1.幽霊少女?

二ヶ月が経った。

 トオルはアトランス界に出発するまで泊まらせてほしいと大家に頼み、アパートを片付けた。家具・家電、パソコンデスク、ベッド、そしてロボットを作るための設備も、一つ残さずリサイクルショップに売った。卒業式が終わってからは、ほぼ毎日、依織いおりが手伝いに来てくれたこともあり、部屋の中はほとんど空っぽになっていた。


 生活感のかけらもない部屋にはもう、アトランス界へ持っていくわずかな荷物しかない。何枚かの衣類に、布団としても使えるジャケット。そして、手作りのロボットが二台。


 ロボット作りの設備も失ったトオルは、今は下書きしたプログラミングタグの検査くらいしかできることがない。退屈を持て余し、早めに寝ることにした。

 段ボールを床に敷き、ダウンジャケットの中綿を全部片方の腕に詰めた簡易の枕に頭を乗せて、ごろりと横になる。そのままヘッドホンを外してスーツケースに引っかけると、鋭く長い耳がピクピク動いた。誰の視線にも晒されずに済む、深夜に一人のこの時間は、トオルが最もリラックスできる時だった。


 トオルは疲れた耳をマッサージするように、手でもみもみした。音に敏感な彼は、日常生活の些細な音、生き物の鳴き声はもちろん、1キロ以上離れた場所で、床に釘を落とした程度の音でさえはっきりと聞こえてしまう。

 小さな頃は、周囲にいる人々の心脈や呼吸音まで聞こえてしまうことで、よくパニックを起こした。形が違うだけでなく、普通の人よりも遙かに多くの音を聞いてしまう性質を持つトオルは、音をろ過するためにもヘッドホンを着けている。

 少しずつ年を重ねるうちに、音の選別ができるようになったため、今ではヘッドホンのろ過機能は必須ではない。彼は自分に必要な情報音を自力で選び取っている。必要であれば、会話中に相手の心脈のリズムや呼吸のパターンから心情を読み取ることもできる。相手に悪意があるかどうか、言葉が嘘か本当かなども、聞き分けている。


 布団代わりのジャケットをかぶったままゴロゴロしていたトオルだが、上手く寝付けず、手を伸ばす。手のひらにぴったり収まるMPデバイス――マルティプルパーソナルデバイスを取ると、缶バッジ大のそのデバイスをライトアップさせた。


―― 104年4月17日 火曜日 ――


宙に映し出された日時を見ながら、


――あと五日か。アトランス界……どんな世界なんだろ。


と、新天地に思いを馳せる。


 デバイスで情報検索してみたが、どこも似たり寄ったりな記事ばかりだ。


 数千万光年先にあるアトランス界だが、環境は地球アース界に似ているらしいこと。

 異なるのは、多種族が棲息していること。

 文明が遙かに進歩していること。


 地球人たちは、アトランス人との交流によって、科学や錬術理論、グラムの応用技術などを発展させたり、再構築することができたのだという。


 そして、アトランス界への出入りはローデントロプス機関により厳しく管理されており、その手段は制限されている。一般人ガフは行くこと自体が叶わないそうだ。


 最も手堅い入り方としては、トオルのように、アトランス界にある源使いを育てる機構である聖光学園――セントフェラストアカデミーの生徒になること。入学試験は地球界の時間で、七年に一度行われている。


 アトランス界についての情報は、この辺りまでが限界のようだった。具体的にどんな種族が存在するかなど、詳しい情報や注釈は一切なかった。


 トオルはアトランス界の映像も探してみたが、それは異世界もののチャンネルゲームのような風景だった。

 地球界ではCGグラフィックやAR・VRを、端末なしに生身で体験できるところまで技術革新していたが、トオルが探し出した写真や映像は、まさに幻想の世界のように美しかった。一般人の中には、アトランス界という世界自体を、源使いが妄想したおとぎ話だと信じている者もいるというが、それも無理はないと思う。


 トオルはあらかたの情報に目を通すと、チャンネルネットの情報ウィンドウを消した。


――つまり、源使いしか行けない世界なのか?興味深いな。


 余計に眠れなくなったトオルが軽く目を閉じた時、声が聞こえた。


(トオル……トオル……)


 光の玉が宙に浮かび上がり、窓を閉めているのに、どこからか森や水畔を歩いている時のような、涼しい空気が部屋を満たし、トオルを包んだ。アロマとは違った、それでいて心地の良い香りが漂う。それは、源気グラムグラカの香りだ。トオルはその気配に癒やされ、心が落ち着く気がする。


 トオルが目を開くと、一人の少女が宙を舞っていた。

 薄青の肌に、太ももまで伸びた青い髪。石膏像のように細い体に、絹のドレスを着た美しい少女は、しなやかに舞い踊る。


「君、また現れたのか」


(1ヶ月ぶりかな?)


「そうだな。あぁ、そういえば、ぼくはもうこのアパートの住人ではなくなる。あと五日でこの部屋を出る」


 少女はにっこりと笑って、(知っているよ)と言った。


 トオルの頭に、少女の言葉が響く。彼女の気持ちも感じ取れた。

 時々、現れるこの少女との『念話』の感覚は、トオルにとっては慣れたものだ。


「そうか。君はぼくのことを何でも知ってるんだな、クロディス」


 彼女が初めて現れたのは、叔父の家の、トオルの部屋だった。10歳の彼は最初、彼女を心霊現象か何かだと思ったが、可愛らしい外見をした、ちょうど同い年くらいに見える少女は、トオルにとって奇妙で興味深い存在として受け入れられた。

 トオルが名を問うと、(クロディス)という言葉が頭に響いた。それが初めての念話だった。


 翌日、トオルが育ての親である叔父と叔母にクロディスのことを話したところ、大騒ぎになった。家に地縛霊がいるなんて縁起が悪いと、彼らは何度も家に除霊師を呼んだ。だが、どんなにお祓いの儀式をしても効果はなかった。

さらに、トオルに浮遊霊や背後霊が憑いていることを危惧した彼らは、除霊の名所へも連れて回った。しかし、誰一人、トオルに霊が憑いているとは言わなかった。


その間も、クロディスは時々トオルの前に現れた。そしてそれは、いつも彼が一人きりの時だった。

結局、叔父や叔母は、トオルの作り上げた妄想だろうと思うに至ったが、それはやはり、彼らが実際に少女を見ることがなかったからだろう。

 

少女は、トオルがどこかへ行くと、連れ添うように現れた。次第にトオルは、彼女がただの幽霊ではないと気付く。トオルは実際にその手で、クロディスの手や指、腕に触れることができた。だが、クロディスの手は骨が無いみたいに柔らかく、強く握ると消えてしまった。触れられる以上、幽霊やお化けの類いではないが、もしかしたら宇宙人や、未知の高知能生命体かもしれなかった。


彼女が何故、一人の時にしか現れないのか、家族ですら知り得ないような思想や感情を知っているのか、トオルには分からないことばかりだ。


 だが、彼女の出現は時に、トオルをドキリとさせる。それは、これまでの経験からとしか言いようのない、不穏の予兆だからだ。


「今日は何か信託でもあるのか?」


(うん。セントフェラストへ行く途中、乗り物で恐ろしいことが起きるの)


「セントフェラスト?君は、アトランス界で起こることまで分かるのか」


(ふふん、凄いでしょう?)と、クロディスは話の内容にそぐわず、鼻を高くして笑った。


 信仰する神もいないトオルだが、クロディスの言葉だけは信じている。


初めての予言は、彼らが出会った10歳の時だった。

 小学校のキャンプイベントには絶対に行ってはいけない、水の災難が起こると、クロディスは言った。

 その頃のトオルはまだ、彼女の言葉を予言だとは思っていなかったが、虫の知らせか、突然の高熱が出てイベントを休んだ。


 その日、同級生たちは美しい渓谷でバーベキューを楽しみ、夜にはキャンプをする予定になっていた。しかし、天気予報は外れ、局地的な豪雨が降り、直前まで穏やかだった川の水位が急激に上がった。水辺で遊んでいた彼らのうち、逃げ遅れた五人の同級生と、教員一人が流された。


 そのニュースは、熱にうなされたトオルの頭に鮮明に刻まれた。

 

クロディスはそれからも、何度も予言を的中させ、トオルの命を救い、トラブルを回避させてきた。


災難の予言だけではない。

 まだ幼い頃、叔父に殴られ、失意の彼の元に彼女は現れて、一人寂しく声も出さずに泣いているトオルに寄り添った。トオルは先に希望も見えない人生だと思っていたが、いつもクロディスに慰められ、生きる希望や勇気をもたらしてくれた。

 今でこそ、擬人機械ロボットのプログラミングに才能を発揮しはじめているトオルだが、実はその才覚に目覚めるきっかけもクロディスだった。


 それはトオルが11歳の時だ。

 悪い酒に酔った叔父に殴られたトオルは、「万年居候」「出来損ない」「疫病神」などと罵られ、逃げるように自室へ篭った。

 左右の頬から涙が途切れなく伝って、トオルは痩せた膝を細い腕で抱きしめた。簡素なベッドに背を寄せて、何時間、膝を濡らしつづけたかわからないほどだった。


 クロディスはトオルと同じ年齢の女の子の姿で現れると、怒りと哀しみが混ざり合ったトオルの泣き声を聞いていた。


「ぼくは、この家にいたくているわけじゃないのに……。でも、ぼくは何もできない。叔父さんの言葉に言い返すことすらできない。そんな自分に苛立つんだ……」


(叔父さんは言い過ぎだね、それは良くないこと。でも、トオルは何も悪くないでしょ?悪くないなら、真に受ける必要なんてない。トオル、何を言われても、聞き流せば良いんだよ?)


「でも、叔父さんの言ったことはぜんぶ事実だよ。ぼくは疫病神で、出来損ないで、居候だ。聞き流したくても、何度も何度も繰り返されれば、嫌でも耳に入ってくる。もう耐えられないよ……」


 座り込んでいるトオルが首を仰ぎ、宙に浮いているクロディスに号泣しながら叫んだ。


「クロディス……教えてよ。君はぼくを何度も助けてくれたけど、ぼくのこの命は、一体何のためにこの世界に生かされているんだ?誰からも愛されず、期待されることもない。何もできないぼくが生きていくには、どうすればいいんだ?」


 クロディスは、トオルの背中をそっと抱きしめた。爽やかな風が吹いたように涼しい空気が流れ、トオルは優しい匂いに包まれる。それだけで少し、トオルの心は癒されていった。


(トオル、焦らないで良いよ。生まれた命にはみんな、意味があるの。きっと、トオルにしかできないこと、見つけられるよ)


「ぼくにしかできないことなんて、あるのかな」


(見つけよう?見つけたら、それを生かして、みんなに幸せを配っていこう?ね、きっとうまくいくよ)


 それからトオルは、ネットを通じて様々な情報を得るようになる。擬人機械作りとプログラミングに出会い、それを追究してみようと思った。そう思えたのはクロディスのおかげだ。

 プログラミングをしていると、心が穏やかな海のように凪いだ。叔父と昌彦から受ける理不尽な扱いも、学校でのイジメも、不快なすべてのことを忘れられた。


 6年生になる頃には、放課後はいつも擬人機械ロボット作りに没頭していた。クロディスは時折現れては、熱中するトオルを応援してくれた。そしてとうとう、彼の作った擬人機械は賞をもらうほどになった。

 学校の勉強よりも精を出し、中学生になったトオルが作る作品は、もう社会人のプロが団体で作ったものにすら匹敵する出来映えになっていた。


 ロボット作りは彼にとって、生き続ける勇気と希望になった。それを与えてくれたのもクロディスだった。


 そして、あの事件が起きた。

 あの忌まわしい、ショッピングセンターでのテロ事件だ。


 あの日。

 叔母とトオルが運命を分かち、叔父が生涯消えることのない心の傷を負ったあの日。


 叔母はトオルの12歳の誕生日を祝うため、彼を連れ出そうとした。だが、クロディスの予言があったトオルは、頑なにそのショッピングセンターへ行くことを嫌がった。それまでにも除霊の件で妄想癖があると思われていたトオルの話は信じてもらえず、彼は養父母に叱られることを厭い、渋々付いていった。


 そして、突然の爆発が起きた。

 館内はパニックに陥り、完全に混乱していた。叔母に手を引かれ、その混乱の渦中にあったトオルだが、密集した人々の中で将棋倒しが起こり、叔母と離ればなれになる。

 爆弾は次々に爆発し、数分前まで明るく賑やかだったショッピングセンターは、すでに火の海となり、悲鳴と泣き声、不安と恐怖がこだまする、地獄のような場所に様変わりしていた。


 クロディスは、万が一事件に巻き込まれた時の対策も教えてくれていた。トオルは人々の流れに逆行して指定の手洗いへと走り、一番奥の個室に隠れた。叔母を助けたい気持ちもあったが、12歳の彼はまだまだ非力であった。


 やがて、ショッピングセンターは全壊し、中に残っていた多くの人は火と瓦礫の下敷きになったが、トオルは倒壊した天井や壁の隙間に身を置くことができた。その後、駆けつけたレスキュー隊に救出され、叔母は死に、彼は奇跡的な生還を遂げた。


 この事件は、トオルがクロディスの予言を信じる決定打となった。

 しかし、生い立ちや外見的な問題から、トオルは常に特別視される運命にはあったが、加えて予知能力があると思われるのは不都合だった。

 だからクロディスの予言は二人だけの秘密にして、誰にも言わないよう徹底した。


 奇妙な信頼関係を強固に築いてきた二人だったが、トオルはクロディスが、アトランス界のことまで予言できることに、改めて驚いた。


「以前開かれた説明会では、アトランス界に着いたあと、学園まで民間の船に乗って移動することになっていると言っていた。新入生は例外なくそのプランに従うしかないはずだけど」


(うん。例年は、新入生を歓迎するためにサプライズイベントが行われるの。でも、今回はダミーのはずの演習で、まずいことが起きる)


「具体的に何が起きるんだ?」


(新入生に対するテロみたいなもの、かな……)


「大事件じゃないか!」


(船の警備員に気を付けていてね)


「何か、食い止める方法はないのか?」


(……目立つ行動は控えて。万が一、犯罪者と接触する時は、友人と一緒に行動して。もし人質になってしまっても、友人を信じてあげて。それが、状況を打開する策になる)


 あまりに詳細な事件の予言に、トオルは唖然とした。そして、いつも気になるのだ。


「君は、一体何者なんだ?」


 そしていつものようにクロディスは、意味深な笑みを浮かべる。だが、返ってきた答えは、いつもとは違うものだった。


(今はまだ言えないけど、セントフェラストで会えるよ)


「もしかして、セントフェラストの教員なのか……?」


 クロディスは首を横に振る。


(私が学校の先生なわけないよ)


 本当は、自分だけの守護神だと思っていた。

 幼い頃から、自分の前だけに現れて、危機を知らせてくれる。そんな存在を持っている人なんて、きっと他にいないだろう。


 そんな夢物語のようなことを思うたび、トオルは自分を顧みることになる。


 どうして自分は。

 そう思い始めると、止まらなくなる。


 左門賢一。それが父であり、トオルの人生を狂わせた男の名だ。


 指名手配の写真や映像でしか顔も知らないその男の罪状は、トオルが高校生の時、機関のエージェントから知らされた。

 教唆拉致、教唆殺人、死体の違法投棄……。

 掴まれば極刑に値する重罪人が、彼の実の父親だ。


 母親にいたっては、一つの思い出もないばかりか、どんな人物なのか、何の情報も知らされていない。


「ぼくの力でテロリストを退治できる?」


 うーん……と考えると、クロディスは、


(……あの子たちの力なら……大丈夫かも?とにかく冷静に対応しましょう。セントフェラストで待ってるからね)


 そしてトオルが虚空を見つめている間に、クロディスは霧散していなくなった。

 セントフェラストへ行くまでの数日間、トオルは度々、クロディスの予言を頭の中で反芻させた。

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