解釈と推測
「……うーん」
相手の話を聞き終えたリショーは眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「結局どっちなんだ? 考えは捨てたのか、それとも捨ててないのか」
「はい?」
「アタイの質問はそこだっただろ。ちゃんと答えないと好きなように解釈するぞ」
「だから、もうどうでもいいんですよ。父の死だって結局は単純なことに違いないんです。私が手帳如きに拘って複雑に考えてただけで」
「どうでもいいなら、なんで記者を続けるんだよ。あんた、本当は父親が殺されたって考えを捨ててないんだろ。でも調べようがなくて、誰も信じてくれなくて、ふて腐れて忘れたふりしてるだけだ」
リショーの指摘はどうやら痛いところを突いたようだった。チサトが短いうめき声を出して、何か異質なものでも見るような目線をリショーに向ける。
「勝手に推測しないでください」
「ちゃんと答えないからだよ。この仕事が終わったあとでよければ、アタイが調べるの手伝ってやる。アタイは不可能カラクリ専門だ。つかみ所のない話には慣れてるからな」
「そんなこと貴女に頼んでいません」
「遠慮しなくていい」
リショーは笑顔で言い切り、そして黒い手袋を嵌めた手を差し出した。チサトは少し考え込んでから、何かを振り払うように頭を左右に揺らし、そしてその手を取った。二人で歩調を合わせながら、鹿冥館の方へと歩き出す。
「あんたのこと、扱いにくい変な奴だと思ってたけど、意外と可愛げがあるな。そういう奴のほうが好きだ」
「私は貴女のことを正直扱いやすい人だと思っていたのですが、評価を改めます」
誰のために作られたのかと思うほどの大きな門を潜り、建物の手前に立っていた執事か家宰らしき男に招待状を渡す。相手は二人の服装などには目もくれずに招待状の中身を確かめ、それから貼り付けたような笑みを浮かべた。
「ようこそ、お越し下さいました。鹿冥館には?」
「これが初めてです。噂には聞き及んでいましたが、素晴らしい建物ですね」
チサトがそう答えると、男は大きく頷いて誇らしげな様子さえ見せた。自分の家や手柄でもないだろうに、褒め言葉を存分に味わっている様子が些か滑稽だった。
「皆さん、そう仰います。中に入ると更にね」
「それは楽しみだな。シオザキ家の方々は既に中に?」
「えぇ。ご挨拶の時間まではまだ少しありますが、運が良ければ会えるかもしれませんね。トウマ侯爵が先ほど入っていきましたから」
「ありがとう」
チサトは短く礼を述べて、リショーを導いた。周囲の人には聞こえないように、リショーは小さな声で囁く。
「招待状さえ持っていれば野良犬だって通しそうだな」
「それだけ、あの招待状には力があるということですよ。あの人、私たちが何者かということには全く興味が無い様子でしたからね。そっちのほうが都合がいい」
「でもこの中じゃそういうわけには行かないだろ。身分の高い御方はアタイたちみたいな庶民とはなるべく関わろうとしない」
「いいえ、リショーさんはアリアさんの名代という立派な身分があります。花魁アリアに繋がりを持ちたい人々はいくらでもいる。場合によってはシオザキの方々とも話を出来るかもしれませんね」
「あんたはどうするんだ?」
「そうですねぇ」
悩むような声が不意に途切れた。建物の中に二人揃って足を踏み入れたためだった。真っ白に塗られた壁。日本建築では考えられないほど高い天井。館内を照らす美しいシャンデリアは、総額でどれほどになるかもわからない高級な窓硝子を照らしている。
一階部分は大広間。その広間の右側から曲線を描いて伸びる階段の上には、バルコニーのように突き出した二階部分がある。リショーはいつだったか版画で夜会の様子を見たことがあるが、それと全く同じだった。否、肉眼で見た方が一層迫力がある。
「鹿冥館にようこそ」
右側から声がしたのでリショーが振り返ると、鮮やかな朱色の着物に白いエプロンをつけた若いメイドが立っていた。ドレスとタキシード姿しかないこの場所で着物は非常によく目立つ。恐らくはメイドを目立たせるための格好と思われた。傍らには銀色のワゴンが置かれていて、その上にワイングラスがいくつも並んでいる。そのうちの一つを手にしたメイドは笑顔と共にリショーへと差し出した。
「主人のふるまいです。ご遠慮なく」
「……中身は?」
つい訊ねてしまったリショーだったが、メイドがきょとんとした顔をしたのを見て、あまりよくない質問だったことに気がついた。恐らく上流階級の人間は、振る舞われた飲み物の内容など聞かなくてもわかるか、わからなくてもわざわざ確かめたりしないのだろう。
「えっと……スイートワインです」
「あぁ、失礼」
チサトが横から口を挟んだ。
「彼女はワインに煩いんですよ。その味覚といったら、婚約者である私の立場がないほどでね。あまり悪く思わないで下さい」
リショーは驚いてチサトを見るが、チサトは小さな手振りだけで口を閉ざしているように告げてきた。
一方のメイドはと言うと、急に端正な男に話しかけられたためか顔を赤くしている。それを誤魔化すかのように少し俯いて、もう一つのグラスをチサトへと渡した。
「悪くなんて、そんな」
「このワイン、赤玉ではなさそうだ。もしかしたらシオザキ財閥で作っているのでしょうか?」
「は、はい。その、そのように、聞いています」
次の客が入ってきたので、メイドは慌ててそちらへと向かう。何故か顔の赤いメイドに出迎えられた招待客は少し驚いた顔をしていた。リショーはそれを一瞥したあと、傍らにある脇腹を軽く肘で突いた。
「なんであんたがアタイの婚約者なんだよ」
「夫のほうが良かったですか?」
「そういう意味じゃ無い」
文句を言うリショーに対して、チサトはワインを一口飲んだ。
「いいワインですね。蜂蜜みたいな味がする」
「おい」
「男と女が夜会に来るのですから、関係性は明確にしておかないといけないと思っただけですよ。まさかその辺で引っかけた男、なんて言えないでしょう」
「言えるか。アタイは身持ちが堅いんだ」
「でしょうねぇ」
何か可笑しかったのかチサトが小さく笑う。それにリショーは口を尖らせた。
「どうせ男っ気もなさそうな女だって思ってんだろ」
「いえいえ、別にそこまでは。でも今の格好はとてもよく似合ってますよ」
「あの貸衣装屋に散々仕立て上げられたからな」
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