処世術とペテン
リショーがそう言うと、男は乾いた笑いを零した。
「そのようですな。どうにも彼は詰めが甘いところがある。いや、それこそが処世術なのかもしれませんがね。リザエモン氏にも上手く取り入ったと思いきや、その直後に持っていた子会社の一つで不渡りを出した時には驚いたものですよ」
「それはいつ頃の?」
「もう二年も前ですな。手広くやりすぎなんですよ、実際ね。あちらこちらに手を出して、あれでは浮気性というものです」
男は肩を軽く竦めてみせたが、あまり広くない肩幅のせいで礼服が波打っただけにしか見えなかった。リショーは次に何を訊ねるべきか考えようとしたが、何か思いつくより先にチサトが口を挟んだ。
「アコヤ社長とはあまり親しくはないのですか?」
「親しいというほど接点もありませんよ。何故そんなことを?」
男爵は探るような目つきでチサトを見る。しかしチサトは平然と、寧ろその問いを待っていたかのように笑みを浮かべた。
「私は彼女のお母様、つまりアリアさんに頼まれて此処に来たんですよ。アコヤ社長が信用に足る人間なのか調べて欲しい、とね」
「調べるなんて、まるで密偵ですな。君はアリア殿とは懇意なのですか?」
「私はリヨさんの婚約者です。まぁ、そういう意味では懇意とも言えますね。あの花魁アリアのお眼鏡に適ったという点では」
横で聞いていたリショーは、その酷い自画自賛に呆れかえる。ここまで堂々と言い切れるのであれば、死後に閻魔大王の前に立った時でも完璧に自己弁護をしてしまうかもしれない。臆病な男よりは自信を持った男のほうが良い、というのは世間一般的な考えであるが、これはこれで考えものだとリショーは考える。
「アコヤ社長が信用に足る人間であれば、今後とも付き合いを。そうでなければ、もっと有望な人間を探してきて欲しい、とのことです」
チサトの言葉に、相手の目の色があからさまに変わった。今までのどこか陽気なものではなく、抜け目の無い陰湿なものに。表情が変わらないだけに、一種の凄みのようなものすら感じ取れた。
周囲を素早く見回すと、会場の片隅へと二人を連れて行く。そこは二階に続く階段の丁度真横で、明かりもあまり届かない場所になっていた。三人だけになったことを確認すると、男爵は細く息を吐き出してから話し始めた。
「ここだけの話ですけどね。アコヤ君と付き合うのはおすすめしません」
「それはまたどうしてですか?」
チサトが驚いた風に聞き返す。
「先ほども少し言いましたけどね、彼は色々なことに手を出すんです。何故だと思いますか?」
「精力的に活動をされているということでは?」
「とんでもない」
男は大きく首を左右に振った。
「あの男にはね、商才というものがないんですよ。あれならどこかで青っ洟垂らして大根のたたき売りをしている小僧のほうが、まだ商才というものがある」
「商才が、ない?」
「奴は他人の会社やら株やら、そういったものを乗っ取って大きな顔をするのが得意なんです」
いつの間にやら名前すら呼ばなくなった男爵は、口角泡を飛ばさん勢いで話し続ける。
「一体いくつの真面目な会社が、奴のために涙を飲んだことか。奴には商才がないから、商売に対する真摯な気持ちというものがないんです。アリア殿にどうやって近付いたか知りませんがね、きっと碌な手じゃありませんよ。嫌な目を見る前に手を切るんですね」
「なるほど」
チサトがリショーに目配せをした。奇跡的にもその意味を瞬時に察することが出来たリショーは、一歩だけ前に進み出る。
「貴重なお話、感謝いたします。しかし、この話だけを持ち帰れば、母は傷つくことでしょう。母はあれでとても繊細なのです」
大嘘だった。リショーも気が強いが、母の強さは並では無い。そもそも十三階にいた金持ち連中を追い払って乗っ取った人間である。誰かに欺されたぐらいで傷つくくらいなら、次のカラクリの図面を考えるだろう。
しかし「花魁アリア」の実態を知らない人間にとっては、娘であるリショーの口から語られた姿が、すなわち真実となる。男爵もすっかり信用した様子で、同情的な溜息をついた。
「心中お察ししますよ。ですが、ここがどこだかお忘れではないでしょう。シオザキ財閥の夜会ですよ。あんなペテン師なんかよりも、ずっと上等な人間が沢山います」
「例えば、貴方とか?」
その途端、相手は随分と気を良くしたようだった。頬に少し赤みが差して、笑みが頬にまで広がる。しかし肯定の言葉はなかった。それを言うのは下品だと思ってるのかもしれない。もう一押しすれば、きっと仕方なさそうな演技と共に首を縦に振るのだろう。
だがリショーとしては別にこの男の機嫌を取る必要はなかった。情報だけ手に入ればそれで良い。この男をおだてて次の情報を得るか、それとも更に別の情報源を紹介してもらうか。どちらに舵を切るべきか悩んだ時だった。三人の頭上から小さな笑い声が聞こえた。
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