被害者と殺し屋

「そうですねぇ」


 チサトは袂から小さな手帳を取り出した。手のひらに収まるほどの大きさで、袂に入れても衣服の形が崩れるようなものではない。レースの手袋の指先が動いて、一枚ずつ紙を捲っていく。やがてそれが止まると、チサトは「あぁ」と呟いた。


「そういえば、二ヶ月ほど前にアコヤ・セイゾウ氏が一度殺し屋に襲われたことがあると言っていました。酒の席でのことで、後で口止めされましたが」

「誰だそれ?」

「今回のタイムマシン事件の被害者の方です」


 リショーはそれまで自分が、被害者の名前を聞いていなかったことに気がついた。タイムマシンのことに気を取られすぎて忘れていたのか、あるいはカフェーで聞いた気分になっていたのかはわからない。だがどちらにせよ探偵としては失態としか言えなかった。今日はずっと何かに振り回されているような気がしてならなかった。かといってそれを口にすれば母親にまた何か叱責をくらうことも明らかである。


「どこかの取締役だったか?」

「はい。「四条界しじょうかい」という会社ですね。主にカラクリで使う通信導線を取り扱っておりまして、私はそこの不祥事を暴くために取材を」

「その一環で酒の席にも行ったのか?」

「えぇ。酒の席は重要な情報源です」

「女がいてもいいのか?」

「え? でも芸者さんは沢山いましたし、女人禁制とも書いていませんでしたよ」


 だとしてもあまり良いことではないだろう。リショーはそう思ったが口にはしなかった。自分とて探偵として、女が出入りしないような場所に忍び込んだり、仲間の伝手を頼って入ることはある。


「不祥事ってのは……」

「詐欺疑惑です。会社ぐるみの」


 チサトは自分が取材した内容を手帳に全て書き留めているのか、真剣な表情で字を追いながら話す。


「いくつかの会社を買い取って導線を作らせているのですが、その買収があまりに強引かつ不自然だと以前から言われていまして」

「不自然?」

「業績不振の会社に、最初は委託生産の話を持ちかけるんです。要するに本来は親会社で作られる製品の一部を代わりに作らせて、契約費だけを収めさせる形ですね。これ自体は色々な会社で行われていることです。でも四条界が委託生産を持ちかけた会社は、全て一年も経たないうちに買収されています」


 饒舌に話しながら、チサトは前髪を少し掻き上げる仕草をした。前髪が特別長いというわけでもないので、何か考え事をする時の癖なのだろう。ただリショーのような断髪ならまだしも、チサトのように結い上げた髪には似合わない。


「調べたところ、どの会社も「契約違反」によって多大な賠償金を背負わされていました。四条界はそれらの賠償金を帳消しにする代わりに会社をただ同然の値段で買収しています」

「契約違反ってことは、何かヘマをしたってことか」

「簡単に言えばそういうことですね。委託生産された導線はそのまま市場に出回るわけではなく、一度親会社の方で検品されます。その時に不良品が多かったり、あるいは取り決め通りに作られていないものが多々あったりしたとかで」

「それがいろんな会社で発生したってことか。確かにそりゃおかしいな」


 えぇ、とチサトは頷く。


「でも怪しいというだけでは記事には出来ません。うちは仮にも大手新聞社。入念な調査と正確な情報が売りですから。なのでアコヤ社長に近付いて少しでも裏付けを取ろうとしていたのです」

「自分の会社が疑われてるってことぐらい、社長もわかってただろ。よくまぁ近づけたな。アタイなら門前払いしてる」

「経営者としては新聞記者と繋がりを持つのは決して悪いことではないのです。大きな声では言えませんが、その会社に不利な情報は記事にしないとか、広告をなるべく沢山載せるとか、そういう取引をしているところも多いので」

「あぁ、なるほど。……それより」


 話が少し脱線してきたことに気がついたリショーは、殺し屋の話題に戻ろうとした。だがそれより先にアリアが口を挟む。


「殺し屋に襲われたことを口止めしたってことは記事にはされなくなかったってことだろうね」

「経営者としての弱みにもなりますから、当然かと」

「それだけじゃない。多分、誰が殺し屋を差し向けたか心当たりがあるんだろうよ」


 仮面が動いて、薄笑いを浮かべるような形に変わる。


「もし心当たりがなかったら、新聞社や警察に言うだろうからね」

「警察はわかりますが、なぜ新聞社も対象になるのですか?」

「新聞で大きく取り上げてもらえれば注目が集まるし、そうなると殺し屋は手出しがしにくくなる。昔からよく使われる手法ですよ、新聞記者さん」

「はぁ……」


 チサトのほうはあまり納得していない様子で小首を傾げる。


「心当たりがあっても同じ手法を取るような気がしますが」

「まともな会社の社長ならそうだろうな」


 母親の薄笑いを、正確には仮面の形を見ながらリショーは呟いた。


「誰が殺し屋を差し向けたかわかっているなら、それを逆手にとって脅しをかけることも出来る。あるいは自分も殺し屋を雇って、そいつを殺すことだって可能なわけだ。アコヤって社長がそれを目論んでたなら、絶対に記事にされることは避けたかっただろうな」

「でも実際にはアコヤ社長は死体で発見されています。脅しは失敗したということでしょうか」

「そういうことだな。となると怪しいのは四条界、またはアコヤ社長に恨みを持っている人間ってことになるけど……」


 調べるのは骨が折れそうだ、とリショーは素直に考えた。強引な買収を繰り返したということは、それだけ恨みを買っている可能性がある。それに会社の運営以外で恨みを買っているかもしれない。それを全て調べるというのはなかなか難しい話だった。


「念のため聞くけど、アコヤ社長に殺し屋を差し向けてもおかしくないような人間って目星はつくか?」

「犯罪記事は私の専門外でして……。あくまで会社の不祥事を調べていただけですから」


 困ったように眉を下げるチサトに対して、リショーは溜息をついた。


「まるっきりわからないって訳じゃないだろ。色々調べようはあるはずだ。それこそ、どこかの酒の席にでも潜り込んで情報を集めるとか、買収された企業を調べて回るとか」

「後者はまだしも前者は伝手がありませんと」

「ただの例えだよ。兎に角、やることが……」


 その時、アリアが不意に手を叩いて話を中断させた。


「母様、何か」

「四条界って名前、どこかで聞いたことがあると思って考えていたんだよ」

「導線の会社だから、何かで見たことはあるんじゃないか?」

「そうじゃないよ。確かその会社、シオザキ財閥の系列の筈だ」

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