工場と七七日
好き勝手に伸びた雑草の中には、そこに隠すかのように色々なゴミが転がっていた。雨を吸い込んで膨らんだカストリ雑誌や、誰かがまとめて捨てたのであろう竹串や、焼酎でも入れていたらしい瓶までもがあって、そしてその中に「金線組」と書かれた看板もあった。
平屋造りの工場は決して粗末な作りではなかったが、全体的にくたびれたような印象を与えた。それを最も強調しているのは扉に貼られた「忌中」の紙である。会社が買収されたすぐあとに社長が亡くなったという話だから、これはその忌中札であることは容易に想像出来た。だが貼った後にそのまま手入れも交換もしていないらしく、紙は所々破れてしまっているし、文字も滲んでしまっていた。
「まだ忌中なのか?」
「いえ、
指折り数えてチサトが言う。忌中札は基本的には四十九日、七日七回までしか使わない。皇都では廃れつつある習慣であるものの、リショーにもその程度の常識はあった。
「ってことは、この工場は稼働してないってことか?」
「そうなると思います。というよりこの忌中札も剥がす人すらいないのでは……」
そう言いながらチサトは引き戸の扉に手をかけた。すると小さな音を立てて隙間が生じる。鍵が掛かっていないことに気付いた二人は顔を見合わせた。
「どうします?」
「中に入ってみるか」
「そんなことして大丈夫ですか? 泥棒に間違えられたら末代までの恥です」
「アタイは別に恥じゃないね。もし見つかっても着物を直していたとでも言えばいいいさ」
「なるほど。その時には帯を崩すの手伝ってくださいね」
扉をゆっくり開けながら、チサトは念のためといった体で中に向かって「ごめんください」と声をかける。しかし何の答えもないのを確認すると、猫のように扉の隙間から中へと入り込んだ。リショーもその後に続いて中へ入り、素早く戸を閉める。
工場の中はいくつもの作業台や、部品を入れるための籠が積まれている。部品には埃が積もって、いくつかはすでに錆びてしまっているようだった。全体的に空気がこもっていて、長いこと換気すらされていないのが見て取れる。大きさとしては三十坪、一畝というところ。町工場という表現がよく当てはまる。
「ここ、四条界が買収したんだよな?」
「その通りです」
「じゃあなんで工場が稼働してないんだ?」
「恐らく、前の社長さんがこの工場で首を吊ったからではないかと……。少々縁起が悪いですし」
「あぁ?」
リショーは眉を寄せた。
「自殺したのか?」
「そう言いませんでした?」
「死んだってのは聞いたけど、死因までは聞いてねぇよ。あんた、前から思ってたけど説明が幾ばくか足らねぇな」
「すみません。どうも仕事柄、情報は最小限しか話さない癖がありまして」
申し訳なさそうにチサトが答える。表情を見る限り、チサト自身は説明した気でいたようだった。今後は何かの情報を得たら再確認をしよう、とリショーは密かに決意する。
「工場を買収されて自殺したのか?」
「息子さんの話によると遺書はなかったのですが、恐らくは。もしかしたら工場を手放したくないがばかりの最後の抵抗だったのかもしれませんね」
「やりきれねぇ話だな」
だがもし自殺が本当に最後の抵抗であったのなら、一応は成功したと言えるだろう。買収した工場を、四条界は何にも活用出来ていない。買収した金が無駄になったとも言える。
「息子ってのは此処にはいないのか?」
「住居はまた別ですから。それに表の忌中札を見る限り、長らくここには近付いていな……」
チサトの言葉に重なるように、引き戸が勢いよく開いた。そして荒々しい足音と共に一人の中年男が現れる。
「お前ら、そこで何してる! ここはうちの工場だ!」
鼻の頭まで真っ赤にして酒臭い息を撒き散らしながら怒鳴る男を見て、チサトが「あっ」と声を漏らした。
「あれが?」
「はい、キンノ・マサトシ。この工場の元の持ち主の息子さんです」
マサトシは随分呑んでいるのか、おぼつかない足取りで中へと進んでくる。いつ洗ったのかわからない作業着。泥まみれの地下足袋。右へ左へ千鳥足になりながら進んでくる。作業台の横に積んであった籠に衝突して中身を床にぶちまけてしまったが、それも目に入っていない様子でわめき続けていた。
「こ、ここはな。親父が、先祖の、先祖代々の土地に親父が作ったんだ。四条界だかなんだか知らないけどな。てやんでぇ、親父は欺されたんだ」
「キンノさん、落ち着いてください。私です。皇都新聞のサトウです」
宥めるようにチサトが声を掛けるが、どうやら逆効果だった。焦点の定まらぬ瞳で虚空を見上げたマサトシは「サトウだぁ?」と呟くように言った直後、ますます顔を紅潮させる。
「あぁ、サトウ。サトウだ、あのクソ記者が。だからブンヤなんてのは信用出来ねぇんだよ、くそったれ。記事にしますなんて言っておきながら、てんで何も音沙汰ねぇ。ふざけんなってんだ」
「キンノさん」
「おい、無駄だ。このおっさん、お前のことなんか見えてない」
リショーはチサトの袖を引いて、男から距離を取らせる。チサトは男だから、例え相手が暴れ出しても問題はないだろうが、ここまで泥酔した人間は何をするかわからない。生まれ育った十三階でも「馬鹿と酔っ払いほど怖い客はいない」と言われているくらいである。
「畜生。親父はな、お天道様に誓って何一つ悪いことはしてねぇんだ。なのに首なんか括っちまってよぉ。冗談じゃねぇ。首吊ったから工場として使えねぇとよ。ざまぁ見ろ。ざまぁ見ろってんだ……。はばかりさまだい……」
男はそのまま床に座り込んでしまったと思うと、大の字に寝転がって鼾をかき始めた。あまりに突然の出来事にチサトは「あらまぁ」と困惑した声を出す。
「どうしましょう」
「どうしようもねぇな。こっちは酔っ払いのお目覚め待つほど気が長くないんだ。叩き起こそう」
「叩いたところで起きてくれそうにありませんが」
「昔から酔っ払いの起こし方ってのは相場が決まってんだよ」
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