第四幕 夜会と二人

電車と街路建築

 アサクサからギンザまでは乗り合いバスか路面電車で移動するのが一般的である。どちらにするか悩んだ挙げ句に二人が選んだのは路面電車の方だった。悩んだことに大した理由があるわけではない。単に好みの問題である。


「路面電車のほうが趣があります」


 木製の座席に腰を下ろしたチサトは両手を口の前で合わせながら嬉しそうに言った。一両編成の車内には、ラジオの音が途切れ途切れに響いている。


「新聞記者は速さ重視かと思ってたけどな」

「急ぐのは現場に行くときと筆を走らせる時だけです。それ以外はゆっくりしませんと、人生があまりに早く回ってしまいます」

「均衡を取ってるってことか。それで、ギンザのどこに行くんだ?」

「まずはドレスを用意しませんと。十三階にあったドレスは……、その、あまりに」


 口ごもる様子を見てリショーは首を左右に振った。


「気を遣わなくてもいいよ。娼婦じみてるって言うんだろ」

「そこまでは。ただ夜会向きではないのは確かです」

「だろうな。でもドレスを仕立てるには時間がかかるだろう?」

「えぇ。それにとんでもないお金が掛かります。貸衣装を使うのです」


 窓の外には店が軒を連ねている。遠目からだと外国の絵はがきで見るような垂直な壁が続いているように見えるが、それはただの見せかけだった。昔からの家屋の前に垂直な壁をもう一枚括り付け、そこにタイルを敷き詰めたり金属で飾ったりしているに過ぎない。丸い屋根も洒落た菱形の窓も、近くで見ればただの板である。街路建築と呼ばれるこの手法は、タイショー時代になってから一気に普及したものだった。リショーが車窓から見たとき、丁度「貸衣装屋」の看板を括り付けた店が視界を通り過ぎる。


「アタイもあんたも平均より少し背が高いけど、大丈夫か?」

「多分問題ありません。そもそも私は自分の衣装を持っています」

「あ、そう」


 肩すかしをくらった気分だった。金がないからと万年筆を担保に差し出したのに、夜会に行っても恥ずかしくないような服を持っているというのは意外だった。ただもしかしたら父親が存命のころに仕立てたものかもしれない。そういうのはよくある話だが、父親がいないリショーには関係なかった。


「それより、リショーさんの言葉遣いのほうが問題です」

「一応、それ相応のしゃべり方は出来る。長続きするかは別だけどな」

「街中ならまだしも夜会では目立ってしまいます」

「だったらアタイは黙ってるから、あんたが代わりに喋ればいい」


 投げやりに言うと、チサトは困ったような顔をした。しかし電車が止まる気配がすると、リショーを促して立ち上がる。


「このあたりに良い貸衣装の店があるのです」

「高くないだろうな?」

「それは交渉次第ですね」


 降り立ったのは駅からほど近い場所にある繁華街の一角だった。アサクサほどではないが、こちらも人が多い。上品な身なりをした男女が、時間など気にしていないかのように優雅に歩き回る姿も見られた。

 建物もさきほど車窓から見た街路建築とは違い、外国風の煉瓦建築で統一されている。店に並ぶものもモダンで、アサクサなどでよく見かける乾物屋や豆腐屋などはどこかに追い出されてしまっているようだった。


「いつ来てもここは居心地が悪い」

「そうですか?」

「あんまり性に合わないんだよ。まぁ普段、特に用事もないしな」

「今度、デパートが出来るそうです」


 先を歩きながらチサトが言う。


「デパート?」

「色々な店が入った商業施設です。これまでは大根を買うなら二丁目の八百屋、本を買うなら三丁目の本屋、など移動しなければいけなかったのが、デパートに入るだけで何でも揃うように」

「デパートは知ってるよ。百貨店だろ。どこに作るのかって思っただけだ」

「シオザキ財閥に聞いてみればよろしいかと」

「またかよ。何でもかんでもシオザキ、シオザキ。そのうち井戸の水だって独占しかねないな」

「洒落にならなそうなところが怖いですね。此処です」


 チサトが足を止めたのは小さな二階建ての建物の前だった。他と同じように煉瓦造りの店構えで、中には所狭しと服が積み上げられたり吊されたりしている。中に入ってチサトが声をかけると、四十半ばの男が現れた。着ているものはくたびれて色あせた軍服とスタンダードカラーのシャツだが、足元のブーツだけは随分上等な品のようで飴色に輝いている。日本人らしからぬ通った鼻筋に眉下がくぼんでいることで飛び出して見える両目。既に白髪の目立ち始めた髪を惰性で長く伸ばし、首の後ろ辺りで無造作に束ねているのが妙に似合う風貌だった。


「チサトか。また何か要り用か?」


 見た目に似合わない甲高い声で男が話し始めた。


「ちょっとお願いがあるんです。この方に似合う夜会服を見繕っていただけませんか、イサムさん」

「何?」


 イサムと呼ばれた男は、リショーの方に視線を向けた。少し猫背気味であるが身長は高い。この服の山に埋もれて生きているうちにそんな姿勢になったのではないか。リショーはそう勘ぐった。


「夜会に行こうってのか。それともそういう催しものか?」

「本当の夜会です。まだ未婚の方なのでそれ相応に華やかに。でも目立ちすぎないようにお願いします」

「目立つもなにも、どこからこんな山猿みたいなのを連れてきたんだ」

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