ウイルター (WILLTER) 英雄列伝 鉄灰色のプリンスィピアム
響太 C.L.
0.プロローグ ①
空に浮かぶその島の空港は、民間の大型船艦が頻繁に出入りしていた。クジラをモチーフにした船艦の尾の部分には四つのブースターエンジンが搭載されており、エネルギーを噴出しながら遠くへと飛び去っていく。
多数の船艦の往来が臨める、海に面した都市。ここは、ネオ岡山だ。
吉備岡山郡の中心街であるここは、関西中国地方の中で最も大きな国際空港ができたことをきっかけに、今や大坂よりも大きな都市となっていた。
小雪の降る住宅地。ブレザーを着た少女が傘を差して歩いている。呼吸をするたびに細く白い息が上がり、小鼻は冷え切って赤くなっていた。
彼女は一軒のアパートの前で立ち止まると、6階建てのその最上階を見上げる。
カーテンの閉まったその部屋の中に、少年は棲息していた。7.6畳のワンルームには始終、ビビビと機械音が響き、ブラックのデスク上に置かれたスクリーンの光とデスクランプが、部屋の暗さを際立たせている。コタツには、食べ終わった後の牛丼のフードパックやゴミが散乱していた。
少年は、一心不乱にタイピングを続けていた。
首の後ろからは、白いしずく型のハウジングに、角の付いたヘッドホンをかけ、彼の指は高速移動する生き物のように、とてつもないスピードで動いている。どんな感情も宿っていないように見える目は、宙に映るウィンドウに入力されたプログラムタグを追うように、左右に揺れた。
灰皿ほどのサイズのプログラミングアダプタ。その上に、無機質な回路とチップが光っている。彼は今、自身の右側に置いてある、鳥型
彼――左門トオルの巣ごもり歴は長い。しかも、クレッシェンドの音楽記号のように、次第に強くなっていた。年末までは不登校がちながらも高校生活を送っていたが、彼は三年生の残りの数ヶ月を「高校生最後の」と名が付く幾つかの行事に割くことよりも、ロボットのシステムプログラミングに専念することを選んだ。正月休みが終わるとそのまま学校へ行かなくなったのは、そんな理由からだ。
トオルは、自身に備わっているある力をエネルギーにして動くロボットを創ることに、情熱を注いでいる。
その時、インターホンが鳴った。一度目は無視したものの、二度目のベルの音が聞こえると、その煩わしさにトオルは呟く。
「肝心なところなのに。一体誰だ?今日は配達もないはずだろ」
チラリと机に映った時間を見る。17時を過ぎていた。
三度目のベルが鳴り、トオルは観念したように立ち上がる。部屋の入り口にあるインターホンのスイッチを押すと、寒さに顔を赤くした少女の顔が映された。華やかな卵形の顔。セミロングの茶髪。サイドテールにした頭のてっぺんには、金属のカチューシャがスクリーンから見切れている。
「はい?」
「左門くん、こんにちは」
「どうした急に」
その少女の来訪は、トオルを驚かせた。
「約束したよね?まさか左門くん、忘れたわけじゃないでしょ?」
トオルは、マッシュヘアになるまで伸びた鉄灰色のくせ毛を掻いた。
「約束?
「私のところに、セントフェラストの入学試験結果が届いたの。左門くんのところにも来たでしょ?」
「ああ、あれか。たしかに届いたな」
「試験結果が出たら話そうねって、約束したじゃない?」
その話をしたのは昨年の夏だ。ジリジリと焦げ付くような太陽の光をトオルは思い出す。
「分かった、ちょっと待ってくれ。部屋を片付ける」
彼女――内穂
同じクラスのあちらとこちらにいた二人。彼らの人生が交わったのは、去年の夏休み、セントフェラストアカデミーの入学試験会場だった。会場で出会った二人は、試験後、ある約束をした。それは、互いの能力について秘密にしておくこと。そして、試験結果が出たら、また話し合うということだ。
それから秋学期が始まり、トオルは休みがちになり、冬休み以降は全く学校に行かなくなった。
コタツの上に置きっぱなしのゴミや散らかっているものを適度に片付けると、掃除ロボットを起動する。そのロボットは、唯一ウロコを持つ哺乳類として希少なセンザンコウという動物の形を模していた。手早く掃除を済ませると、トオルは玄関扉を開ける。
「どうぞ」
ぶっきらぼうながらも、掃除をしてくれたり、律儀に挨拶をしてくれるトオルに、依織は「お邪魔します」と微笑みかける。
「すまん、スリッパはない」
依織は「良いよ」と言って傘を丸めると玄関に立てかけ、靴を脱いだ。
短い廊下を抜け、トオルが部屋の電気が点ける。後ろから付いてきていた依織は、露わになった部屋の惨状に目をしばたたかせた。
起き出したばかりのようなベッド。シーツはくしゃくしゃとシワが目立ち、脱ぎ散らかしたジャケットが掛け布団に巻き込まれている。あちこちにはプログラミングに関する本が積み上げられたタワー。無秩序に物が散らかったこの部屋は、なぜか机だらけだ。トオルに促されて座ったコタツの他に、スクリーンが置かれたデスクと、もう一つ、テーブルがある。依織は部屋の全容を見ながら、ロボットを創るためのパーツだけは、テーブルの上に整然と並び、きちんと分類されていることに気付く。
「研究室みたいな部屋だね?」
転がっていた座布団を渡されると、依織は窓に背を向けて腰を下ろした。
「悪いな、気付いたらこうなってた」
「パーツみたいに、部屋も綺麗に片付ければ良いのに」
「それは違うな。片付けると取り出すのに手間がかかるだろ?それに、どこに片付けたか分からなくなって物が紛失する」
そう言って、トオルは机の隣にそびえている書籍タワーから何かを探し始めた。
座っている依織のすぐそばまで、手作りのセンザンコウロボットがやってくる。依織は掃除を続けるロボットに目をやり、それから、机の上の鳥型ロボットを見て、不意に呟いた。
「私ちょっと、左門くんが羨ましいかも」
「はぁ」
知性も美も備えた依織から羨ましがられることなど一つもない。トオルは聞き流すように無感情な返事をした。
「今は自己研究レベルかもしれないけど、AIのプログラミングができれば、この世界で普通の大学に進学することだってできるでしょ?仕事にも直結した分野だし。成績が良くても将来何がしたいか分からないで途方に暮れてる私より、ずっと幸せじゃない?」
「……別に、セントフェラストに行きたいのは、仕事のためじゃない」
外気よりも冷たい空気が漂い、依織は自分が地雷を踏んでしまったことに気付いた。
「あっ……。気を悪くしたならごめんね」
トオルはしばらく黙っていたが、「あ、あった」と言って、試験結果の通知を取り出した。
通信が便利になったこの時代において、かえってアナログの書籍や通知は重要視されていた。IT化の加速は常にデータ偽造などの犯罪と隣り合わせであり、さらに前世紀に勃発した戦争により、それ以前の大量のデータが失われていた。それらの教訓から、試験結果のような重要書類については封書として郵送するのが一般的になっている。
羊の皮でできた真っ白な角1号封筒を、トオルはコタツの上に置いた。
レーザーで刻んだ横書きの漢字に並列して、英文や、地球界では見たことのない文字が並んでいる。裏面には10円玉大のボタンが、シーリングワックスのように封をしている。金色のボタンには学園のエンブレムが入っていた。
依織はハッとしたように、自分の鞄から封筒を取り出す。おおよそは同じ仕様のものだったが、エンブレムの文様や、封筒の開け口に入った黒い線など、微妙な違いを見つけた。
「……左門くんは、もう開けた?」
「ああ、合格だった」
「そうなんだ……。封筒、微妙に違うんだね。何か意味があるのかな……」
「未開封かどうかを見極めるためのシークレット処理だろ?僕の封筒も開ける前はその色と紋様だった」
不安げな表情だった依織は、トオルの言葉を聞いて、少しだけほっとしたように眉を下げた。
「そうなんだ、不合格かと思った……」
「まさか、緊張しているのか?」
「だって!この試験に落ちたら、次は七年後だよ?あの学校には若い内に入った方が得だって、知り合いも言ってたんだから」
「そうか。ぼくのような人間が合格できるんだから、内穂さんもきっと問題ないだろ。この前の三者面談にも、ローデントロプス機関の人間がアドバイスに来たんじゃないか?」
『
今、この地球界においては、およそ500人に一人ほどの割合で源使いは存在していた。
ローデントロプスは、アース連邦政府が設立した、源使いを管理する機関だ。世界規模の管理機関であるローデントロプスは、源による犯罪者――
源使いの人口が増える傾向にある現代において、彼らを裏社会の組織幹部として育てたいと企む者も多い。若い源使いが反社会組織に利用されないよう、機関はエージェントを派遣して、特に恵まれた才能を持つ若者たちと接触を図っていた。
依織やトオルのように、力を隠しながら学生生活を過ごしたい者に対しては、事を荒立てず定期的な談話のみで見守り、本人が能力を生かして社会貢献したいようであれば、機関の傘下でヤングエージェントとして、源による犯罪の解決に協力させることもある。どちらを選ぶかは、本人が決めることだった。
この二年半、二人は自分が源使いであるということを隠して学校に通っていた。だが、毎学期の健康診断では
トオルの元にも機関の人間が来ることはあったが、それは本人の才能に関係なく、全く別のある事情からだった。
「そうかな……。でも、やっぱり緊張するよ……」
依織は意を決して封筒の裏書きを見る。依織には読めるが、そこに書いてある文字は、一般人――ガフには読めないものだ。もう一度、深呼吸をして気持ちを整えると、依織は人差し指でボタンを押した。そして、意識を指先の一点に集中する。
体から放出された光が、ボタンに集まっていく。薄い青混じりの、白金色の光が一定量に達すると、ボタンの黒い紋様が金色に変わり、開け口を縫い止めるように入っていた黒い線が消えていった。
「結果は?」
トオルに急かされながら、依織は恐る恐る、中身を取り出す。
白い紙に、漢字と他の二つの言語が書かれた通知書を開くと、「合格」の文字が見えた。さらに2センチほどの厚みのあるガイドブックが入っていた。
「合格…………。良かった……」
依織の目尻に涙がにじんだ。
だが、依織の泣き笑いの表情に、トオルは共感できない様子だ。
「さすがに大袈裟だろ」
「だって、不合格だったらどうしようって思ってたんだもん……。地球界では源使いのための施設はほとんど廃校になっちゃったし、他の選択肢なんて分からなかったんだから。もし落ちたら、どんな顔で親に話そうって……不安でいっぱいだったのよ?」
「内穂さんの両親は源使いなのか?」
「うん。お父さんは地球界の学校を出たみたいだけど、お母さんはセントフェラストの卒業生よ」
親を失望させたくないという依織の気持ちを理解しつつ、トオルは大してめでたくもなさそうな顔で「合格おめでとう」と言った。
「うん、ありがとう……」
指で涙を拭い、つい溢れてしまう喜びを落ち着けて、依織が訊ねる。
「そういえば、左門くんはどんな能力があるの?人によって源気の特徴は違うんでしょう?」
「何だよ急に」
「だって、高校で三年間同じクラスだった私たちが、一緒にセントフェラストに入学するなんて、不思議な運命じゃない?アトランス界のことは全然分からないし、向こうの人は皆、源気を日常的に使うんでしょ?そんな世界に行くって時に、知り合いがいて、お互いの力を知ってるって、心強いと思うんだけど」
トオルはそんなことは考えてこなかった。彼にとっては、どんなに狂った世界よりも、自分自身の存在を受け入れることの方が難しい。それでも、依織の意見に一理あると思ったトオルは、自分の能力を教えた。
「見ての通り、ぼくは源気でロボットを動かせる」
トオルの部屋に視線を巡らせながら、依織は正直、さして珍しくもないと思ってしまった。
「そうなんだ……。それって、普通の機械のコアエンジンとは何か違うの?」
「普通のコアエンジンだと、物質に含まれる源を還元して、電力化することで機械を動かすだろ。ぼくのロボットのパワーユニットは、ぼくが直接的に源気を注入することで動く。物質の還元は必要ない」
「う~ん、つまり、左門くんの能力は、物を動かす力ってこと?」
「そうだ」
依織はふと顔を横に向けて、センザンコウロボットを指さした。
「じゃあ、あの掃除ロボットも、左門くんの源で動かしてるの?」
「動力はそうなるが、動きのパターンについてはいちいち指令を与えず、AIプログラムを設定して、自動で動かしている」
トオルが説明していると、話を聞いていたかのようにロボットが依織に寄ってくる。
「へぇ~。同じ源気なのに、人によってできることは全然違うんだね」
「内穂さんの能力は?」
「私は、源気を一定量集めることで、イリジウム金属を作れるの」
思いがけない依織の能力に、トオルは少しだけ身を乗り出した。
「イリジウムって、元素のか?」
「そう。もっと正しく言えば、源気をイリジウムに変質させることができるの。このカチューシャは、私の源で作ったのよ」
白金色に輝くシンプルな形のターバンカチューシャを、トオルはじっと見つめた。
依織は自分の能力を示すように、左手を差し出した。そして、左手の上に右手を翳し、源気を集中させる。手の周りに光が集まってきて、トオルは眩しくて見えない指の根元を食い入るように見た。
十数秒後、左手の人差し指に、イリジウムの指輪がピッタリと嵌まっているのを見て、トオルは気付かないうちに止まっていた息を深く吐いた。
依織が指輪を外し、手のひらに乗せて見せる。
トオルはそっとつまみ上げ、目の前に翳してじっくりと見た。
同じ源使いであっても、全く異なる性質を持つ能力に、トオルは不思議な魔術でも見たように感嘆の声を上げる。
「これは凄い才能だな」
「そうかな?」
酸でも溶けない金属を作れるなら、様々な物作りの素材として利用できる。依織はまだ、自分の力の活用法を知らないのだと、トオルは思った。
その時、またインターホンが鳴った。
「配達かな?」
「いや、今日はないはずだ」
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