ぬかるみ道(秋田)
昨日はやや雨が降っていた。そのため道中にも、乾くのを忘れて雨濡れた地面が散見され、山合いに近づくにつれて一層ぬかるみ道がひどくなっていた。雪の名残も見られて季節と地域を思い起こす。旅の醍醐味はこのような切り抜きにこそあるものだと奮い立つ心を感じる。桜のきれいな道があり、思わぬ出会いにまた心が躍った。期せずして見る季節のあれこれもなかなか風情があるものだ。
秋田の山麓にある乳頭温泉郷への道すがらだった。でこぼこと車を躍らせる、訪れるものを歓待するかのような愉快な路は、車に守られているはずの体をも巻き込んで揺らす。そう長くはないはずの道のりも一限のように感じられ、自然のアトラクションにまんまと乗せられる己を発見する。人目には悪く見える過酷な道路状況も、旅先での出来事と思えば愛らしく思えるのは不思議なものだ。カーナビとにらめっこして行く末の確かさを検めながら、ひとつひとつの段差を超えていく。
車の衝撃検知機能が作動しないかが不安だった。あまりの揺れの強さに、いらぬ心配をかけていないか、正直に言えば的外れな疑いをかけられていないか。幸いにもなんらアラートが出ることはなかったが、彼の内心は計り知れない。開けた道に出たとき、ようやく到着した温泉郷に歓喜の声を上げる人間をよそに、ほっと胸をなでおろしていたのは彼の方だっただろう。
相応に遠い道のりであり、山奥のはずれにある悪路の先だというのに、この地が持つ魅力が故だろう、人でごった返していて駐車場に空きがなかった。しばし車の中で過ごして、先客が退くのを待った。十五分ほどの待ち時間で車を休ませることができ、雨におびえながらも雨具を持たずに車を降りた。
秘湯のような温泉街は、ぬかるみ道によりさらに引き立てられる。古く人をひきつけてやまない家々は、道中の過酷さも相まって、エヌ割増しで輝いて見えた。雪解け水がちろちろと流れて、水路を渡っていった。向こうに湯気が立ち上っているのが見えて、本題は温泉のほうにこそあることを思い出した。
焦らすように古家を見て回った。干柿がつるされた軒下、さびたフライパンが転がっていた。水を送り込むためのチューブにはそれぞれ数字が割り振られており、それが彼らの呼び名なのかと思ったが、同じ名前があった。同じ名前があってよろしくない所以はないだろう。茅葺屋根には似つかわしい。温泉に浸かれば、名前の違いなど些細な問題だ。
帰り道もまたぬかるみ道だった。車のすれ違いに神経を使った。この先を楽しみに歩む同胞に別れを告げ、そのままの足で田沢湖に向かう。田沢湖の砂浜は、砂粒がガラスのようにきれいで、眺めているだけで童心に戻るような感覚があった。近くの道の駅で稲庭うどんをたべた。湖岸を少し歩いた。雨が降ったりやんだり、上機嫌だった。
@2022.5_秋田_乳頭温泉郷
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