仮説と想像
母親の言葉に、リショーは一理あると思ったためチサトの方に顔を向ける。チサトは呆然とした様子で自分の前に置かれた温い紅茶に視線を注いで黙り込んでしまっていた。
「おい、平気か?」
「……え? あぁ、はい」
我に返った様子でチサトが何度か頷く。その時には二本の腕は天井に戻っていくところだった。現れた時と同じように歯車の音を響かせ、しかし目的を失った手首から先は完全に脱力したように左右に揺れながら天井の穴へと消えていく。
天井の扉が閉まるとほぼ同時に、チサトが大きく息を吸い込んだ。
「い、今のは何でしょうか?」
「大したことないカラクリ仕掛けだよ」
本当に大したこともなさそうにアリアが答えた。
「手の打ち鳴らした数に応じて、腕が動く仕組みでね。今はあんな大きなものでしか動かせないが、いずれはティーポットそのものに仕組みを取り込もうかと。例えば駅の公衆電話から指示を出すと、帰るころには暖かい紅茶が用意されている、なんてことを考えているというわけで」
「そんなことが可能なのですか?」
「小型化と汎用化の課題があるけども、まぁ難しい話ではありません。この子が好き好んで追いかけてる不可能カラクリに比べたらね」
仮面の形が変化して、両目が極端に細くなる。
「新聞記者がわざわざこの子の元を訊ねたのならば、不可能カラクリに関する知見を得たいのでしょう。生憎私はあぁいったものに興味はありませんけどね、カラクリについては多少知っているし、娘の客人を追い返さないだけの礼儀も持っているつもりです。どうして娘と一緒に行動しているのか説明してくれますか」
「それならアタイが」
「お前は黙っていなさい」
にべもなく言われたリショーは、それでも素直に引き下がった。代わりにチサトを肘で軽く小突く。
「母様は機嫌が悪いらしい。嘘や誤魔化しをしたら追い出されるから注意しろよ」
「そんなことは致しません」
「新聞記者の十八番だろうが」
「それは受け取り側の問題です」
チサトはレースの手袋を嵌めた手を口の前で揃えて微笑んだ。
「それよりも花魁アリアとお話出来る機会を大事にしませんと。記者たるもの常に泰然とし、誠実であるべきですから」
「さっきはアリスターたちに驚いてたくせに」
その指摘にチサトはわざとらしい咳払いをした。驚く姿を見せてしまったのが悔しいのだろう。存外可愛いところもある、とリショーは変なところで感心した。
「どこからお話すればよろしいでしょうか」
「さぁね。こっちは何がどこから始まっているかもわからない。記者なら記者らしく話すもんだよ」
「それも道理ですわね」
チサトは少し考え込んでから、説明を始めた。それはカフェーで聞いた内容と殆ど変わりはなかったが、話し方や言葉の選び方が違っていた。リショーに話すときには興味を惹かせるのが主軸にあったが、アリアにはわかりやすい説明をすることを主軸にしているためだろう。その証拠に「不可能カラクリ」という言葉を、全く勿体ぶらずに口にした。
「なるほど、タイムマシンねぇ」
仮面の表情が歪む。不快を表している様子だったが、まだ完成形ではないためだろうか。街角の道化師がおどけているような顔にも見えた。
「いかにも娘が好きそうな話題ですね。公衆電話に死体を転がして警告というのも洒落ている」
「アリア様はタイムマシンについては否定的ですか」
「自分で作れそうにないものに興味はありませんのでね。あんなのは絵描きや物書きにでも任せておけばいい。よっぽど高尚で完璧なものが出来る」
しかし、とアリアは続けた。
「いきなり出てきた死体や、掛かってきた電話についてはまだ考える余地があるね」
「複数犯が死体を運び込んだことを想定しているのですが、私たちの行動をずっと監視して、電話をどこからか掛けるのは難しいかと」
「それはアタイが言った」
リショーはそこで漸く口を開いた。
「死体云々は置いておいて、実際に人の行動を遠くから監視して電話をかけるカラクリなんてのはあるのか?」
「今はないね」
返事はにべもなかった。
「理論的には可能だけど、実現させるにはダンスホールが埋まるぐらいの大がかりな装置が必要になる。まぁ将来的には可能になるだろうさ。手のひらに収まるぐらいの電話が出来ればね」
「そんな小さい電話機、どうやって耳に当てるんだよ」
子供の人形遊びで使うような小さな電話機を想像しながらリショーが言うと、アリアは可笑しそうに笑った。
「別に形なんかいくらでも変えられる。必要なのは機能であって見てくれじゃない。ただまぁ、今の電話機の形が合理的なのは確かだ。目は物を見るためにあり、耳は音を聞くためにあるからね」
「また意味分からないこと言い出したな……。となると、アタイたちに電話を掛けてきたのはやっぱり複数犯で、監視用の人間と連絡用の人間で分かれてたってことになるのか」
「そんなことをしなくたって、もっと簡単な方法があるだろうに」
アリアは脇息に肘をついて、手の甲で顔を支えるような格好になりながら言った。
「もう一つの電話室から掛ければいいだけだと思うけどね。二人とも右側の電話室は見たのかえ?」
「……あ」
リショーは思わず呟いた。盲点としか言えなかった。電話室の扉は、今思えば右開きだったから、死体が転がり出た時点で扉を閉めることが出来なくなった。そのため右側の電話室の扉が塞がれる形になっていた。
「でも、それなら右の電話室から声がするはずだろ」
「いいえ」
否定を飛ばしたのは隣に座ったチサトだった。
「あの電話室、扉が分厚く出来ていました。リショーさんと私は殆ど同時に二つの電話室を使いましたけど、互いの声は聞こえなかったはずです」
「そういうことか。じゃあもしあの時、右側の電話室を開けていたら……」
「お前たちも始末されていたかもしれないね」
溜息交じりにアリアが言った。
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