可能と不可能
口元は笑みのまま、しかし眼差しは挑戦するような色を帯びる。リショーはそれを真っ向から受け止めて、まずは一度鼻で笑った。
「本気で言ってんのか」
「まぁ可能性がある、というのが正確な表現です。貴女は不可能カラクリ専門の探偵さんでしょう?」
「別に専門にしたつもりはないけどな。そういう事件を選んでいるのは確かだ」
不可能カラクリとは、簡単に言えばこの世に存在しない技術のことである。文明開化から早百年。元より創造性に富んだ国民性により、カラクリを登場させた本やら浮世絵やらが数多登場した。創作物は現実の縛りを受けることなく、実現不可能と思えるようなカラクリをいくつも生み出した。
例えば遠くの土地から自分の菩提寺の墓参りを行う機械、機械と融合した人間兵器、スクリーンから飛び出して観客の目の前で俳優達が演技をするキネマなどがそれにあたる。それらは創作物の中だからこそ存在を認められているが、時としてそういったカラクリが実際に現れた、見た、聞いた、という事件が発生する。
リショーが探偵として関わる事件の半数は、その不可能カラクリに絡むものだった。
「一応聞かせてもらおうか。その不可能カラクリってのは何だ? ヨコハマの博覧会に出品されたエアスクリーンのことだったら、あれはとっくに調べが……」
「タイムマシンです」
静かに告げられた言葉にリショーは口を噤んだ。丁度そこに給仕の女性が緑茶の入ったティーカップを二つ置いていく。チサトは給仕に丁寧に礼を述べてから、中の緑茶を一口飲んだ。
「博覧会に出ていた子供だましの手品よりは、貴女の興味を惹けるんじゃないでしょうか」
「タイムマシンが目撃されたって言うのか?」
「違います。タイムマシンでも使わなければ実行不可能な殺人事件が起きたのです」
殺人事件。穏やかではない単語にリショーは少し考え込み、それから溜息をついた。
「新聞記者さん。あんた、タイムマシンってのが何かわかって言ってるんだろうね?」
「勿論です。時空と空間を移動し、過去や未来を自由に見ることが出来る技術のことですよね」
「そうだ。タイムマシンについては今までも何度か仕事が持ち込まれたことがあるけど、全部ガセネタだとわかるような依頼内容だった。何しろ……」
「肉体的移動を伴わない、不可能カラクリの原則を無視した話だった?」
思ったよりも頭の回転が速い相手にリショーは戸惑いながらも頷いた。
カラクリは人体に関与出来ない。それは常識でもあり、護らなければならない境界線でもあった。自らの脳をカラクリ化するとか、機械の部品を己の体に入れるとか、そういったことを人間は好まなかった。そもそも人体のほうがネットワーク技術よりも遙かに複雑であり、実現するにしても何十年と実験を繰り返さなければならない。例え物好きな一個人がその実験に手を出したとして、生きているうちに実現することは出来ないだろう。
だからこそ不可能カラクリの殆どは、人体とカラクリが密接に繋がった状態を想定しているものが多い。
「不可能カラクリってのはな、その存在証明は簡単なんだよ。肉体の動作とカラクリの動作が一致すりゃいいだけなんだ。だから自動旋回翼は装着した人間が天高く空を飛べればいいし、タイムマシンは遙か離れた時代に人間が到着すればいい。それをどういうわけだか勘違いした連中が、猫が人力車に乗って移動した程度の話を不可能カラクリだと持ち込んでくるんだ」
「同情申し上げます。ですが、私はそのあたりは承知のうえで貴女のところに来たのです」
チサトはどこか楽しそうに目を細めた。今から自分の放つ言葉の効果を想像し、そして一定以上の期待を寄せていることがわかる表情だった。リショーはあからさまなその表情に眉を寄せるが、残念ながら相手の言葉を止めるには至らなかった。
「三日前に行方不明になった方が、百年以上前に作られた神社の下から見つかりました」
「……何だって?」
「その方は数えで四十五歳。どうしたってご両親より年上となる神社の下には入れません」
リショーは一度口を開きかけたが、しかしすぐに思い直して眉間に皺を寄せた。探偵たるもの、簡単に相手の言葉に食いついてはならない。
「神社ってのはどこのだ?」
「スミダ川からほど近い場所にある小さな神社です。元は水害を治めるために作られたそうなのですが、長いこと廃墟となっておりまして。そろそろ倒壊しそうだということで、一昨日から工事が始まったのです」
それを聞いたリショーは眉を寄せた。
「神社の下、ってのはどこだ? まさか境内の下って意味じゃないだろ」
神社の境内は、基本的には階段を設けている。そのため境内の下は人や犬が入り込める程度の空間があり、そこに住み着いている者の話も多い。
「境内の下で人が亡くなっただけの話をしに、貴女を探しに来たと思われては心外です」
わざとらしく目を見開いてチサトは言った。
「遺体が見つかったのは土台の部分、それも一番大きな柱を支えていた礎石の下です」
「神社の解体作業で見つかったのか」
「はい。元々この工事は神社を取り壊すためではなく建て直すためのものだったのです。なので礎石のような土台部分はそのままにしておくつもりだったのですが、地面に随分とめり込んでしまっていたので、このままでは新しい柱を建てるにも難儀ということで急遽掘り起こされたという話です」
チサトは一気に話したために失われた水分を補給するためか、やや淑やかさを失った仕草で湯飲みを傾けた。
「そして掘り返された石の下から、真新しい遺体が見つかったと?」
「その通りです」
どうですか、と言わんばかりに相手が微笑む。しかしリショーは簡単にはそれに応じなかった。これがどこかの少年雑誌に掲載された記事で、自分が幼い少年であれば、嬉々として食いつく話には思えた。だが探偵というのはそう簡単に人の話に飛びつくべきではない。そもそも自分の目の前にいるのは新聞記者である。どういう言葉や表現が人の興味を惹くか、計算しながら話すことなどお手のものだろう。
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