坂口さかぐち、と呼ばれる男がいた。とは言っても、それが本当の名前かは分からない。なのでここでは“彼”と呼ぶことにする。彼が話しているところを見たという人は少ない。大抵の人は彼は喋らないと思っている。それどころか歩く以外の動作の動作を見たこともあるという人はほとんどいないだろう。玉葵ぎょくきと呼ばれる人物は、そのほとんどに入らない、珍しい者だった。彼はよく玉葵の家に来ていたからだ。なぜ彼が玉葵の家に行っているのかは彼自身も知らない。彼は何故かそこへ足が向かっていることが多々あるのだ。玉葵は別にそれを気に留めていない。

 彼は今日も同じように玉葵の家へ向かっていた。彼は家に着くと、玄関を通り、ベランダにある椅子へ腰をかけた。――玉葵の家はマンションだった。5階までしかなく、見た目も古いものだったが、賃貸が安く、家もそこそこ広いため、玉葵は満足していた。彼はしばらくそこに座っていた。太陽が傾き、空が赤くなってきた頃、主人が帰ってきた。彼が来たときにはギシギシなっていた床も、主人が歩くときは大人しかった。玉葵はコートを脱ぎながらベランダにいる彼に向かって言った。

「お。いたのか。久しぶりだな。3年ぶり?」

「4年3ヶ月17日ぶりだ、葵。」

「何処にいた?飯はきちんと食えたか。」

「薩摩まで行っていた。飯は、…恵んでもらった。」

「無一文で行ったのか。良く無事に帰ってきたな。まあ、今ここに無事にいるならいいか。」

 玉葵は久しぶりに友と会えたことを喜んでいた。

「月を探しているのか?今日は新月だから見えないぞ?」

 彼は外を見ていると、月を探していることが多い。彼は月の神秘さが好きらしかった。玉葵にはよく分からない。彼はわかっている、というかのように黙ったまままだ空を見つめていた。寒かったので、玉癸は部屋の中に入ってキッチンへ行き、湯を沸かした。

「君、何食べる?」

 玉葵は彼が何も話さないのを見て、何でも良いと言っているのを見て取った。玉葵はとりあえずあった野菜を切って炒めて食べ物にした。それをベランダまで運び、机に置いた。

「食べるか?」

「ああ。できればお茶も注いでくれ。」

 玉葵は彼の高飛車な注文にも、嫌な顔一つせずに答えた。戻ってきた後、頂きます、といって彼らは少し遅い夕飯をとった。玉葵が適当に作ったものだったが、なかなか美味しかったらしい。二人とも満足そうな顔をしていた。食べ終わった後、片付けをして、夜空の下で話をした。

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