き出してきていた。そのせいかメニューの中の赤紫蘇を使ったソーダ水に目を引かれたが、持ってきた600mlのペットボトルのお茶を少しだけ啜って飲みたい衝動を抑え込んだ。

喫茶店の先には再び山に沿う様にカーブを描いた一本道は続き、そのわずか200m程先に何軒かの商店か転々と見え隠れしていた。

そのいくつかの商店の向かいには、赤紫蘇の畑が一面に広がり、


「なるほどここら辺は赤紫蘇の栽培が盛んなのか……。」


などと一人でブツブツとつぶやいた。

そこには赤い紫蘇畑と雲ひとつない澄んだ青い空と野山の深緑とあいまみれて、夏の彩る香りが漂っていた。


それから先程と同じ様な緩やかな曲線と傾斜の浅い山道を歩いて進むと、わずか数メートル歩いただけで額や脇から汗が噴き出し続け、それをタオル地のハンカチで拭き続けた。そこから何百メートルか進んだところで、道は程よく木々の木陰に入り、先程まで顔を撫でていた生温い風は、森の木々を通して涼しい風にかわって、汗ばんだ顔を心地よく冷やした。

向かって右側には漬け物屋さんや、土産物を扱う雑貨屋さん、それから観光目当てのカフェなどいくつかの商店が立ち並び、左手側には山沿いの道には澄んだ水の流れた山の水のせせらぎが続いた。川の沿いの山手側のには青紅葉美しく手を広げている。


「風流というのは、こういう事なのかもしれないな。」


などと一人でぶつぶつ口に出してみる。


夏の暑さを涼ませてくれる様な景色を見ながら、現実世界でしか体験し得ない『風流』という状況を身をもって体験する。たまには汗をかくのも悪くない。なんて年寄り染みた事を考える。



この道の奥には紅葉や紫陽花の有名な寺院がある。その時期には人が多く訪れる様だ。

今まで一本道だったが分岐点があり、標識も見当たらないのでスマホで検索をかける。

どうやらこの分岐点でその寺院とは反対方向に向かうようだ。


夜聡はその『風流』という景色を背にマップアプリの標す方へ歩き始めた。

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