月の残り香

「フォーフォーフォー……。」


と夜の静寂に色をつける様に、何かが鳴いていた。深い森から誰かに呼び出される様に、

急激に眠りの世界から意識を取り戻し始めた。ここが山林や深い森の中ならばふくろうだろうか?それとも木兎みみずくだろうか?と考えるところだが、あいにくここは京都府内(観光地からは少し離れているがちょっとした高級住宅街だ。)の閑静な住宅密集地の一画だ。

せいぜいはとからすといったところだろう。

ベッド横のカーテンの隙間から僅かに光が差し込んでいる。それはまばゆく燃える太陽の光でなく、薄らと闇に光の温もりを与える昨夜の満月の残り香、夜明けの月の光に他ならない。夜聡にとって夜明けはいつでも、一番頭の冴え渡る聡明な瞬間ときであった。


まだ薄暗いリビングを抜けて、四人家族にしては広すぎるダイニングキッチンへむかう。

キッチンには貴賓あふれる木製のテーブルが置かれている。


キッチン向かいにはカウンターテーブルが作り付けられていて、流し台のちょうど振り向いた所にある、まるで物音を立てない巨大な冷蔵庫から、夜聡よざとは2リットルの天然水ペットボトルを取り出した。それを真っ赤なケトル型の瞬間湯沸かし器に注いでスイッチを入れる。それから沸騰するまでの間に、白色の木板と曇りガラス(もちろん指紋一つついてない)で構成された食器棚から、草色がかった透明の(昔のコカコーラの瓶のような色)アフタヌーンティーで購入したお気に入りのグラスに、少し高めのpresidentと書かれたインスタントコーヒーをティースプーンで2杯いれた。それからシュガーポットから三温糖の塊を二つ。

そうしている間に蒸気の吹き上がってきた。そのケトルのスイッチがセンサーで自動的に上がる指先で触りスイッチを切って、グラスに1/4程注いだ。安くて薄いグラスなら熱湯は御法度だが、分厚くそれなりの値段のそのグラスは耐熱力もあるので問題ない。

その黒く濃い色のコーヒーを混ぜてから氷を入れる。

液量がグラス半分ほどに至るには8分目まで氷を積む必要があった。それからもう一度冷蔵庫を開けて牛乳をとりだす。乳飲料みたいな紛い物ではなくて、ちゃんとした牛乳だ。

牛乳パックの蓋はあえて広げずに、その隙間から線状に氷に当てながら牛乳を注ぐと、下に黒い色の珈琲の層を残したまま、半分から上に牛乳の層がきれいに出来上がった。

真ん中ぐらいに出来る、絶妙なカフェ・オ・レ色のグラデーションが、毎朝の気持ちをあげるのだ。このアイスカフェラテには飲み方がある。①決して混ぜてはいけない②そしてストローは使ってはいけない。牛乳の層を伝って口の中に入る濃い目のコーヒー(インスタントにも関わらず)は色合いだけではなく、味も調和のとれた最高の物になるのだ。


夜聡はいつでもアイスコーヒーを好んでのんだ。夏はもちろんの事、冬場に部屋を温めて飲むコーヒーは最高に彼を満足させた。

アイスコーヒーを飲むのは彼にとって毎朝の習慣であって彼の頭を冴え渡らす最高のルーティンでもあった。それから一時間ほど自分の好きな本を読むのが彼の朝の自分らしい過ごし方なのだ。けれどもここのところは読書は30分その後の30分はピアノ曲の瞑想の時間にあてていた。

夜聡は昨日の夢か現実かもわからない、

葉月はるなとの連弾ピアノの『月のワルツ』の幻想世界を思い浮かべた。



「ガチャリ」とリビングの扉が開いた。



それが妹の雪枝とわかってはいたので、

いつもならそれほど驚く事もないのだが、

何だかその日は心の中を覗かれた様な気分になり、ドキリとして少し動じてしまった。


「何いったいどうしたの?」と


上下グレーのパジャマというよりかはスウェット(上着の方はフードがついている。)と呼んだ方がよさそうな服装で、夜聡の前を通り過ぎながら、さも珍しいものでも見た様に、ニンマリと笑顔をみせて、戸棚から即席のコーンスープの袋を取り出して、真っ赤なマグカップに袋から粉末をガサガサと入れた。


夜聡は一瞬の動揺を無かった事の様に、

無表情に取り繕って、なるべく感情を表に出さない様に、


「いや別に……。」


と言い放った。

雪枝はまるでその返事を聞いていないかのようにケトルからカップに勢いよくお湯を注いだ。


この家の住人は両親と僕と妹の四人だ。

けれども大概は、彼女意外の誰かがリビングに入って来ることなどあり得ない。何せこの家には、夜聡と雪枝しかいないのだから。


両親はIT系ベンチャー企業を二人で立ち上げたのだ。二人が開発したselfilos(セフィロス)というサイトは全世界につながる人気コンテンツで多額の収益をだしていた。それだけに両親かれらにはそれなりの財産が存在した。けれどもその分、家にはなかなか帰れない。泊まりや出張が多く、(社長と秘書みたいな関係だからなのか、それとも夫婦の仲が良いだけなのかそこはわからないが……。)とにかく夜聡が高校に通い始めてから、両親かれらいつも二人で行動して

、家にいる事はほとんどなかったのだ。


夜聡にはクレジットカードを預けており、

買い物に不自由はしなかったが、夜聡は無駄な買い物をするのが好きではなかったので、生活に必要な物しか購入しなかった。

(ちなみに雪枝は夜聡がクレジットカードを預かっている事は知らない。必要な物は夜聡に頼んだお金をもらっていた。)

夜聡がお金を無駄に使わないのは、彼が誠実なわけではなく、ある意味で親に対する小さな反発でもあったのだが……。


つまり夜聡がselfilos(セフィロス)とFFを毛嫌いする二つ目の理由は、selfilos(セフィロス)を立ち上げたのが自分の両親だったからだ。


そんなわけで彼の家はいわゆる富裕層といえるわけだが、夜聡はそれが何故かわからないがとても気に食わなかった。


十二畳はあろう広いリビングは、傷ひとつみあたらない艶やかなフローリングで、ふわふわのとても柔らかい絨毯は、まるで毎日ブラッシングしている飼い猫のようにきれいな毛並みをしていた。壁には朝倉だか笹倉だかそんな名前の画家が描いた美しい色使いの風景画が飾られていて白く汚れない壁際には70インチはあろう、大型のテレビジョンが置かれていた。

なんとなく、意味もなく、ただの習慣で夜聡はテレビをつける。雪枝が起きてきた時点で、彼の聡明な時間は終わりを告げたのだ。


別に真剣に見るわけではない。そう言う時はきまって夜聡も雪枝もスマホを眺めている。テレビはまた今日も世間を騒がす迷惑FFの話題で持ちきりだ。

そんな彼らをメディアはMFFと総称した。

彼らは寿司屋の皿を舐め、

醤油の瓶に口をつけ、

ソフトクリームの機械の出口から直接クリームを頬張った。必要以上に騒ぎ立てるマスコミ。


総司会を務めるタレントアナウンサーは、

「何故彼らはそんな事をするのでしょうか?」と疑問を投げかける。

夜聡よざとから見れば、それはメディアが騒いでくれるからであって、奴等は目立ちたいからやっているんだ。それを色付けするタレントコメンテーター。主に有名大学卒業の賢い部類の芸人さんたちが、そこそこ真面目な話をすると、ひけらかし役の雛壇枠の芸人は、

「なんや、MFFて何の訳や?迷惑なフードファイターかいな?」とか言って笑いをとる。

それはもうワイドショーではなくて、

もはやエンターテイメントでしかない。

真面目な硬い番組は視聴率が取れない。

メディアというのはどの媒体でもやる事は一緒だ。広告会社から仕事を入れて、視聴率をあげて広告会社から利益を得る。

もはやTV番組ならではの情報などない。

だからみんなテレビ離れをするわけだ。


「馬鹿みたい。こんなんだから堂々とセフィロスはうちの親が立ち上げたんだって言えないんだよ。」


と雪枝は言うけれど夜聡にしてみれば、規制できない物を早々と世に送り込んだ両親やつが悪い。と思春期ならではの親に対する反発心しかなかった。


「そんな事より……。」

早くまた葉月はるなとピアノが弾きたい。などと思わず考えてしまった。


「そんな事より……どうしたの?ふふ。なんか今日のお兄ちゃん変ね(笑)じゃー先に行くね。」


とか言いながら洗い物は決してしていかない。まーそれもいささか仕方がない。

彼女は1時間も電車に揺られて学校へ通っているのだから。


それにしても女っていうのはなんだかに敏感だ。本当にもう妹のくせに生意気だな。

とか思いながらやはり彼女の食べ散らかした後の食器を洗い、テーブルをきれいにふきあげた。

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