依頼料と担保

 実際、今までのチサトの言動はその考えを裏付けている。リショーの神経をわざと逆撫でし、名前と素性を知っていることを匂わせ、簡単には逃げられないようにカフェーに誘い込んで、「不可能カラクリ」の話を出した。こちらの思考が追いつく前に行動をして他の選択肢を潰す。完璧な誘導行為と言えるかもしれない。


「なるほど、それだけ聞くとタイムマシンの出番のように聞こえるな」

「慎重なお答えですね」

「昔から思慮深いほうでね。今与えられた情報だけで解釈するのなら、「誰かが被害者を殺害または拉致をしたうえで、百年以上前にタイムマシンで移動をして、神社が建つ前の地面に埋めた」ってところか」

「えぇ、そうです。これぞまさに不可能カラクリではありませんか」


 意気込むように身を乗り出すチサトをリショーは少し冷めた目で見返す。


「アタイが、その通りね、ってあんたのお手手を握ってくれるような人間だと思って声を掛けてきたわけじゃないだろ」

「手を繋ぐのは良いことですよ」

「だろうな。政治家たちもよく繋いでる」


 それで、とリショーは相手が開きかけた口をその言葉で封じた。


「なんであんたはその事件を調べたい? アタイの職業や仕事の傾向を持ってきてごまかせたつもりかもしれないけどな、肝心要のところを聞いてないんだよ。あんたがこの事件を追う理由はなんだ」

「理由ですか」

「上司から命令されたわけじゃないだろ。もし社命によって調査をするなら、きちんと名刺と菓子折でも持って、アタイの事務所まで来ればいいんだからな。つまりこの事件を調べるのは、あんたの個人的な興味だ。違うか?」


 少しだけ沈黙が訪れた。チサトは考え込むように首を傾けていたが、やがてそれを止めると浅い溜息をついた。


「なるほど、流石探偵さんというべきでしょうね」


 その声と眼差しは、今までのどこか芝居がかった、人をむやみに持ち上げようとするものではなく、落ち着き払ったものとなっていた。


「半分は正解です。これは私個人の興味による調査です。しかし半分は違います」

「違う?」

「元々、私はある財閥会社における不祥事を調べていました。亡くなったのは、その会社の取締役。私が、不祥事の中心人物だと目星をつけていた方です」

「なるほど。そいつを追っていたら死んでしまって、しかもそれが不可能カラクリを使ったとしか思えない死に方だったってわけか」

「はい。しかし社の方針としてはこれ以上の不祥事の追及は止めるべしと。恐らく財閥の方から圧力がかかったものと思われますが、その程度でペンを折っては新聞記者の名折れ。不祥事の方が調べられないなら殺人事件として調べようと思った次第です」

「そういうことか」


 リショーは溜息をついた。要するにチサトにとってこれは、圧力をかけてきた財閥に対する一種の挑戦に違いない。命知らずと言えばそれまでであるが、リショーはそういう人間が嫌いではなかった。


「試すような真似をして申し訳ありません。でも私はどうしてもこの事件の謎を解き明かしたいのです」

「別に申し訳なく思ってくれなくてもいいよ。試されるのはよくあることだ。それよりもっと重要なことがある」

「なんでしょうか?」


 不安そうな目を向けてくる相手を見て、リショーは少し機嫌を良くした。さっきまでの人を振り回そうとする態度よりは、よほど良い。


「依頼料だよ、依頼料」


 テーブルの天板を指の関節で軽く叩きながら言う。


「あんたの事情がわかったからといって、タダ働きをするつもりなんかないんだよ。いくら出せるんだ」

「う……」


 途端にチサトは眉を寄せて視線を逸らした。新聞記者というのは周囲から見れば華やかに見えるが、給与が安いというのは有名な話である。チサトの手袋のほつれなどが、それを如実に表しているだろう。


「最終的にかかる費用についてはその時に精算としても、先立つものがなきゃ調べようがないだろうが。不可能カラクリってだけで尻尾ふって飛びつくようには出来てないんでね」

「そうですよねぇ。そう言うと思ったんです」


 短い溜息がチサトの口から零れた。


「正直に話しますと、あまりお金はないんです。何しろ貧乏なものですから、取材対象に見くびられないために服装を整えるのに手一杯で。で、でもどうにかお金は工面しますので」

「いつまでにだよ。アタイとあんたはさっき知り合ったばかりだぞ? そんな口約束で納得するか。どうしても今用意出来ないってぇなら、担保でも用意しろ。どこの銀行でもそうしてるだろ」

「担保……。担保になるようなものは……」


 チサトは自分の体を両手で探るような仕草をして口ごもっていたが、やがて袂に右手を置いた時に表情を明るくした。袂の中に手を入れて、そこに入っていた細長い革製の袋を取り出す。


「私が担保に出来るものですと、これぐらいしかないのですが」


 袋の中から出てきたのは、螺鈿細工の赤い万年筆だった。細やかな牡丹の模様が施された蓋は使い込んだことによる光沢は出ているが決して傷んでいるわけではなく、大事に保管されていることが一目でわかる。持ち手の部分には薄い銀色の金属片が埋め込まれ、そこに「S・S」とイニシャルが刻まれていた。


「万年筆か。かなりの高級品だな」

「はい、父であるサトウ・サキチが皇軍で記者をしていた時に准将の方に気に入られまして。その方の武勇伝を新聞に載せた際に頂いた品となります」

「親子揃って記者ってことか。見たところ五十……、いや、百円はしそうだな」

「はい、父も百円は下らないと」


 一般家庭の平均月収が十円であることを考えると、相当な高級品である。チサトの父親はさぞかし良い記事を書いたのだろう、とリショーは推測した。そうでもなければ記者に高価な万年筆など与えない。


「でもこれ、親父さんのじゃないのか?」

「いえ、父は亡くなりましたので。私が形見に頂きました」

「そうか。そりゃ悪いことを聞いたな」

「リショーさんはお父様は?」

「存命だよ。ただまぁ死んだとしてもアタイに何か形見が来るとは思えないな。妾の子なもんで」


 リショーは万年筆を革袋に入れると、羽織の袖の中へと入れた。


「一応、これは担保として預かっておく」

「では交渉成立ということでよろしいですか?」

「よろしいな。あんたの口車に乗ったようで癪だが、アタイもこの事件には少し興味が出てきたんでね。調べられるだけ調べてやるよ」


 まだ残っていた緑茶を一気に口の中に流し込む。これからのことを予期させるかのように、その茶の味は苦くて温くて、舌の上へとまとわりついた。

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