第四章・呪いの竹人形

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 八月も中旬に入り、暑さは毎日絶好調である。僕はその日、先生に呼ばれてファミレスを訪れていた。

 先に席を取っていた先生が、入店してきた僕に手を振る。


「小鳩くん、こっちこっち」


「今日はなんの御用ですか?」


 一緒に昼食でもどうかと誘われたが、それだけで呼ばれたのではないだろう。案の定、先生は鞄から奇妙な竹筒を取り出した。表面に傷がつけられており、その短い傷跡でこけしのような顔を描いている。


「じゃーん。これ、大家さんから買ったんだ」


「もうすでに嫌な予感がする」


 これは呪いの人形で、持ち主は一週間後に死ぬ……とか、言い出すに違いない。僕はすぐさま帰ろうとしたが、その前に先生が僕の腕を捕まえた。


「これは呪いの人形で、持ち主は一週間後に死ぬ」


「本当に言った! うわああ、嫌だ!」


「いいぞいいぞ。君が恐怖すればするほど、私の作品にリアリティ出て完成度が上がる」


 腕を掴む先生の手の力は異様に強くて、離してもらえない。

 僕はしぶしぶ、向かいの座席に腰を下ろした。


「大家さんから買ったんでしょ? あの人がテキトーに竹を用意して、テキトーに顔を彫っただけの物を掴まされてるんじゃないですか?」


「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。面白いから買った」


 そうだった。先生はこういう人だった。天才なんて大概変人だと聞くが、先生を見ているとつくづく痛感する。凡人の僕は驚かされてばかりだ。

 先生は人形をテーブルに置いて、僕にメニューを差し出した。


「不幸の手紙で本当に不幸になった人なんているか? 一般に出回る呪いなんて、大半がただの都市伝説だ。人を怖がらせるための悪質ないたずら。でもたまーに、本物がある」


 先生は、僅かな確率で遭遇する「本物」に期待している。


「次回作は呪いをテーマでね。面白い背景のある『ハネキリ』をモデルにしたいが、実物の製作に失敗したから、ひとまず既製品の呪いアイテムが欲しかった」


「はあ……悔しいけど、先生の新作は楽しみです」


 僕は項垂れついでにメニューを捲った。夏仕様のメニューは、冷製パスタや冷やし中華、デザートはかき氷が主役顔をしている。


 先生の新作小説の、初稿が始まる。初稿というのは、編集者がチェックする前の、作家が書いたそのままの原稿のことだ。

 作品のクオリティを上げるために、先生は変な人形を手に入れてきた。


 考えてみたら、洒落にならないものなら大家さんも先生に売りつけたりしないだろう。以前先生も話していたが、商売とは支払った対価に対して客が満足していればOKなわけで、これが本物であろうとそうでなかろうと、先生が楽しければそれは良い買い物なのだ。

 先生はテーブルに肘をつき、左右の指を絡めた。


「大家さんによれば、この『呪いの竹人形』の持ち主は、どんなに健康でも用心深くても、一週間後に必ず、なんらかの理由で死亡する」


「なんでそんな危険なものが簡単に手に入ってしまうんだ」


 僕は頭を抱え、テーブルに鎮座する人形を睨んだ。

 竹人形といえば、人の形にかたどられた精巧な人形を指すが、これはそれとは全くの別物である。ただの竹の筒に、顔っぽい傷と髪の毛っぽい傷と、服っぽい傷を刻まれただけの、極めて原始的な人形である。

 薄い線だけで描かれた地味な顔が、こちらを見つめ返している。気持ち薄っすら笑って見える表情が、たとえ偽物の呪術グッズだとしてもなんとも気味が悪い。

 人形との睨み合いに負け、僕は目を逸らした。


「所有者は一週間後に死ぬ……つまり、一週間以内に他人に回さないといけないってやつですね」


「そのとおり。ベタなやつだ」


 先日会った寺の住職、桧渡さんの話を思い出す。

 霊、呪い、執念……そういったものは、物体や言霊を介して、伝播する。不幸の手紙や、呪いのビデオ。『悪いもの』は自身の支配範囲を広げるために、人や物を利用する。

 この竹人形とやらは、まさにそれだ。人から人へと、呪いが移り続ける。

 先生はにやりと笑った。


「他人に押しつければ自分は助かる。自分のために誰を犠牲にするか……人間の内面にも迫る面白いルールだ。ホラーの定番だね」


「呪い云々以上に、人間関係破壊されそうです……」


 僕はメニューに目を落としてから、先生に視線を戻す。


「で。その竹人形を僕にどうしろと」


「まあそう構えるな。これは私が持つ。そして私が一週間かけてどうなっていくか、君に観察してほしい」


「僕が持つんじゃないんですか? 検証用の要員なのに」


「ふふふ。こういうのは当事者より、それを見ている人間のほうが、読者に近い恐怖を味わう。だから君には、そちら側でレポートを頼みたい」


 そうきたか。僕は妙に納得してから、メニューを眺めた。ランチメニューの日替わりパスタを選び、先生にメニューを向けた。


「先生は注文決まりました?」


「決まっている。そのパスタだ」


「じゃ、呼びますね」


 僕はベルで店員を呼び、パスタをふたつと、飲み物を注文した。店員が去ったあと、僕はまた先生に向き直る。


「そんで、話を戻します。先生が死んじゃうの、嫌なんですけど」


「もちろん私だって嫌さ。仕事を途中で放り出して死んだら、ムクちゃんたちに迷惑かけてしまうからね」


 先生はやけに冷静に言って、竹人形を指先で弄った。


「そこで、この人形のルールに注目だ。これは一週間以内に、所有権が他者に移れば呪いの効果も移る。つまり、万が一本当に危険なものだったとしても、いざとなれば途中で放棄すればいつでも中断も可能といえる」


「そっか。危険だと判断したら、僕が取り上げちゃえばいいんですね」


 所有者が先生でなければ、その時点で呪いは止まるのだ。先生はこくりと頷く。


「まあ、せめて一週間ギリギリは私に所有させてほしい。少なくともそれまでは死なないはずなんだし」


「じゃ、死ぬ約束の当日は、僕が先生を見張りますね。いよいよまずい段階に来る前に、僕が先生から人形を奪います」


 呪いの人形でチキンレースとは、先生はやはり物好きだ。先生はにんまりにやけて竹人形を拾い、僕に突きつけてきた。


「そして私から取り上げられた人形は、所有権が君に移るわけだね」


「うわ、そうだった……結局僕も呪われるじゃないですか」


 一度手に入れてしまったら、他の誰かに押しつけないと死んでしまう。押しつけてもいい人なんか、思い浮かばない。

 先生はしれっと、人形を自分の方に引っ込めた。


「また私にでも返せばいいじゃないか。一時的にでも所有者が変われば、私に戻ってきてもカウントは入手日、つまりゼロ日目からに戻るだろう」


「そんな安直なルールなんですか? だとしたら同じ人の間でぐるぐる回せば解決じゃないですか」


「ははは。それもそうだ」


 料理が運ばれてきた。トマトとベーコンのシンプルな冷製パスタだ。それと、先生のコーヒーと僕の紅茶が並ぶ。

 先生がカトラリーボックスからフォークを取った。


「細かいルールはあとで大家さんに聞いておくよ」


「聞かずに買ったんですね……」


 僕もフォークを手に取り、麺に差し込んだ。


「ところで先生って、吊り橋の女とも部屋の心霊現象とも遭遇しないし、大家さんから買った心霊グッズも軒並みハズレてますよね。今回も、竹人形の呪いが効かなかったりして」


「ははは。そうだったら残念だな」


 先生は楽しげに言って、パスタを口に運んだ。竹人形の呪いはさすがにただの都市伝説だろうし、多分、効果はない。けれどこれで先生がインスピレーションを受けるなら、僕も付き合おう。


「先生、デザートも頼んでいいですか?」


「好きにするといいよ」


 ファミレスの至って自然な雑音と、ちょうどいい味わいの料理。このありふれた光景の中、妙に溶け込んだ竹人形は静かに微笑んでいた。

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