第三章 花魁とカラクリ
仮面と腕
その声に、少しうつむき加減にしていた女が顔を上げる。途端に後ろにいたチサトが小さな引きつった声を出した。それもそのはずで、女には顔がなかった。真っ白な卵の殻のような仮面をつけていて、そこからいくつもの線が伸びている。それらは結い上げられた髪に刺さった笄にも絡みつき、操り人形が急に顔を上げたような、そんな印象を与えた。実際、仮面の下から続く首の皮膚や着物の袖から出た手などを見なければ、一見でそれが人間であると認識するのは難しい。
「はい、お帰り」
女が声を出した。それと同時に仮面に切れ込みが生まれる。丁度目の部分に二つ、口の部分に一つ。それが笑っているような形に変わった。
「おや、お友達かえ」
右目の部分が円形になりチサトを見る。チサトはまだ驚いた表情のままだったが、それでもなんとか最初の衝撃からは立ち直った様子で姿勢を正した。
「皇都新聞のサトウ・チサトと申します」
「これはご丁寧に。そんなところに立ってないで、こちらにお座りなさい」
女は自分の前を指した。客用の座布団が一つ置かれている。リショーはそれをチサトに勧めて、自分は畳の上に直接腰を下ろした。
「連絡も無く帰ってきて悪いね、母様」
「家に帰るのに連絡もなにもないだろうに」
「その仮面はまた新しい玩具か?」
リショーの問いに対して、花魁アリアは小さく笑った。
「面白いだろう。この仮面はね、薄くて丈夫な紙を四千と五百三十八枚重ねているのさ。内側に集音器を取り付けていて、声を発すると導線を伝って後ろにある機械に声が届く。声の高低をカラクリで判定して、今度はそれに応じた信号を仮面に返す。その信号によって仮面の形が変わるんだよ」
「何に使うんだよ、そんなもの」
「まぁ何に役に立つかなんてのは、一人が考えても詮無きこと。少なくとも客や、娘の連れてきたお友達を驚かせるくらいには使えるさ」
不意にそこで、チサトが声を発した。
「あの、よろしいですか?」
「はいはい、どうぞ」
「あの、あなたがリショーさんのお母様なのですか?」
「父親には見えないと思うけどね。それに娘と目元なんかはそっくりだと言われるのに」
「残念ながら目元が拝見出来ないもので……」
何故か申し訳なさそうに言うチサトの姿がリショーには可笑しかった。
「つまりリショーさんは十三階の生まれ育ちということでしょうか?」
「まぁ私が此処に住んでるからねぇ。生憎この子はご覧の通り、男相手の商売にはとんと向いてなくて。客を連れてきたのだって今日が初めて。お茶でも入れましょうか」
それを聞いたリショーは「おい」と母親を制止した。此処での「お茶」は座敷代のことを指す。差し出された茶を一口でも飲めば契約成立。安くもない座敷代を徴収される。
「客じゃないんだから、女相手にお茶代稼ごうとするなよ」
「全くお前は四角四面にしか物を捉えられないんだからね。ちょっとは柔軟に物事を考えたらどうだい」
チサトが聞いているにも関わらず、アリアは母親としての口調で苦言を呈し始めた。
「カラクリに興味を示したと思ったら、不可能カラクリなんぞに夢中になって、挙句に探偵業なんか始めるんだから呆れかえるよ。探偵なんかお前には向いていないって何度も言った筈だけどね」
「向いているかどうかはアタイが考えることだ。大体、不可能カラクリに興味を持ったのは母様の影響だからな」
「いい歳して何でもかんでも親のせいにするんじゃないよ。こっちは娘が嫁のもらい手もなさそうなことに目を瞑って好きにやらせてやってるんだから」
リショーはそれに閉口する。奇想天外な発明を得意とし、それに相応しい言動と格好を好む母親であるが、娘であるリショーには普通であることを望む傾向にある。それが親心であることはリショーも十分承知はしていたが、生憎と生まれ持った性分は素直に親心に従うことが出来ない。
「それで?」
アリアは脇息から体を離し、座布団に座り直しながら訊ねた。何に対する問いかリショーが理解出来ずにいると、アリアは面倒そうに仮面の下で溜息をついた。
「いきなり記者なんて連れて帰ってきて、何の用事かと聞いているんだよ」
「……少し聞きたいことがあって」
「長い話になるのかい」
「それなりに」
「じゃあやっぱりお茶でも出さないとね。あぁ、心配しなくても金なんか取りはしないよ」
そう言ってアリアは両手を自分の肩より少し上で叩いて鳴らした。
「アリスター、ハベリスター。お茶を出しなさい」
ガコン、と天井から音がした。黒塗りの板が二箇所垂れ下がっているのが見えた。蝶番を使って開閉出来るようになっているのをリショーは知っているが、チサトは無論知るよしもなかったためだろう。横で身を強ばらせたのが見えた。
歯車やぜんまいの音が不規則に鳴り、それに合わせて何かが天井の穴から現れる。それは大きな手だった。人間と同じ五本の指と広い手のひらを持ち、そこから手首と腕が続いている。しかしそれは人間のものだと言うにはあまりに大きかった。手のひらだけで赤ん坊の背丈ぐらいはある。肌も異様に青白いうえに硬質な輝きを持っている。知識のある人間であれば、蝋と和紙とセルロイドを使って作り上げたものだとわかるが、知らない人間からすれば人間と人形の間のような不気味な質感のものにしか見えない。
アリアの右側から降りてきた腕は、白いティーカップを親指と人差し指で摘まんでいた。手首の関節を器用に動かしながら、カップを一つづつ二人の前に置く。左側から降りてきた腕はカップと揃いの薔薇の模様が入ったティーポットを中指と人差し指でひっかけるように持っていて、随分と時間をかけながらではあったが、二つのカップに紅茶を注いだ。
「はい、どうぞ」
「時間かかるからやめたほうがいいと思うんだけどな、これ。ほら、すっかり温くなってる」
「いちいち文句の多い子だよ。自分だけ先に飲まないでお客様に勧めるんだね」
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