カフェとカラクリ

 女は文句を言いかけた口を閉ざすと、相手を油断なく見た。


「アタイのことを知っていて近付いたのか」

「有名な方ですもの。お名前は予てから知っていました」


 上品な口調でチサトは言うと、着物の懐から名刺を一枚取り出してリショーに差し出した。


「皇都新聞の記者をしております、サトウ・チサトです。よろしくおねがいしますね。フルレイテ探偵事務所の所長さん」


 リショーは名刺を暫く見つめていたが、大きく溜息をついてから奪うようにそれを手に取った。名刺の厚さを確かめ、印字の上に指を滑らせる。


「本物みたいだな。でも新聞記者が探偵に何の用だ? それもアタイみたいな一匹狼に」

「一匹狼だからいいんです。大手は色々としがらみと……まぁ、なかなか仕事に着手してもらえないので」

「素直に、うちの事務所なら仕事がなさそうって言えばいいだろうが」


 憮然としながら言ったリショーに、チサトは苦笑いをした。そして自分の失言を誤魔化そうとでもするように、わざとらしく辺りを見回す。


「ここで立ち話しては映画館の方に迷惑がかかります。どうですか、そこのカフェーで一服」


 レンガで塗装された道路の反対側にある大きなカフェを指さした。リショーは鼻で笑って、羽織の袖を揺らしてみせる。


「アタイは払わないぞ。金がない」

「もちろん、私の奢りです」

「その言葉、忘れんなよ」


 喫茶店に入ると、まず目に入ったのは木と鉄を組み合わせた装置だった。店内にある席や通路を木枠で表現し、それぞれの席にはバネ仕掛けの小さな板が取り付けられている。板は裏面が赤く塗られていて、いくつかの席は裏面が表示されていた。


「空いてますね。良かったです」


 チサトはそう言うと、板の右側に取り付けられた簡略化した算盤装置を指で弄る。算盤装置は二つあって、一つは来客数、もう一つは来店目的を入力できるようになっていた。「二名」「商談」とチサトが装置を動かすと、板の一番上、つまりは店の一番奥にある席の板が裏返って赤くなった。


『承認・しました・お席・へ・どうぞ』


 板の裏側から人工音声が伝える。チサトは「さぁさぁ」とリショーを急き立てるようにして指定された席へと向かった。

 店の中には客がちらほらと見受けられるが、その半数ほどは裕福ななりをした婦人や紳士だった。リショーたちのような若い女二人連れの姿はない。そもそもカフェーに若い女が出入りすること自体、世間ではあまり快く思われていなかった。


「こういう店はよく来るのか」

「たまーにです。リショーさんは?」

「一人では来ないね。ただ最近の依頼者はこういうところで商談をしたがる」


 上等な木製のテーブルに向かい合わせに座る。改めて見ると、チサトはリショーより少し身長が高いようだった。リショー自身、身長は周囲の同世代よりもある。自分より背の高い女を見るのは久しぶりかもしれなかった。


「珈琲にしますか? それとも紅茶を?」

「緑茶がいい」

「では私もそうします」


 チサトはそう言うと自分の右側の壁に埋め込まれた木製の通話装置に手を触れた。入口にあったものより遙かに小さく、両の手のひらで覆い込めるほどしかない。その中央には竹で作られた格子があり、格子の上に「注文をどうぞ」と刻んだプレートが打ち付けられていた。


「緑茶を二つお願いします」


 格子に向かってチサトが注文を口にすると、中から子ネズミが壁を引っ掻くような音がした。カリカリ、カリカリ、という音は数秒続き、それが止むと入口で聞いたのと同じ音声が、注文が厨房に届いたことを伝えてくれた。


「こういった喫茶店の「カラクリ」は、お行儀が良いですね」

「躾が出来てるんだろうよ」


 カラクリというのは今二人が聞いた人工音声、それを操る人工知能やネットワークのことである。今から百年ほど前に、突如としてこの国にもたらされたのは外国で発展したネットワーク技術と、それを管理する人工知能だった。当初はその存在を遠ざけようとしていた政府だったが、すぐにそれが悪手であることに気がついたらしい。それらの技術を受け入れていない国が悉く衰退したという噂を聞いたからだろう。

 一見すると不可思議なものに思えるそれらの技術を、政府は庶民にも受け入れやすくするために、古来の伝統技術である「絡繰り」と同等のものだと宣伝した。時節的な運もあったのだろうが、その作戦は成功した。人々は新しい技術をどうにかして取り入れようと足掻き、生活に密着させることに身を粉にした。その時期のことは文明開化と呼ばれ、いくつもの浮世絵に描かれている。

 今ではカラクリといえばまず人工知能のことを示し、誰でも自分専用のものを持っている。町中にある電話機から自分だけの番号に電話をかけることで人工知能と直接会話をすることが出来、一ヶ月の予定や他の人間に対する伝言の送受信をすることが可能となっていた。


「それで話ってのは? まさか探偵の取材ってわけじゃないだろ」

「残念ながら。実は今、ある事件を追っていまして。それに貴女の手を借りたいと思っているのです」

「事件だぁ?」


 リショーは眉間に力を入れた。


「ブンヤの追う事件なんて、政治家や財閥の不祥事が主だろ」

「そんなことないですよ。色々調べます。最近は人面犬の調査などもしました」

「都市伝説絡みならアタイはパスだからな。あんなくだらないこと調べたくねぇ」


 念を押すように言うと、チサトは可笑しそうに笑った。


「違います。貴女が興味を惹きそうな事件だと思ったから、探していたんですよ。何しろこれは不可能カラクリの事件ですから」


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