表口と裏口
リショーは可笑しそうに口元を緩めた。
「事件を調べて脅しを受けるなんて初めてじゃないけど、ちょっとそこいらの事件とはわけが違うな」
「私も脅迫を受けたことは何度かありますが、このようなのは初めてかも知れません。大体は事件を調べて、関係者に聞き取りを行うか、裏付けをしている時にされますので」
でも、とチサトは続けた。
「なぜ次に行くのが十三階なのですか?」
「あそこには最新のカラクリ技術が集まってる。最近は足を運んでなかったが、もしかしたら遠くから誰かを監視したうえで電話をかける技術なんてのも出来てるかもしれない」
「あぁ、聞いたことがあります。十三階には何人かの「花魁職人」がいて、最新鋭の技術を日夜研究していると」
チサトは新聞記者らしい整った文章を口にした。恐らくどこかで読んだか、あるいは自分でも記事として書いたことがあるのかもしれない。
十三階を乗っ取った女たちは、己のパトロンたちだけを頼りにしたわけではない。十三階に組み込まれた当時最新のカラクリ技術を自分たちで学び、それを発展させて、頭の固い学者たちでは思いつかなかった活用方法をいくつも生み出した。そして政府や専門機関に技術を売ることにより、そこに存在し続ける権利を得た。公然の秘密となっているが、映画館における自動再生音源装置は、元は客に睦言を聞かせるために十三階で作られた物である。
「しかし花魁に会うのは至難の業と聞きます」
「だろうな。近所の花売りに会いに行くんじゃないんだ。それなりの礼儀と金は必要になる」
「花代に出来るようなお金は持っていないのですが……」
不安そうに眉を寄せたチサトに対してリショーは笑みで返した。
「それより女が十三階に入れるかどうか、ってのを気にしろよ。まぁ安心しろ。これでも色々伝手はある」
十三階の入口まで辿り着いたリショーは、まずは入口に立っている守衛に挨拶をしてから裏口に回った。正面入口は客か、あるいは客を連れてきた女たちのためのものである。それ以外は皆裏口を使う。
正面入口は造花などで華やかに飾られていたが。裏口はと言うとその名にふさわしく日も殆ど当たらない暗く湿った雰囲気を保っていた。ゴミを捨てるための大きな木桶に、その匂いを誤魔化すための大きな蓋。煙草の吸い殻が集められたブリキの箱。所帯じみた洗濯竿に恥じらいもなくかけられた赤襦袢。
裏口の前には年老いて背中の曲がった老婆が桶をひっくり返した上に座っていた。茶色い木綿の着物に、妙に派手なつぎあてをしている。彼女は所謂洗濯婦であり、十三階から出るあらゆる衣服を洗うことを生業にしている。派手なつぎあては不要になった女たちの衣服の切れ端なのだろう。白髪混じりの髪を流行遅れのひさし髪にしているのが哀愁を誘うが、皺の中に埋もれた両目は生き生きとした光を持っていた。
「やぁ、ハマ婆さん」
リショーが声をかけると、老婆は顔を上げた。
「おやおや、珍しいね。また太夫のところかね」
「あぁ。今は空いてそうかな?」
「さっき襦袢を二枚ほど預かってきたところさ。今はお部屋でくつろいでるだろうね」
老婆の目がチサトを捕らえた。
「そちらは?」
「ちょっとした知り合いだよ」
「へぇ。ちょっとした。まぁよろしくない風体の男を連れてくるよりはマシだよ。最近の女どもは節操もなく青瓢箪みたいなのを連れてくる」
自分の言葉に納得するように老婆は頷き、そしてチサトを値踏みするように眺め回した。暫くして気が済んだのか、歯の抜けた口を笑みの形に変える。
「嬢ちゃんの知り合いにしては上出来だよ。十分にここで通用するね」
「別にここに叩き売ろうってわけじゃないんだ。寸評はよしてくれ」
「あれ、人聞きが悪いね。ここに入る人間を見極めるのも、私の仕事さ。まぁ太夫に会うなら早いほうがいい。またいつもの気まぐれを発揮しないとも限らないからね」
「話し始めたのは婆さんだろ」
リショーはそう言って老婆の脇をすり抜け、裏口の扉を開いた。途端に白粉と香水の混じった香りが鼻を突く。それはすぐ傍に置かれた箱に積み上げられた衣類の山から漂っていた。まだ洗われていない着物は、一仕事終えたといわんばかりにやる気もなく色気もなく乱雑に混じり合っていた。
十三階の裏口はいつもこんな匂いがする。表の華々しさとは真逆の、煉瓦を積み上げた壁の寒々しさだけが残る小エントランス。右手側には螺旋階段があり、女たちはそれを使って自分たちの部屋に出入りする。部屋にも序列が存在し、下に行けば行くほど部屋は狭く花代も安い。そして上に行けば行くほど花代は釣り上がっていく。
「てっきり表から入るのかと」
「女が表から入るときには、客を引っ張ってこないといけないんだよ。それにアタイたちはここで働いてるってわけじゃないしな」
「皆様はここに通いで働いているのでしょうか」
新聞記者の性なのか、チサトは質問を重ねる。
「下層部は通い。中層部は通うのと住み込みが半々。上層部は殆どが住み込みだな」
「ということは住居になっているのですか?」
「その方が何かと便利なんだよ。特に上にいる花魁職人たちにとっては」
螺旋階段に足をかけ、ゆっくり登り始める。階段は木と金属を組み合わせて作られているため、急いで登ると音が響く。
「今からお会いになるのは?」
「最上階に住んでる、アリアって花魁だよ」
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