0.プロローグ ②

トオルは面倒くさそうに立ち上がり、インターホンの画面を点けた。細いつり目に、そばかすのある頬。見覚えのありすぎる顔に、トオルはうんざりする。


「トオル、俺だ。どうせ引きこもってんだろ?」


男の名は左門昌彦まさひこ従兄弟いとこである彼の顔を見て、トオルは分かりやすく顔をしかめた。


「聞いて喜べよ、俺もセントフェラストに合格したぜ」


昌彦はトオルに見せつけるように、わざと決め顔をインターホンに映している。


昌彦の話には相づちも打たず、トオルは「話はそれだけか?」と迷惑そうに言った。


「父さんの代わりに重大なことを伝えにきた」

「何の話だ?」

「続きは部屋で話そうぜ」


トオルには彼に逆らったせいで、苦い思い出があった。

高校一年生の時、昌彦の父である叔父に、電話口で八つ当たりされたトオルは、つい口を挟んでしまった。トオルの養父でもある叔父は、保護者の権力を振りかざし、トオルのアルバイトを勝手に退職させたことがある。


トオルは叔父に土下座して謝り、何とかアルバイトを続けることを認めてもらった経緯がある。今でも叔父とは折り合いが悪く、昌彦を間に入れて伝言をしあっている状態だ。今のこの生活は、そんな綱渡りのような不安定さの上に成り立っている。昌彦と叔父の機嫌一つで、一人暮らしのこの生活、アパートやアルバイトを失うかもしれないと思えば、トオルに拒否権はなかった。


しかし、今は来客中だ。ここに昌彦が入ってくると、とても面白くない状況ができあがるのは目に見えている。困り顔のトオルが依織いおりを見ると、彼女は落ち着いた様子で頷いた。


「私のことは気にしないで。何かあれば、フォローするし」


 昌彦を強く拒めば、また叔父の耳に入るだろう。あの時の二の舞にならないようにするには、ここで玄関扉を開けるしかなかった。


「叔父さんは何だって?」


 昌彦は玄関を見ると、濡れた折りたたみ傘と、華奢な革靴に気付き、冷ややかな笑みをトオルに浴びせた。


「引きこもりのくせに、いつの間に女子と仲良くなるんだ?」


「別に。担任から伝言を言付かってくれただけだ」


 しらを切るトオルを昌彦はさらに毒のある笑顔でじろじろと見た。


「へぇ。従兄弟が世話になってるなら、俺も会っておかないとな」


昌彦は靴を脱ぐと、ずかずかと家の奥へと入り込んだ。トオルは引き留めず、後から部屋に入る。


「こんにちは」


引きこもりのロボット部屋にいるのが、あの内穂うちほ依織と知って、さすがの昌彦も度肝を抜かれた。人気のある者、美しい者などとは無縁であると見くびっていたトオル。彼の思わぬ抜け駆けに、昌彦は鬼のような目でトオルを振り返った。


「どういうことだ?なぜ内穂依織がお前の部屋にいる?」


「お前には関係ないだろ。それで、叔父さんの伝えたいことは?」


「おいおい、それどころじゃねぇだろう。これはとんでもないビッグニュースだね」


不敵に笑う昌彦は、軽く目を閉じ、一人で納得したようにうんうんと頷いている。


「なるほどなぁ。お前が一人暮らしをしたがる理由がやっと分かったよ。いやぁ、お前にそんな下心があったなんてなぁ」


「別に、ぼくたちは付き合ってないし、ただのクラスメイトだ」


「お前は本当に嘘をつくのが下手だなぁ。こんなむさ苦しい鉄部屋に引きこもってるお前の家に来るのがただのクラスメイト?どうも説得力に欠けるよなぁ?」


言いがかりにすぎない昌彦の言葉に、依織はムッとして立ち上がり、拳を強く握った。


「左門くんは嘘なんてついてない!私たちは本当に付き合ってないし、あなたの勝手な妄想が気持ち悪いわ」

「内穂さん、こいつに優しさなんて見せても勿体ないだけですよ」


「それは私が決めることですよね?」


昌彦は高校三年間、残念なことに色恋沙汰とは無縁だった。だというのに、他人の家に世話になりながら、その恩を仇で返すように一人暮らしをして、引きこもり状態のトオルが、内穂依織にフォローされるなど、あってはならない。腹の中に、嫉妬の水が沸騰していた。


「内穂さん、悪いことは言わない。あなたはまだ、彼のことをよく知らないだけですよ。あのねぇ、こいつの父親は異端犯罪者ヘラドロクシーで、しかも、今もまだ逃走中の指名手配犯なんです。ろくでなしの息子と付き合ったって、損するのはあなたです。疫病神みたいな奴なんですよ、俺の母親だって、こいつに呪い殺されたようなもんですから」


「呪い?!そんな非科学的なこと言って……」


「根拠ならありますよ。こいつがいつも、ヘッドホンで隠している耳を見れば分かります。こんなの、どう見たってまともじゃない」


 トオルはいつもヘッドホンをしていたので、依織は彼の耳の形を見たことはなかった。だが、事実がどうであれ、依織には昌彦の言葉は、ただの差別であり、迫害にしか聞こえない。犯罪者は父親であって、トオルではないのだ。


「今の言葉、撤回してください」

「俺は事実しか言ってませんから、撤回する必要はありませんね」

「昌彦。それより叔父さんの伝言って何だ?」


 トオルは逸れた話を元の軌道に戻した。


「あぁ。お前の保護権については、学園との面談が終わるところまでと決めたそうだ」


「保護権を放棄するっていうことか?」


「アトランス界の法律では、未成年者の実の親が不在の場合、二親等の祖父母しか保護者として認められないんだと。ま、お前は今年の11月には18歳になるし、成人するんだから、さっさと縁を切らせてもらっても悪くないだろ?」


「そうか。他に話はあるか?」


「だから、このアパートも4月までだ。それまでに片付けてくれよな」


「分かった。要件は以上か?」


「ああ。そういえば、お前がセントフェラストを受けた理由、父さんから聞いたぜ。何度も言ったが、お前が犯罪者の息子である事実は変わらない。たとえ向こうの世界に行ってもね」


 嫌みたっぷりの昌彦の言葉を聞くと、トオルはうるさい虫を払うように目を閉じた。


「ご忠告感謝する。これ以上話がないなら出て行ってもらえないか?」


「ああ、今まさに出ようと思っていたところだ。こんなゴミ部屋、あと一秒もいたくないね」


昌彦は捨て台詞を吐くと、廊下を歩き、靴を履いて玄関を開けた。昌彦が一歩、外へ出た時、トオルの後ろに付いてきていた依織が声をかけた。


「あなた、ちょっと待ちなさいよ」


「俺は左門昌彦です」


あれだけ暴言を吐いておきながら、まだキザなことを言っている昌彦に、依織は頬の筋肉を引き攣らせる。


「あなたは大層おモテにならないとクラスで話題になったことがありますけど、今お会いして、その理由がよーく分かりました。あなた、マジでキモいですよ」


玄関扉が閉じる前、昌彦は虚を突かれたような表情をしていた。


昌彦の去っていく靴音を聞きながら、依織は「何なのよ、あの人」と苛立ち紛れに呟いている。今日の一件で毛嫌いしたようだ。


プリプリしながら依織が振り向くと、トオルは緊張が抜けたのか、気力が尽きたように廊下の壁にもたれかかり、そのまま腰が抜けたように、その場にへたりこんだ。


「大丈夫?」


と、依織はトオルに近寄り、しゃがんで様子を見る。


「すまん、変な事に巻き込んで……」


「あんな酷いことされて……どうして我慢するの?虐待で訴えることもできるでしょう?」


「良いんだ……。昌彦の言ったことは事実だから。彼らに抗ったって変わらない。誰だって、ぼくの耳を見れば、同じ人間とは思わないだろう」


叔父一家との生活は理不尽の連続だった。どんなに叱られてもトオルは我慢したが、高校一年生の時、ついに何か、頭の中で線がプツリと切れた音がした。叔父との大喧嘩の末、酒瓶で殴られたトオルは、一人暮らしを始める決断をした。狭いワンルームの家賃は、アルバイトで何とか凌いでいる。それが、今の彼の暮らしだった。


触れてほしくない話題なのだろうと察した依織は、どんな耳であっても、自分の知っている左門トオルは変わらないのだからと、蒸し返さないことにした。


「左門くん、これからどうするの?」

「どうせあと二ヶ月の縁だ。解放されるまでは付き合うさ」


 依織は、何か彼の力になりたいと思う。


「……仕方ないね。アパートの片付けは手伝ってあげる」

「どうしてそんなことまで?」


依織はそっと目線を逸らし、何かを誤魔化すように笑った。


「試験の日から今まで、私がグラム使いだってこと、秘密にしてくれたから。そのお礼かな」


「別に。話す相手もいなかっただけだろ」


自嘲するようなトオルに対し、依織は手を胸元に置いて強く応えた。


「ううん、ありがとう。それに、もう手伝うって決めたから」

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