バッスルとコルセット
その時のことでも思い出しているのか、イサムは少し鼻を啜り上げた。
「五年前だから、まだあの子は十五か六でねぇ。母親はあの子を産んですぐに亡くなったし、親類らしい親類もいなかったから、随分苦労したようだよ」
「なるほどな」
五年前に十五、六だとすれば、やはりリショーと年は変わらない。同い年か一つ上と言ったところだろう。あのおっとりしているようで強引なところや、他人を振り回して平然としているところは生来の物だと思っていたが、もしかすると親を喪ってからの苦労の中で身につけたものなのかもしれない。
「此処にはあいつはよく来るのか?」
「記者の仕事で色々な場所に行くだろう。その場所に相応しい格好をしなきゃいけないって時にね。ただ知り合いを着飾れっていうのは初めてだよ。……緑色のほうがいいな」
ドレスの山とリショーを見比べながら話していた男は、どうやらその間に方向性を決めたようだった。
「女にしては少し背が高いから、袖が膨らんだものはよくないな。それに主役や主賓でもあるまいにレースがゴテゴテとついたのも品がない」
「よかったよ。レースやリボンだらけのドレスでも着せられたら暴れてるところだ」
「そのあたりの分別はある。ちょっと腕を水平に持ち上げてくれ」
言われた通りの格好になると、男は軍服のポケットから綺麗にまとめた巻き尺を取り出してリショーの肩から指先までを測った。
「腕が長いな。いや、身の丈から考えると妥当か。全く最近は男も女もどんどん背が高くなって……」
「栄養がいいんでね」
「だとすれば、あと百年後にはそこらじゅうに身の丈八尺の人間ばかりが歩くようになるだろうな。よし、これにしよう」
イサムが選んだのは深緑色のドレスだった。腰の後ろにボリュームを持たせたバッスルスタイルのもので、スカートの裾にはレースを使う代わりにギャザーを寄せることで控えめながらも華やかさを出している。最近流行りの、服の下ではなく服の上に装着する装飾コルセットまでついていて、それはリショーを少し閉口させた。
「なんかコルセットが服の上にあるのって、違和感なんだよな。下着みたいなもんだろ、これ」
「装飾用のコルセットだ。綺麗に見えるように作られているのに何か不満でも?」
「別に不満ってほどじゃないけど、そのうち下着姿で外を歩くのが流行しそうで嫌なんだよ」
「ファッションというものは時にグロテスクに変貌する。下着姿で歩き回るのが流行るころには、服を重ねて着ることが恥ずかしいとされるだろうよ」
ほら、と店の奥にある更衣室を示されたリショーはドレスを抱えてその中へと入った。一応ドレスの着方ぐらいはわかっているが、かといって好みでもないものを着るのは気が進まない。しかし、これは仕事だと自分に言い聞かせて着替え始めた。
「そういえば」
着替えている最中に、外から男の声がした。一緒に衣擦れの音もするので、先ほど選定されては脱落していった衣装を片付けているのだろう。
「名前を聞いていなかった」
「名乗る必要が?」
「山猿と呼ばれ続けたいなら止めないけどね。ただ、こっちもこれ以上チサトに怒られたくはない」
「まぁアタイも猿扱いは御免だな。S・リショーだ」
「本名か」
「母親が酔狂な人間でね。本人はサチなんて普通の名前なのに、アタイには西洋かぶれにもなりきれない名前をつけた」
へぇ、と面白がるような相槌が聞こえた。
「チサトの友達らしいといえば、らしいな」
「だから友達じゃない。仕事の関係だ」
「あの子はちょっと向こう見ずなところがあるから心配だ」
男はそのまま違う話を始めた。リショーは丁度自前のワンピースを脱ぎ捨ててドレスに袖を通し始めたところだったので何も言葉を返せなかったが、お構いなしに話は続く。沈黙の中で服を着替えるのはどうにも具合が悪いので、リショーとしては相手が喋り続けることに不満はなかった。
「あの子は自分の父親は殺されたと思ってるんだ」
「殺された?」
ただならぬ言葉にリショーは、相手の顔など見えないのに思わず更衣室の中で振り返ってしまった。
「事故なんだろ?」
「あぁ。さっきも言った通り事故だよ。でも丁度あの時にサキチは大きな事件を調べていてね。その最中だったもんだから、チサトはそう思い込んだんだろう」
「事件ってのは?」
「さぁ。何しろサキチが記事にしないまま死んだからね。チサトなら多少は知っている筈だが……まぁ、こう言っては冷たいかもしれないが、そこまで興味もないからね」
突然父親を喪ったチサトが、何を考えてそんなことを主張したのかはわからない。イサムの口ぶりからすると、ただの妄言、あるいは子供の思い込み程度にしか思っていないようだった。
だがリショーは探偵としての仕事柄、「殺された」という言葉が気になって仕方なかった。チサトが何の考えもなく、感情任せにそんな言葉を使うとは信じがたい。まだ出会って一日も経っていないが、思いつきで行動するような人間には思えなかった。
「あんまり無茶をしないように見ていてくれ」
「約束は出来ないけど、心には止めておくよ」
ドレスを漸く着ることが出来たリショーは、そのせいで少しぞんざいな返しをしつつも更衣室から出た。そこで待ち受けていたイサムは、再びリショーの頭から爪先までを見回すと、表情は変えぬままで口から長い息を吐いた。
「予想はしていたが、このままだと雨ざらしの孔雀みたいだな。まぁ化粧をして髪を巻けばマシになるだろう。さっさと座りな」
今度は更衣室近くの鏡台を示されたリショーは、ドレスで少しきつくなった肩を竦める真似をした。相手の評価が上がるまで、まだ時間がかかりそうだった。
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