新月祭 夏の夜の夢

「葉月の家へ?」


「と言うか……正確にはうちの神社の……夏祭り。」


そう言いながら葉月はきれいな夕焼けの描かれたクリアファイルから、一枚のパンフレットを取り出して夜聡にて渡した。


手渡されたパンフレットにはきれいなデザイン性のたかい明朝体の淡い紫色の文字で、


   『新月祭 夏の夜の夢』


と書かれていた。そこには何枚かの写真と

イベントの説明、それからたこ焼きやら綿菓子やらかき氷やら、いくつかの出店か書かれていて、主催元が『月の都』の『月神社』と書かれていた。つまり『月のない夏の夕べ』というのが、いわゆる村祭りで、『月の都』という村にある、『月神社』の御神体を祀るお祭りだという事がわかる。



「なんだいこれは?」



「あなたは何の為にピアノを弾くの?」


「それは……。」


あれ?なんかさっきも同じ事を聞かれた様な気がする。と夜聡は思った。その時出した結論は……想像を喰らう物と戦う為……。具体的の様でまるで抽象的だ。ピアノを弾く理由は戦うため?よく考えれば馬鹿げた話しだ。


「私はね。わたしの想像した音の世界観をみんなに聞いてもらいたい。あなたが私の音に聞き入ってくれたように。そしてそれが聞いている人にとってだと感じて欲しい。つまりはこれはきっとさっき話していた、自己肯定感の向上の為かもしれない。」



「自己肯定感の向上。」



「ただそれは自己顕示欲を満たしたいだけではないの。いわゆる人の持つ想像力のより豊かにしたい。」


「それは僕らが持っている幻夜を作り出す資質みたいな物をより多くの人に持って欲しいという事?」



「それはある意味ではそうかも知らないけれど、そうではないわ。つまりなんていうのかしら……その想像の先にある物を……もしくはその現実の先にある物が何なのかを考えて欲しいの。」


「君のピアノを聞いて?」


「ごめんなさい。私説明するのが下手くそだわ。とにかく演奏を人に聴いてもらう事こそがやはりピアノを弾く意味だと思うの。」



「人に聴いてもらう……。」



「それでね。この『新月祭』で、私は村の舞台でピアノを披露する。そこであなたと連弾したい。」



「僕が?そんな舞台で?」


「そうよ。あなたなら大丈夫。」


「でも僕は大きな舞台なんかに出た事がない。学芸会だって顔を出さないナレーションしかした事がないんだ。」


「気持ちがいいわよ。」


「え?」


「舞台が終わった後の心地よい拍手。」


「そんな人が拍手をするような事……僕なんかにできるだろうか?」


全くこのひとは不思議なひとだ。と夜聡は思った。無表情で感情が表に出ない様に取り繕っていたはずなのに、葉月の前ではいつの間にか感情を丸出しにしている。


「大丈夫。私と初めて連弾した時も、何も物怖じしなかったじゃない。それにまだ少し時間があるわ。私と毎日ここで練習しましょう。そもそも幻夜の事や白八咫鴉の事とかややこしい事は無しにして、私は単純にあなたと連弾がしたくて『白と黒のサンバテンペラート』の動画を見せたのだから。」


「一体いつからそう思ってくれたの?」


「あなたが『月のワルツ』を音だけを聞いて、くうで鍵盤を撫でている指つかいを見た時からずっとそう思っていたわ。あなたはピアノを弾くにあたって少し肝心な事を忘れているわ。」


「肝心な事をわすれている?何を?」


「つまり音を楽しむという事。」


たしかに僕にはいきなり色々な世界を知りすぎたかも知れない。葉月のピアノの音に興味を持って、ピアノの連弾の動画を見た時に起こった『楽しそう』『やってみたい』という好奇心と感情。


夜聡は葉月に向けてゆっくりと首を縦に動かして頷いた。それを見て彼女は右手を差し出した。色が白くてほっそりとして女性的で繊細なその手を。夜聡は同じく右手をだして柔らかく握り合った。


「明日からもお願いするよ。」


「えーこちらこそ。」


心拍数が上がっているのを感じた。

7月の暑さのせいか少し汗ばんだ白いカッターシャツが直接肌について肌を透かせて見せた。けれども彼女のブラウスからは心地よい石鹸の様な清潔感のある柔軟剤の香りがして、朱の縁の眼鏡の似合う端正な顔(唇は程よく潤ってるが、それはリップくらいでおそらく化粧なんかしていないであろう)はまるでまるで暑さを感じさせなかった。

外はいつの間にか薄らと闇を纏いかけていた。

なんだか長い1日だった。白八咫鴉の幻夜、葉月との『moon river』の世界、そして演奏会の約束。


まだ青さの残る夏の夕暮れに、虫の音がその妙に長い一日にゆっくりと終わりを告げるようだった。


。。。。。



お前は知っているか?



無音の闇でその声は響いた。



鴉は朝早く森から人のある所に飛来する。

それから夕焼けの頃に森に帰っていく。

鴉は嗅ぎ分けられるんだ、

夜明けの匂いと黄昏の香りを。

その漆黒の翼は鋭くも力強く、

そして絶妙な瞬間ときに、

闇に紛れて人の心の中に付け込むのだ。

夜明けと黄昏日の匂いを知っている鴉は、

闇に塗れた人の心を喰らう。

毎朝東から登る陽の光に照らされた、

人の影を喰らう。

影とはすなわち闇の事だ。

光ある所に影があるように、

人の心には闇が潜んでいるのだ。

誰が言ったか鴉は黒い。

鴉が黒いと誰が決めた?

鴉は昔は白かったんだ。

眩いほどに美しく真白。

太陽の神の名の下に

その白い翼を羽ばたかせ

光から漏れる闇を喰らう。

人の闇を喰らいそして新しい朝へと導く。


鴉は朝早く森から人のある所に飛来する。

それから夕焼けの頃に森に帰っていく。


人の闇を喰らい明日へと導く為に……。


「フォーフォーフォー」

と鴉が鳴いた。

それは紛れもなく鴉の鳴き声だった。



……………………………


ハッと目が覚めた。


全身にジンワリと大量の汗を感じた。

7月の終わりにしては涼しい夜だったが、

エアコンは苦手だからつけなかった。

機械的な冷たい風に晒されると、

体内の何かしら異常をきするからだ。


半袖のティーシャツから出ている青白い手で額の汗を拭った。どうやら単純に暑くてかいた汗では無さそうだ。額どころか、拭っているその腕も短パンから出ている足も、それから着ているそのシャツさえもグッショリと汗で濡れていた。夜聡は暫くベットの上で放心状態で座っていた。それから息を整えるとゆっくりと起き上がり着替えを取りに箪笥へ向かった。時計をみると深夜の2時だった。

手早く服を着替えて

それから窓の外の景色を少し眺めた。

閑静な住宅街の深夜は静かだ。

それは森の静寂とは違って、

ある意味人工的で不気味な静寂を感じる。

ここには本当に人が住んでいるのだろうか?

と疑いたくなるくらいの気持ちになる。

外は疑い様の無い闇に包まれていた。

そこには人工的に作られた街灯の光以外は

存在しない。今日は月の無い夜だ。


今見ていた夢?とその人工的な静寂が重なったせいか、夜聡の心は酷く戸惑い、動揺し、途轍もなく不快で、嫌な気持ちが広がった。

嵐の前の静かさの様に……。





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