最上階と花魁
「あぁ、だから先ほどの方は「太夫」と」
太夫は、花魁の最高峰に与えられる役職名である。即ちここでは太夫と言えば花魁アリアのことを指す。
歴史上は百年以上前に既に廃れた呼び方であるが、文明開化に抗おうとした懐古主義者によって掘り起こされた。それが文明開化の象徴たる十三階で使われているのは一種の皮肉とも言える。
「花魁アリアは有名ですね。何でも突拍子もないカラクリ技術を作るのに長けているとか。あの方であれば不可能カラクリも可能になる、だなんて政治家の先生が言っていたのを聞いたことがあります」
「つまりその先生は此処の世話になったことがあるってわけだ」
「まぁそうなりますわね。アリアは十三階から外には出ないようですから」
「そんなわけないだろ。普通に外に出ることもあるよ。化粧落として服も着替えるから誰にも気付かれないってだけだ」
リショーは小さく笑う。
「花魁なんて年でもないんだよ。でも十三階の地位を確立した立役者みたいなもんだから、誰もその足を引っ張れないってだけで」
「目上の方への礼儀は大事です。それに昔の栄光だけで居座っているならまだしも、アリアは未だにカラクリ職人としては現役なのでしょう?」
「現役も現役。男の相手よりカラクリの相手してる時間のほうが長いぐらいだ」
最上階に行き着くと、リショーはすぐ目の前にある扉を見やった。上等な木で出来た扉は完全に閉ざされてはおらず、木の楔によって少し開いた状態を保たれている。扉の中央部には平たい太鼓のようなものが取り付けられていて、そこからカラクリに使う銅線が伸びていた。太鼓の中央を叩くと、中に仕込まれていた鈴が軽やかな音を立てる。
『お入・り・くだ・さい』
急に頭上から声がしたので、チサトが驚いたように小さな声をあげた。天井に仕込まれた音声再生装置からのものだったが、初見の人間は大抵似たような反応を示す。
「驚きました」
「部屋がある程度大きいからな。どこにいても来客がわかるようにしてるんだよ。この太鼓を鳴らすと中に音が伝わる。そんで、壁にあるカラクリを操作すれば人工音声が流れる」
「便利なものですね。呼び鈴とはまた違うのですか」
「将来的には簡単な音声会話も出来るようにしたいって言ってたけどな」
扉の中は外側の西洋らしい煉瓦作りとは異なり、まず最初に小さな土間があり、そこにいくつかの草履や靴が揃えられていた。すぐ右手には羅紗で出来た衝立が置かれて目隠しとなっているが、その向こう側には簡易的な台所が見える。真っ直ぐに続く廊下の左右には閉ざされた襖が並んでいて、それらは十分に高価なものではあったが、あまりに日本式だった。
「他のお部屋もこのような形なのですか?」
「住居人の趣味だな。確かヨーロッパの城風にしてる所もあった筈だ」
二人は靴を脱いで中へと入り込む。リショーは迷うことなく廊下を真っ直ぐに進み、チサトは少し不安そうに後ろをついてきた。高い背丈を恥じるかのように背中を丸めているのを見て、リショーは肩を竦める。
「大丈夫だよ。急に取って食われやしないから」
「こういう場所は初めてなんです」
「こっちは住居だっての」
柱や天井には導線や金属部品、それを支えるための鎹などがいくつも見られた。これらは殆ど、この部屋の住人であるアリアが設置したものである。たまに鼻をつく削り立ての木の香りは、どこかの襖の奥に作りかけのカラクリ仕掛けがあるためだろう。家具や道具とカラクリを組み合わせるのをアリアはよく好む。自動開閉する襖、気温によって扇ぐ速度を変える団扇。実用化されたものは多いが、それ以上に失敗作も多いと聞く。
「リショーさんはアリアとは親しいのですか?」
「まぁな」
「後学のために聞かせて頂きたいのですが、そういう方々とはどのようにつなぎを取るのでしょうか」
「仕事熱心だな。アタイに聞いても参考にならないぞ」
リショーは素気なく答えた。
「さっき言っただろ。此処には年に二回ほど来るって」
「えぇ」
「来るのは盆と正月だ。実家に顔を出すには丁度いい頻度だろ」
「……実家?」
唖然とする相手を余所に、リショーは廊下の突き当たりにある赤い襖を開いた。一般家庭にあるものとは異なり、その襖は重い。それは中に黒檀と綿を詰め込んでいるためだった。防音装置を兼ねた襖を開ききれば、中から琴と三味線の音が溢れ出す。
その部屋は十三階という俗世から切り離された場所に相応しい面持ちをしていた。壁と天井は真っ黒に塗りつぶされ、左手にある障子は障子紙ではなく色つきのセロファンが貼られている。そちらは客が出入りするためのもので、今はきっちりと閉ざされていた。造花で飾られた洋灯が畳の上に置かれているのは、まだ日が高いためである。日が沈むころになると壁に刻まれた溝に沿って洋灯が動いて位置を変える仕組みだった。造花はそれを制御する導線を隠すためで、しかし部屋の内装とよく合っている。
リショーは右側、つまり客からすれば部屋の奥へと視線を動かす。一段高くなった場所に高級な紫の大座布団と、肘を乗せるための脇息。脇息にもたれかかるようにして座っている人間の、派手な赤い着物の袖が部屋の黒によく映えた。
「ただいま戻りました、母様」
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