月の都

意識的か無意識的か。

この街は『古都』などと呼ばれ、季節問わず絶え間なく観光客が訪れている。けれども名所から少し離れれば、なんて事ないしがない古い街だ。とはいえ「みやこ」と名がつけば、そこがみやこと呼ばれるまでに何があったのかという歴史にロマンを感じるものだ。そういう意味では『月の都』というのはいったいどういう経緯いきさつでそこに村が出来たのかいささかか興味深いものだ。



夜聡はその日『月の都』に向かっていた。



『月の都』にはバスで向かう。

住宅街をぬけ幹線道路まで出て、中心部とは逆方向に向かうバスに乗るのだ。

彼の家は京都駅から少し離れた北の方にある閑静な住宅街の一角にある。

その地域は大方は新しく建てられた大きな佇まいの洋館が多く立ち並んでいて、いつの日からこの土地は高級住宅街と呼ばれていた。その所以ゆえんは、古い時代にみやこで朝廷を持て囃した一族の末裔達や、貴族の仲間入りを果たしたい、叩き上げ資産家達がこぞってこの土地に家を建てたからだ(夜聡の親もその類だ)。

とはいえ上流階級者たちというのは、やはり持って生まれた品性というか資質みたいな物を持っていて、金にはなく、金がある事を鼻につけて生きている様には見えなかった。(もちろん叩き上げ資産家の人にはそういう富裕層系の資質なんてないとは思うが。)住宅街を一筋抜ければ多くの自動車が往来する幹線道路に出られる。

そこから歩いてすぐのところにバス停はあった。



『夏の夜の夢』に出演する事を決めてから、開催日までは2週間ほどしかなかった。それに学校で練習できるのは夏休み前の7月31日まで。それまでは週末をのぞいて葉月と2人で音楽室にあるピアノと向き合った。

その学校で過ごした何日かは夜聡にとって驚くほどに早速に過ぎ去って行った。

毎日2人でピアノを弾く。

ただひたすらに『サンバテンペラート』を弾いた。時には音の持つニュアンスや表現力について話し合い、色々な意味で(おそらく)お互い影響を受けながらその時間を過ごした。そして何度も練習をしているうちに気がついた。


幻夜に至るのは簡単な事では無いのだと。


練習の最中は演奏していても幻夜に至る事はないのだ。ほとんどの日は一般的なピアノの練習と同様に、何度も何度も繰り返し、時には違う曲を弾いたりした。その時々に断片的に幻夜の欠片の様なビジョンが見える事はあったが、それはやはり映画や創作物の作成する段階の様な物で、物語ストーリーに至る何かではなかった。つまりそれほどに幻夜に至るのが簡単では無い事を改めて感じられた。結局のところ想像力を具象化するだけの力をつけようと思ったら、ただひたすら音に触れ続けて、その音と音の繋がりから想像力を形成するしかないのだ。

努力をせずにして得る物などないのだ。


けれどもそれがまた彼の心を充実させた。



バスは街の中心部からどんどんと離れて、川を跨ぐ橋を一つ超えたあと、その山沿いに流れる渓流を上流に向かって走らせていた。

窓から道路よりも遥か下を流れる渓流の水が穏やかに(本当は激しいのかもしれないが少なくとも穏やかに見える)流れ、その周りには山肌から美しく青紅葉などの新緑が枝を伸ばしていた。

バスの中は何名かの騒がしい観光客(アジア系のようだが中国人なのか台湾人なのかそれともそれ以外人種なのか全く区別がつかない)と、ハイキングの装いをした初老のグループ(こちらは静かにお行儀良く座っていた。)その他に一人客が何名かいたが満席には満たず、夜聡は運転席の真後ろのタイヤの真上の(とてもよく揺れる)一人席に座ることができた。車内温度は快適とは言えないが、搭載されているエアコンがこれでもか、というくらい風の音を唸らせて精一杯の力を注いでいるように見えた。



『月の都』の事をネットを使って調べても、そこから得られる情報は、『俗社会からの奪回を目指す組織……』という文言から始まる情報収集会社のあげたもののみだった。

それ以外の事は噂話から三面記事まで気持ちが悪いほどに全く見当たらなかった。

多くの人がそうである様に、見えない事、知らない事、という事柄に対して、人は恐怖と好奇心という二つの感情を持つものだ。


夜聡にとって『月の都』はまさにそういう存在感だったのだ。だからこそ彼はそこに行く事を誰にも話さず黙って決意したのだ。


知りたいという好奇心がある反面、やはり心のどこかで宗教じみた得体の知れない場所は向かう事に少し不安を感じて抵抗があった事はいなめない。葉月を信用していないわけではないが、彼女の父親が村の中心となる神社の神主様で、彼が『月の都』の中心人物である事は明らかなわけで(所謂教祖?的存在?)そこには一番近づいてはならない気がしてならなかった。

何も知らずに安易に敵陣へ乗り込むような事は避けたいと夜聡は思っていたのだ。



ここのところ……というか思えば両親が家をあける様になってから、自ら外に出る事なんてほとんどなかった。もとからインドアな性格もあるが、その理由の一つは人と関わるのがとても面倒だということを知っているからだ。


人間というのは欲深き生き物だ。


金というのは人の心を変える魔物だ。

持っていると知れば、大人であろうと、子供であろうと、その立場にあやかろうとして、なんらと理由をつけて近寄ってくる。


それは意識的なのかもしれないし、

もしかしたら無意識的なのかもしれない。

人間というのは、時に本能的にそのとき必要であるべき事(生き残る手段)を嗅ぎ分ける力が備わっているのだろう。


Selfiros(セフィロス)の創始者が両親とわかるや否や、見たことも無い親戚たちが、突然連絡をよこし、自分の今まで話した事もない同級生達は夜聡の事を急に持ち上げる様になった。夜聡にはそういう自己中心的な繋がりを求められる事が、鬱陶しく思え、そういう奴らを愚かしい人間という風にしか捉えられないのだ。


だから彼は一人である事を望んだ。

一人でいるのはとても楽だからだ。

好きな時間に漫画や小説を読み、スマホを使ってゲームをして、ネットで映画を見たり動画を見たり、音楽を聞いたりして(時々程々に勉強して)過ごせる。。逆に言えばそれだけで時間を過ごすには事足りていたとも言える。



そんな事を考えている間にもバスは渓谷の横を真っ直ぐに(以外といわゆる山道のようにくねくねとしたカーブは少なく大きく緩やかな道だった。)進行していた。

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