第2話 王様ペンギン
「王様ペンギン?」
私はペンギンに手を引かれるままに走り出した。ペンギンは私より少し背が低かった。剣はレザーホルダーで背中に背負っている。柄はよく見ると魚の尾になっていた。薄暗い空と木々に囲まれ、背後には黒い物がドロドロと追って来ている。
「ここは君の心の中だ。心の世界なんだ。そして君は大事な本音だ。だから必ず僕が守る!」
力強く引き寄せられたと思えば、高く伸び上がって覆いそうになっていた黒い物を魚型の剣で切り伏せた。
「だがコイツも、本来は君を守るものなんだ。君が辛い想いをした時、この世界では地震が起きる。それを治める為に、蓋をするんだよ。見たくないものを見る事がないように。あるいは、大切な事を覚えておく為に不要な記憶に蓋をするんだ。悪い奴じゃない」
その悪い奴じゃない物が、どうして私に蓋をしようとしたのだろう。
黒い物は切られた所から小さな光が溶け出すように消え始めた。
全てが消えてなくなるまで、私とペンギンは黙って眺めていた。
「行こう。まだ追って来る奴がいるかもしれない」と私達は手を繋いで早足でその場を離れた。
林なのか森なのかはわからない。
空は今にも雨が降り出しそうだ。
「もう何年も晴れてないんだ。先生が亡くなった時、地震と豪雨の衝撃があった。それからは曇りが続いている。ほんのり暖かくなる時もあるんだけどね。完全に晴れる事はない」
「晴れた方が良いの?」
「君が幸福なら空は晴れる。晴れた方が良いさ」
私は何年も幸福じゃないらしい。
「ごめんね。明るい世界じゃなくて」
ペンギンは立ち止まった。
「いや、こちらこそすまない。本当に大切なものを失うところだった。一番に守るのは君なんだ。君が大事なんだよ」
ペンギンの目が少し細まった。微笑んだのかもしれない。
「さぁ、行こう」
私達は再び歩き出した。
「何処へ行くの?」
「君に会って欲しい人がいるんだ。けれど、今日中には着かないな。まずはこの海を渡らなきゃならない」
その海は見た事がない色をしていた。濃い青や緑が混じった、淀んだ沼のような色をした波が打ち寄せている。決して綺麗ではない。
ペンギンは空を仰いだ。
「渡るのは明日にしよう。家に案内するよ」
花が咲かない枯れた植木道を過ぎ、ヒビ割れした道を飛び進む。
焼け崩れた家が延々と連なっている。
「なんでこんなに……」
ペンギンは何も言わなかった。案内された小さな家は奇跡が起きたかの様にぽつんと建っており、中には誰もいなかった。
「少し体が冷えただろう。ホットミルクを飲むとしよう。君はそこに掛けてくれ」
二脚の椅子に挟まれたテーブルはレースのクロスがかかっている。
私は椅子に座ってペンギンを見た。
王様なのに家事が出来るらしい。
赤い鍋を使っている。
背中には剣を背負ったままだ。
「気になるかい?」
ペンギンはこちらを見ずに言った。
「これは決定剣だ。迷いを、あるいは悩みを断ち切る」
「あれも悩み? あの黒いやつ」
「いや、あれは忘却だ。さっきは悪い奴じゃないと言ったが、悪気がないと言う方が正しいかもしれない。間違える事もある。必要な事を忘れてしまう時があるだろう? よし、出来た」
ペンギンは自分の頬と同じような黄色のマグカップ二つにミルクを注いだ。カップをテーブルに置いてホルダーを椅子の背に預けた。一度席に着いたが「あ、そうだ」と立ち上がり四角い缶を持って戻って来た。缶の中身は細長いビスケットだった。
ペンギンはビスケットを一つ取って、それでくるくるとミルクを混ぜた。そして一口で食べた。
「これが一番便利で美味しい食べ物だよ」
私も同じようにして食べた。ミルクもビスケットも優しい味がした。
「美味しい」
「もっと食べて良いよ」との言葉に甘え、ビスケット単体でも食べた。
「良い時間だね」とペンギンはたぶん笑った。
不思議な世界の不思議な時間に、私も少し笑った。夢ならいつか覚めるだろう。けれど、覚えていたい夢だと思った。
少し部屋が明るくなり、私とペンギンは窓へ目をやった。
雲間から明るい光がさしていた。
「もうじき晴れる。きっと君は、幸せになれるよ」
「……幸せって何だろう」
「自分の喜びを知っている事じゃないかな。君はもっと、自分にプレゼントを贈るべきだと思うよ。例えば、そうだね。明日の朝はフレンチトーストを食べるとかね。好きでしょ? わかるよ。君の事だからね。些細な事から大きな事まで、自分から自分へプレゼントが出来る人は幸せなんじゃないかな」
私とペンギンは、ホットミルクを飲み終えるとフレンチトーストの仕込みを一緒にした。
眠る時、一つしかないベッドを「僕は床で良いから」とペンギンに譲られ横になった。正直落ち着かない。
「おやすみ。明日はきっと良い朝だよ」
ペンギンの言葉に私はうなづいた。
「うん。おやすみ」
明日の朝は、斜め切りにしたバゲット二枚のフレンチトーストに生クリームを添えた、素敵な朝食が待っている。それはきっと良い朝だ。
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