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その翌日。先生が竹人形を手に入れた日から、今日で一日目というカウントになる。
僕はバイトのあとに、近くに寄ったついでに先生のアパートを訪ねていた。先生はけろっとした顔で僕を迎える。
「わざわざ来てくれてありがとう。でもまだ最終日まで時間があるから、今日は見てても死なないぞ」
「はは、そうですよね……」
呪いの竹人形なんて、眉唾物だろう――そう思っているのに、なんとなく先生が心配で会いに来てしまった。僕は臆病でネガティブだから、呪いと聞くだけで不安になるのだ。
だというのに、先生には全く震える気配がない。
「この一週間、何事もなく進んで最終日にいきなり死ぬんだろうか。フィクションだと、それまでに兆候があるものだよな。四日目くらいから、竹人形が襲いかかってくる幻覚が見えるようになるかもしれない」
あたかも園芸をして花が咲くのを待っているかのように、呪いの効果が出るのを心待ちにしている。良くも悪くも無邪気な人だ。
僕は訪ねたついでに、訊いた。
「大家さんから、詳しい情報教えてもらえましたか?」
「聞いたよ。一旦他の人に回してもう一度同じ人に戻した場合は、受け取ってから二十四時間以内に死ぬとされているらしい」
「えー、じゃあ最終日以外なら、カウントが戻るどころか早まるんですね」
僕が眉を寄せると、先生はその反応を面白そうに見ていた。
「なお、捨てたり壊したりしても無駄だ。所有者は移っていないから、最後に持っていた人間が呪いを受ける。って大家さんが言ってた」
昨日のファミレスランチのあと、僕も家に帰ってから『呪いの竹人形』について調べてみた。インターネット上には殆ど情報がなく、全く市民権を得ていないグッズなのだけは分かった。
唯一発見したのが、個人が書いたブログ記事だ。先生が持っていた人形とそっくりの竹人形の画像をアップしており、旅行へ行った知り合いから貰ったお土産だと綴っている。呪い云々については、なにも書かれていない。
翌日のブログにはすでに違う話題だったので、僕は深追いせずにページを閉じた。
楽しげな先生に、僕は苦笑いを返した。
「多分偽物ですけど……先生が楽しいならいいや。今日はこの辺で失礼します。なにかおかしなことが起きたら、連絡くださいね」
「心配性だな、君は」
先生は僕に笑いかけ、扉を閉めた。
先生と別れて階段を下りていくと、一階の部屋の前に大家さんがいた。
「どうも。大家さん、先生に変な人形売ったみたいですね。ああいうの、どこから仕入れてくるんですか?」
「知り合いから受け取ったんだよ」
大家さんはつっけんどんに言った。あの人形は、所有者が移るたびに呪いも移る。だとすれば、先生の手元に渡る前、つまり大家さんも一時は所有者だったわけだ。
「知り合いから受け取ったんなら、大家さんが作ったんじゃないんですね。結局のところ、あれはなんなんですか?」
先生にはネタバレしないとして、僕は一応聞いておきたかった。眉唾物だと思いつつも、やはりどこか不安なのだ。本物の呪物ではない確証を得ておきたい。
大家さんは僕を見上げ、ぼそっと答えた。
「どこぞの田舎の民芸品さね」
「ああ……そうなんですね」
そういえば、僕が見つけたブログでも、旅行のお土産だと書かれていた。あの人形は、地方でひっそり作られているものと言われると、いかにもな雰囲気である。
「じゃ、それっぽい見た目のただの人形……それを先生に『呪いの竹人形』と謳って売ったんですか?」
「あっちが喜んで買ったんだから、あたしゃ責任取らないよ」
呆れ顔の僕から、大家さんは顔を背けた。全く、阿漕な商売である。先生も分かっていて買っているのだろうけれど。
大家さんの商売スタイルは納得がいかないが、ひとまず、竹人形の正体は単なる民芸品だと判明したのは安心した。一週間持っていても、先生は死なない。
ならば先生の気が済むまで、付き合おうではないか。
*
明くる日は、一応バイトの休憩時間にメッセージアプリで先生の調子を確認した。竹人形が単なる民芸品だと分かっている以上恐れる必要はないが、先生が楽しんでいるので、この一週間を一緒に楽しもうと思ったのだ。
当然だが先生に大きな変化はないらしく、それどころか仕事が絶好調らしい。新作小説の本文を描きはじめたそうで、筆が乗って仕方ないという。
「ゾーンに入ったってやつだ。楽しくて原稿が止まらないよ」
メッセージだけでも先生の上機嫌が伝わってくる。この調子なら、四日後に死ぬとは思えない。
「今、君からの連絡でスマホが光ったのを見て、ハッと現実に戻ってきた感覚だ」
すごい集中力だ。そういえば先生は椋田さんから「過集中型」と言われていた。僕なんか手元にスマホがあるだけで気が散ってしまうから、羨ましい。
僕は返信を打ち込む。
「すみません、集中を途切れさせてしてしまいましたね」
「いや、気にしないでくれ。ちょうどいいから休憩するよ」
執筆に入り込みたいだろうので、僕は邪魔しないよう、メッセージはそれ以上は送らなかった。
その翌日と翌々日、三日目と先生が「四日目くらいから」と言っていた四日目なんか、お互いに連絡も取らなかった。仕事で忙しそうだから、メッセージを送るのも憚られたのだ。執筆に没頭しているなら、先生も多分、竹人形のことなんか忘れている。僕も一日、殆ど竹人形を思い出さずに過ごした。
そして五日目、転機が訪れた。
「やっほー、小鳩くん! 今から来れるかい?」
夕方八時。バイトの帰りの僕に、先生が電話をかけてきた。
「大家さんが旅行のお土産にいい酒買ってきてくれたんだ。一緒に飲まないか」
「わあ、いいんですか? ご相伴に預かります」
僕は先生のアパートの最寄り駅で電車を降りて、コンビニでおつまみを買った。明日はちょうどバイトが休みだ。先生との晩酌は吊り橋の女のとき以来である。今日はなんの気がかりもなく楽しく飲めそうだ。
おつまみを抱えて先生のアパートを訪ね、インターホンを押す。扉が開いて、先生が顔を出した。
「待ってたよ、小鳩くん。さあ飲もうじゃないか」
先生のその姿を見て、僕は目を剥いた。
目元には濃い隈が浮かび、頬が窶れている。先生の溌剌とした雰囲気がまるで感じられず、別人と見間違えるほどだ。
「どうしたんですか!?」
「なにが?」
「なにがって、先生そのものがですよ。萎びてるじゃないですか! 一昨日は『ゾーンに入った』なんて言ってたのに、今度はどうしたんですか?」
驚く僕を、先生はきょとんとして見ていた。
「一昨日?」
先生は目をぱちくりさせて、今度は先生本人も驚いた顔をした。
「もしかして、小鳩くんが私に最後に連絡したの、一昨日なのか? あれから二日も経ったのか。二日も酒を飲んでないなんて久々だな」
「お酒はともかく、まさか、寝てないんですか!?」
「筆が乗って仕方なくて……」
なんということだ。先生が過集中型なのは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
「ちゃんとごはん食べてますか?」
「最後に食べたのは……いつだ?」
集中状態だったせいで、その辺りの記憶もおぼろげらしい。そういえば椋田さんが、先生のことを「放っておくと食事も忘れる」と話していた。そういう人だから、先生をよく見ていてほしいと頼まれていたのに、うっかり気を抜いてしまった。
先生の健康を守るのも、アシスタントの仕事だ。サボってしまった自分に喝を入れたい。
「先生は『飲めば飲むほど描く』って椋田さん言ってたのに、飲まなくてもこうなるケースがあるのか」
「あるみたいだね。私も自分でよく分からないけど」
先生がにこっと目を細める。
「まあまあ、集中しすぎるのは珍しくないよ。これから大家さんから貰ったお酒とともに、休憩タイムにしようじゃないか」
「お願いですから、明日はちゃんと休んでください。しっかり睡眠を摂って、一旦原稿から離れて散歩でもして、外の空気を吸ってくださいね」
僕が来なかったら、先生は原稿に没頭し続けて、そのまま倒れていたかもしれない。本人は平然しているが、眠らずに作業していた作家が突然死したという話も聞くし、洒落にならない。
僕がお節介を焼くと、先生は、はははっと笑った。
「散歩? やだ。今は原稿が楽しくて楽しくて、他のことをしている暇がないんだ」
「体壊しますよ! 休憩してください」
「まあまあ、今から酒飲んで飯食って寝るんだ。明日も仕事をさせてくれ」
先生はへらへらするばかりで、自分の体を大事にしない。僕は頑なに訴えた。
「本当に、冗談抜きに! 僕の憧れの小説家を……殺さないで!」
僕の必死の思いが伝わったのだろうか。先生はしばし固まり、やがて肩をすくめた。
「大袈裟だな。大切な読者様からの頼みじゃ、聞くしかないじゃないか」
「絶対ですからね! 絶対ですから!」
「はいはい」
先生が面倒くさそうに頷く。僕はしばし彼女の顔を睨んでから、おつまみの入ったコンビニの袋を突き出した。
「もう一回コンビニ行ってきます。先生、ごはん食べてないんでしたら、これだけじゃ仕方ないので。なにか適当に買ってきます」
「そうか? 助かるよ」
先生は素直に聞いて、僕からおつまみを受け取って扉を閉めた。
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