第二幕 神社と電話室
川と神社
スミダ川は広い川である。夏ともなれば芸者を引き連れた金持ちが屋形船を引き回して涼を取り、春には漁師が小舟を出し、秋にはススキの穂で川岸が黄金に染まり、冬にはそれらを一掃するように冷たい空気だけが流れる。
「あら、今日は十三階がよく見えますよ」
神社に続く階段の途中で後ろを振り返ったチサトが言う。川の対岸にそびえ立つ大きな赤い建物は、正式名称は
十三階は上の階のほうが少し細くなっていて、屋上の部分はいかにも西洋趣味の鋭角な飾りで縁取られている。カラス除けのために付けられたらしいが、そこを当のカラス達が快適な寝床にしている事実を考えれば、建築士の目論見は失敗に終わったと断言できるだろう。
「十三階には行くのか」
「入ったことはないですわ。興味はあるのですけど」
「まぁ記者には垂涎ものの場所だろうな」
アサクサには昔から遊郭や湯屋が多くあり、あまり治安の良くない場所として有名だった。政府がその中心となる位置に十三階を建てたのは、そういった土地の空気を一新するためだったのだろう。しかし遊郭の女性達は勇ましく強かだった。彼女たちは自分たちのパトロンを上手く利用して丸め込み、逆に十三階を乗っ取ってしまった。今では大人の男達が「十三階に行く」と言えば、女性達は揃って眉を寄せるのが当然の反応となっている。
「建設当時に取り込まれた最新のカラクリ技術。それを利用した他には類を見ないカラクリ遊郭。最上階に住まう花魁には、政府の要人たちも日参するとか。一度取材をしてみたいものです」
「お嬢さんが物見遊山で行く場所じゃない」
「リショーさんは行ったことがおありですか?」
「まぁ年に二回くらいだな」
「探偵さんは色んな場所に行かれるのですねぇ」
チサトは感心した声を出す。
「私もそれなりに色々な場所を回っている自負はあったのですが」
「仕事によるだろ。アタイだって国会議事堂なんかには行ったことねぇよ」
「それは私もありませんわ。あぁいうのは、キャップの仕事です」
「きゃっぷ? 上司のことか」
「まぁそんなものです」
長い階段を上りきった先に、神社の鳥居が立っていた。色はくすんだ赤色で、雨風に晒されてたために細やかな傷がいくつもついている。鳥居に寄り添うように置かれた背の低い石柱に、大胆な字体で神社名が彫られていた。
「クロサギ神社? 変わった名前だな。シロサギ神社ってのならよく見るけど」
「シロサギは神様の使いですから全国に同じような名前の神社が沢山あります」
チサトは袂から出した小さな手帳を捲りながら言う。手袋をつけたままなのでやりづらそうだが、外そうとする様子はない。リショーは自分だったら即刻で中指の先辺りを歯で噛んで脱いでいるだろうと考えた。昔から女性的な振る舞いにはあまり縁がない。恐らく生まれ育ちが原因だとは思うが、それを恥じたこともなければ改めるつもりもない。
「クロサギ神社は、その神様の使いであるシロサギが長い旅で疲れた羽を洗うために訪れた池があるんです。旅に疲れたシロサギの羽は汚れて真っ黒。だからクロサギというわけです」
「なるほどね。随分きれい好きの神様が祀られてそうだ」
鳥居の先には短い参道があり、左右には石灯籠が並んでいた。そしてそこから少し離れた場所には小さな社務所とそれに寄り添うように置かれた木製の大きな箱が二つあった。
「あら、此処にも電話室がありますね」
チサトが箱を見て嬉しそうに言った。電話室とはその名の通り、電話をかけるためのものである。箱は大人一人が入れるほど広く、中には電話機と小さな机が取り付けられている。
「丁度良いので、社の方に連絡をしてきます」
「アタイも一応、伝言がないか確かめようかな。偶に依頼があるもんでね」
リショーはそう言ったものの、それは半ば見栄だった。横に並んだ二つの電話室のうち、左側の扉を開けて中へと入る。細い金具で出来た鍵を締めてから、リショーは目の前にある電話機を見た。黒く塗られた直方体の箱の上に銀色の装置が置かれている。それは新型と呼ばれるもので、神社に置かれるにはいささかハイカラだった。
繁華街で主に見かけるのは旧型と呼ばれるもので、それは壁に箱が括り付けられていて、電話を掛ける際には箱に取り付けられた円形のダイヤルを回し、話すときには同じく箱についている送話器に向かって話しかけ、聞くときは箱から繋がっているラッパ型の受話器を耳に当てる。新型はダイヤルこそ同じであるが送話器と受話器が一体化している。最近カフェーや役所で見られることが多くなってきた代物だった。
「神社ってのはそんな儲かるもんなのかね」
リショーはそう呟きながら銀色の受話器を持ち上げた。円盤に複数の穴が空いた番号板に指を掛ける。十八桁の番号を入力し終えると、掠れたラッパを鳴らすような音が短く聞こえ、それから人工音声に切り替わった。
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