華族と平民
シオザキ、とチサトが呟く。さっきもその系列たる印刷所のことを話題にしたばかりだった。
「またですか。随分手広く商売をなさっているのですね」
「金を増やすのが趣味のような男だからね、あそこの頭領は。四条界は元は民間会社だけど、随分金を積んで系列に入ったはずだ」
「あら、それでは肩身も狭かったことでしょうね」
少し可笑しそうにチサトが口元を手で隠す。リショーがどういう意味かと訊ねるより先に、手の内から説明が続いた。
「シオザキ財閥は基本的には一族経営。御本人たちは由緒正しき華族、側近とされる方々もやんごとなきお家柄ばかりです。それに対してアコヤ社長は平民ですから」
「身分違いってことか」
「そういうことです。財閥に加わるために八方手を尽くしたことでしょうね。それこそ胡麻が粉になって吹き飛ぶぐらいに擂ったに違いありません」
「だろうな。あるいは胡麻を擂るために、擂り鉢で誰かの頭を殴る真似をしたかもしれない。調べる価値はありそうだけど……」
リショーは眉を寄せた。財閥というのは、当たり前だが建物や施設を指す言葉ではない。巨額の富を持つ一族が経営する全てのものを指す。一つの会社を調べるだけなら、そこに直接乗り込むなり周囲に聞き込みをすれば良い話しであるが、それとは全く訳が違う。そもそも会社経営だの財閥だのとは無縁に生きてきたリショーは、何をどこから調べれば良いのかも皆目見当がついていなかった。
困り果てて母親を見ると、仮面の形が無機質なものに変わっていた。細く開いた目の部分と、笑っているでもなければ怒っているわけでもない、微妙に左右が歪曲した口の部分。アリアが同じような表情を仮面の下で浮かべているのか、あるいはカラクリが人間の微妙な表情の変化をくみ取れなかったのか。どちらにせよアリアが次に発した声は、仮面によく似た無感情だった。
「財閥の連中に話を聞きたいなら、どうにかしてやろうじゃないか」
「出来るのか?」
「出来るとも。積極的にやりたいわけでもないけどね。こういう稼業をしていると、知り合いたくもない連中や欲しくもない物が寄ってくるものさ。タイムマシンが本当にあるなら、片っ端から
アリアが手を三度叩く。天井の穴が開いて、長い腕がゆっくりと降りてきた。手のひらには白い封筒が載っている。アリアは自分の眼前で手が止まると、その封筒を取った。
「シオザキ財閥の家長が、今日の夜に
「なんでそんなものを?」
「客の忘れ物だよ。今となっては忘れ物かどうかも怪しいね。今日まで取りに来ないんだから」
その時のことを思い出したらしく、アリアは苛立ったように息を吐いた。
「座敷にいる時にも、やたらとシオザキのことを口にしていたからね。この招待状で私をおびきよせようとしたのかもしれない。笑いなさい、娘よ。母はどうやら夜会の招待状で浮かれるほど若いと思われているようだから」
「笑うほど面白い話題でもないな」
「名前が似ているからシオザキの方々がお会いになれば喜ぶだろう、なんて言っていたよ。冗談じゃない。名前が似ているだけで仲良くなれるなら、先の戦争は起きなかっただろうね」
リショーは笑って何か返そうとしたが、羽織の裾をチサトに軽く引っ張られているのに気付いて視線をそちらに向けた。
「どうした?」
「リショーさんの名字は「S」ではないんですか?」
「そんな名字認められてないだろうが。アタイと母様の名字はシオだよ」
「シオ?」
急に調味料の名前が出たためだろう。チサトがきょとんとするのを見て、リショーは「ほらな」とうんざりした声を出した。
「一発で伝わらないし、何度も聞き返されるのも面倒だからイニシャルにしてるんだよ」
「まぁ確かに珍しいですね」
「あんまり好きな名字じゃないから呼ぶなよ」
釘を刺してリショーは立ち上がると、母親の方へと近付いた。招待状の入った封筒をこちらに差し出した格好のまま、取りに来いとも何とも言わなかったためである。言わない時には好きにして良い、というのが親子の間の不文律だった。招待状を取るのも取らないのも、リショーの意思に任されている。
「折角だから貰っておくよ」
そう告げてから封筒に手を掛けたリショーだったが、少しだけ抵抗があった。封筒を持つ母親の手に力が入っているようだった。
「母様?」
「社交界のルールをお前が知らないようだから、一応教えておこうかと思ってね」
「ドレスを着て化粧をしろってんだろ。それぐらいは我慢するよ」
「女だけで行って良い場所じゃないんだよ。お相手というのが必要なんだ」
お相手。それが何を指すのかは言わずもがなだった。結婚している者は伴侶を連れてくるだろうし、そうでない者は恋人を連れてくる。リショーにはそのどちらも存在しなかった。
だがリショーは狼狽えることはしなかった。寧ろ想定通りだとばかりに微笑む。
「それもなんとかなるよ。仲間内で恋人や夫婦の振りをするなんてことも多いし」
対象者の尾行を行う時に探偵仲間の男に恋人として振る舞って貰うことなど珍しくもなかった。大抵の人間は女が探偵をしているなんて思わないし、男と一緒にいる姿を見て怪しんだりすることもない。
リショーの笑みを見たアリアはやがて指に入れた力を緩めた。封筒は指の間をすり抜けて、リショーの手の中へと移動する。
「あの記者と上手くやるんだね」
「勿論、あいつの相手も探す」
「違うよ。あっちのほうがお前よりもまだ知識がありそうだ」
結局、最後まで仮面の表情は同じだった。
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