私の王様ペンギン
木戸秋星
第1話 空色のアオ
私には大好きな絵本作家がいた。
名前は牧野義晴。とてもチャーミングなおじさんで、今思い返すと、レトロポップで個性的なファッションセンスの持ち主だった。
子供の頃の私は、その先生と絵本が大好きで、サイン会や朗読ライブへ母によく連れて行ってもらった。
「名前は何ですか?」
「アオです!」
「アオ! 良い名前やな。青色と一緒や。海とかな」
「空色! 空の色なの! お母さんが私を産んだ時、綺麗な青色の空だったからって」
「あぁそう、空色のアオちゃんか」
そう言われた日から、私は自己紹介をするときに「空色のアオ」と言う様になった。
「どうしたら先生みたいに絵を上手く描けますか?」
「え、おっちゃんの絵上手い? ホンマに? 嬉しい。おっちゃんの絵好き?」
「好き!」
「嬉しいなぁ。あのな、おっちゃん自分ではあんまり上手いとは思わへんねんけど、でも、たーくさん描いて、これが一番良い! これが好きや! って思った絵を他の人も好きって言ってくれたりするんよ。やから、アオちゃんも自分がこの絵好きやなぁって思えるまでいっぱい絵を描いてみて。そしたら、他の人から好きやなぁ、上手いなぁって思われるようになるかもしれん」
その日からいっぱい絵を描くようになった。ファンレターも書いた。迷惑なことに自分の拙い絵と文章で作った「名探偵ガーグァ」という特製絵本まで送りつけていた。
何度も先生に会いに行った。
私は保育園生から中学生になった。
先生の様な絵本作家にはなれずとも、絵を描く仕事をしたいと思う様になった。
「あ、来たな、空色のアオちゃん。ちょっとどないなってんの。ガーグァの新作全然送ってこーへんやん」
「いや、よくよく考えると迷惑かなって」
「え、オモロいよ。また送ってーな。怪盗とかおらへんの? 出してーや。探偵には怪盗やろ」
それが先生と交わした最後の会話だった。
体調を崩して入退院を繰り返し、帰らぬ人となった。
先生が亡くなった事を、私はしばらくの間知らなかった。
知ったのは七月だった。本屋の一角に笹が立てられ、七夕飾りの短冊を書くテーブルが置かれていた。その笹は期間終了後、近くの神社へ持ち込まれて祈祷されると聞き、私は先生の事を書いた。書いた願い事が神様に届く様な気がした。
元気になりますようにと書いた短冊を見て、仲の良かった絵本担当の店員さんは少し固まった。ぎこちない笑顔で「一番綺麗な星に届きますよ」と返してくれた。その時点で妙だと思った。
家に帰ってからその話を母にした時に、先生がもう居ない事を知らされたのだ。
私は信じたくなくて母と口論になり、止めようとした父は私に手をあげたくなかったからと飲んでいた炭酸水を私と母の二人にぶっかけた。怒る母と宥める父を見て少し冷静になった。
私は二階にある自分の部屋へ駆け上がって、考えていた新作のガーグァの紙をぐしゃぐしゃに丸めて捨てた。
その日から絵を描かなくなった。将来も何も無くなった。
自分の名前も嫌いになった。
成績を落としながらも公立の高校には合格し、三者面談の時が来た。
夢は特にないと話をした時も、担任の先生から「え、俺てっきり絵の方に進むと思ってたんだけど。え、そうなの? ケイン先生が君に絵を描いてもらったって凄い喜んでたよ。まぁでもそうだよな。絵が上手いからって、その道に進むとは限らないもんな。ごめんごめん。いやまぁ夢がなくてもね、人生楽しめるから。うん、じゃあ、とりあえずそうね、大学へ行くとして勉強頑張ろっか」と言われた時も、母は流れるような相槌だけで何も言わなかった。それが不意に車の中で「それでいいの?」と聞いてきた。
「何が?」
「夢はあるんじゃない? 絵を描く仕事するって牧野先生と話したんでしょ? 『俺のライバルになる気か!』って言われたってアオ楽しそうに−–−」
「もういい」
半ば遮る様に言うと、母は黙り込んだ。
それから数日後、夕飯が終わって自分の部屋へ行こうとすると父に呼び止められた。
父は『牧野義晴展』と書かれたリーフレットをテーブルに置いた。
「別に将来何になろうと、アオが後悔しないんだったら俺はそれでいい。イラストレーターだなんだって大変だと思うのよ。どっかで働く方がそら楽だし。だけど、牧野先生とは向き合った方が良い。アオは、自分の将来と向き合いたくないんじゃなくて、先生と向き合いたくないから逃げてるんだと思う。本当は今でも好きなんじゃないの? 先生の事だけじゃなくて、絵を描く事もさ。……楽しくなさそうなんだよ。愛想笑いみたいな笑い方しか、ここ数年見てない気がする。俺はそれが嫌なんだよ。時間が解決するものだとは思うんだけど、でもアオにとって人生の選択肢って、今じゃん。今行かないと俺はダメだと思う。ってな訳でゴメン!」
リーフレットと共にお金を押し付けて父はトイレに逃げた。私は渋々部屋に戻った。
こんな紙すぐに捨ててやろうと思った。なのに、裏側に使われている先生の写真を見てしまった。私の大好きな笑顔だった。
「アオちゃん」と呼ばれる思い出が頭の中によぎった。
それを消したくてゴミ箱に投げ捨てた。
本棚の奥に他の本で隠す様にしまっていた絵本もいっそ捨てようと取りだした。
けれど、本を重ねれば重ねるほど涙が止まらなくなった。原画展で買い集めたグッズを閉じ込めた缶は、開ける事が出来ずに抱きしめた。
先生との全ての記憶を黒で塗り潰したかった。
思い出したくなかった。目を閉じて浮かんでくる声や顔を黒で塗りつぶした。それでも何度も浮かんできて、私は何度も塗りつぶした。
真っ黒に、真っ黒に。
『ダメだ! 目を覚ませ! アオ!』
声が聞こえて目を開けると、私は黒く揺らめく液体状の何かに覆われていて、部屋の床すら見えなかった。それが斜めに切り開かれて目があったのは一羽のペンギンだった。
「僕は王様ペンギン! 君の王様ペンギンだ!」
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