Suger&Solt

淡島かりす

第一幕 探偵と新聞記者

キネマと女

 その技術はあまりに新しすぎた。人々がそれに順応しようと足掻く間に一つの年号と一つの世紀が終わってしまうほどには。

 なんとか順応した人間が、自分たちにそれを使いこなせるだけの文化がないことに気がついたのは、八百万の神々の慈悲かあるいは嘲笑か。小さな島国の人間達は、今度は必死になって外国の文化を取り込もうとした。従来の文化と外国の文化、それに最新の技術が融合した国はこうして世界の隅に存在することを許された。


「あまり良いキネマとは言えませんね」


 落ち着いた声が真横から聞こえて、女は眉を寄せた。別にこれが往来で耳に入ってきた言葉なら気にもとめなかっただろう。だがここは映画館である。十分な静寂を必要とするであろう場所で、相手の声はあまりに目立つ。


「やはり国産のキネマは本場に比べると見劣りします。何しろキャメラワークがなってません」


 声は淡々と続ける。目の前の大きなスクリーンには有名な女優が艶っぽい唇を笑みの形にして、何かを喋っていた。喋っている言葉は自動翻訳されて椅子の背もたれに埋め込まれた伝達装置から聞こえてくるが、映像と声が若干ずれているようだった。それ以上に横で喋っている相手が気になって映画どころではない。

 女は右隣に座る知らない人間に目を向けた。鮮やかな梅色の袴に矢絣柄の着物。長い黒髪を今流行りの大きなリボンと三つ編みでまとめている。両手につけたレースの手袋は一見高い品に見えるが、所々糸がほつれていた。

 年の頃は自分と同じぐらい。二十になるかならないかと言ったところだろう。長い睫毛に縁取られた切れ長の目と色の薄い唇が、スクリーンの光に照らされて白く見えた。


「誰だか知らないけど、黙っててくれないか」

「まぁ人種の違い、肌の違いがあるからでしょうか。あるいは背の高さ、胸の大きさかもしれません。海外のキャメラワークをそのまま国内で使えば、いまいちな出来になる。これはキネマ新報でオオタキ・コマジロウがタイショー八年、今から三年前に言っていることです。正鵠を得てますね」

「煩いんだよ。そういうのは外でやってくれ」

「そもそも世界的に考えても映像に関する技術は音に関する技術より劣っていると見るのが一般的です。もしこの国が諸外国に対して一歩抜きん出ることが出来れば……」

「煩いって言ってんだろうが!」


 大声を出して立ち上がった女は、周囲から一斉に批難めいた眼差しが向けられたのに気がつくと顔を真っ赤にした。相手の手首を掴むと無理矢理椅子から立ち上がらせ、そのまま引きずるように外へと向かう。相手は「あらあら」と言いながらも大して抵抗しなかった。

 もぎりの不審そうな眼差しを無視して映画館から外に出ると、まだ高い位置にある太陽が十分な光を地上に降り注いでいた。町ゆく人々は和服の足元をブーツで飾ったり、振り袖に幅広の帽子とショールを合わせたりと、それぞれの好みやあるいは流行に沿った服装をしていた。

 女はと言えば、身に纏うのは飾り気のない黒い立て襟のワンピースに牡丹柄の羽織という出で立ちで、動く度に羽織の袖口に入れた財布やら何やらが音を立てる。癖のある黒髪をショートヘアにしているのは今時だが、化粧っ気というものが殆どない。だがくっきりとした二重まぶたや黒々とした睫毛、意志の強そうな赤い唇などは化粧などなくとも十分にその外見を引き立てていた。


「勿体ないですね。まだ随分と時間が残っていたと思いますが」


 映画館から連れ出した相手がおっとりとした口調で言う。


「誰のせいだと思ってやがる。こちとら折角の休みに映画を楽しんでたってのによ」

「それは失礼しました。ですが、あれを見るぐらいなら今話題の講談師の寄席に行くほうがいいかと思います」

「余計なお世話だよ。アタイはキネマが好きなんだ。知らない人間にその趣味をとやかく言われる筋合いはない」


 睨み付けながらそう言うと、相手は可愛らしく微笑んだ。


「サトウ・チサトです」

「は?」

「私の名前です。知らない人間、と仰るので」

「いや、そういう意味じゃなくて」

「覚えて下さいね、S・リショー」

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