アサクサと提灯

 行き交う人々は赤や黄色の派手な着物を身に纏い、たまに通り過ぎる人力車はそれに負けじとばかりに花柄や雲柄の幌を張っている。色の洪水とでも表現すればよいだろうか。祭りの華々しさを全てごった煮にしたような光景は、アサクサでは日常でしかなかった。センソウ寺の大きな提灯は青色に輝いたり、緑色に輝いたりと目まぐるしく色を変え、すぐ下を通り過ぎる人間たちの目を、どうにかおかしくしてやろうと企んでいるようにすら見える。人混みに紛れてそれを見たチサトが「まぁ」と声を出した。


「噂には聞き及んでいましたが、あれがオーロラ提灯というものですか。どうやって色を変えているのでしょう」

「別に大した仕組みじゃねぇよ。山門の中に硝子の色だけ変えたランプを並べて、それぞれに黒い箱を合わせてるんだ。その箱を一定の時間で上下させると、色がついた光が提灯の下に取り付けた鏡に反射して色がつくって寸法だ」

「箱の制御はカラクリによって?」

「細かい仕組みはアタイも知らないけどな。きちんと分単位で動くようになってるらしい」


 神社から逃げ出した二人が訪れたのはアサクサだった。チサトは何も言わずにここまでついてきてくれたが、そろそろ先ほどのことについて言及すべきだとリショーは考えた。何も仲良く観光に来ているわけでもないのだから。そうして提灯から視線を外すと、右隣を歩くチサトを見やる。


「さっきの件だけどな、いくつかわからないことがある」

「遺体がどこから現れたか。電話の相手の目的は何か。ということですか?」

「それともう一つ。相手はどこから電話をかけてきたか」


 二人はなるべく声を小さくしていた。周りには人が大勢いて、自分たちに興味を向けるとは思わなかったが、話題が話題である。少なくとも年頃の女が死体だの殺人だのと軽々しく口にするわけにはいかない。文明開化によって女性の社会進出が叫ばれて久しいが、今でもこの国における女性の地位は低いと言って差し支えなかった。男に従い、頭を垂れ、どれほど優れていようとも家の跡取りにはなれないし、優れているとも認められない。


「公衆電話に対して電話をかけることは、番号さえ手に入れれば難しいことじゃない。でもアタイたちが電話室の傍を通る時を見計らって電話を掛けなきゃ意味がない。下手すりゃ素通りして山を下りちまう」


 あの呼び出し音は決して大きな音というわけではなかった。本当に二人が電話室の近くにいなければ聞き逃してしまっただろう。


「電話を取らせること自体はそれほど難解ではないかと」

「まさか死体を電話室において、山を下りて、どこからかずっと電話を鳴らしてたってのか?」

「いえ。そもそもリショーさんは死体を置いた人間と電話を掛けてきた人間が同一人物だと考えるのですか?」


 チサトの問いにリショーは言葉に詰まる。状況から考えて、というよりほぼ直感的に同一人物だとばかり思っていたが、確かに言われてみれば別々の人間の可能性もあった。


「甲氏と乙氏といたしましょう。甲氏は私たちが現場を見ている間に電話室に死体を入れ、どこからか私たちを観察し、現場を離れたところで犯人乙氏に合図を送る。犯人乙氏はその合図を受けて電話を掛ける。こう考えればしっくりきませんか」

「まぁしっくりは来るかも知れないけど……、何のためにそんなことしたんだ?」


 チサトの推理は筋が通っていると言えたが、リショーにはどうしても納得出来ない部分があった。犯人が一人にせよ二人にせよ、あまりに手間が掛かりすぎている。


「もしアタイたちに警告をしたいだけなら、現場を見ている間に鳥居のところに手紙でも置いておけばいい話だろ? なんでわざわざあんなに凝ったことをする必要があるんだよ」

「……確かに」


 そういってチサトは何度か瞬きをした。リショーはそのまま話を続ける。


「最初アタイたちが電話を使った時、死体なんて何処にもなかった。そのあとアタイたちは現場を見たが、何時間もいたわけじゃない。犯人はその間にどこかから死体を引っ張り出してきたことになるが、もしどこかに隠していたなら、そのまま隠し続けりゃいいだけだろ? どうしてアタイたちに見せるような真似をしたんだ」

「それは、事件を調べるなという警告ではないでしょうか」

「そのために発見者を殺した? そりゃ妙だろ。アタイたちは今日知り合ったばかりなんだ。それもたかだか一介の探偵と記者。わざわざ急いで死体を作って、手間のかかる脅しをする意味がわからない」


 二人の前を人力車が鈴の音を鳴らしながら通り過ぎていった。センソウ寺からアサクサ公園の間は人の往来を無視するように人力車が凄まじい速さで行き交う。理由は簡単なことで、アサクサ公園のすぐ近くに十三階が建っているからだった。観光地には相応しくないとされる建物を、人夫たちはまるで存在しないかのように通り過ぎる。特に身なりの良い男性が客の場合は尚更で、客側から人夫にチップを渡して「妻に見えないように早く通り過ぎてくれ」と頼むこともしばしばだった。

 リショーは赤くそびえる十三階に目を向けた。こうして外から見ると西洋建築の上品な建物にしか見えない。知識者たちはその建物を恥だのなんだの言う癖に、土産物の絵はがきを露店で買うときには、十三階が描かれたものをまるで偶然かのように買っていく。幼い頃から見慣れた光景は昔も今も変わらない。


「大体、アタイたちが今までやったことなんてカフェーでお茶飲んで、神社に行っただけだぞ? 何か重要な手かがりを手に入れたわけでもなけりゃ、関係者に話を聞いたわけでもない。その辺の野次馬とやってることは一緒だろうが」

「言われてみれば、手の込んだことをしてまで「邪魔だ」と警告する意味がわかりませんわね」


 顎に右手の人差し指と中指を添えて、チサトは首を傾げた。


「誰かが私たちの行動を監視、または把握して、その行動を止めるために警告をした。言葉にすればたったこれだけですが、謎が多すぎます」

「アタイたちに調べられると困ることが向こうにはあるってわけだ」

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