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 そんなことがあったのが、一週間前。あれ以来僕は、先生のアシスタントとして二日に一回程度、先生の部屋に呼び出されている。

 作品があれだけ売れているのだから高級マンションにでも住んでいるのかと思いきや、家賃二万の都内の郊外にあるボロアパートが、先生の住まいだ。

 僕が住んでいる地区からは地下鉄で二駅の距離で、通いやすくてありがたい。


 そのあたりの条件は、悪くないのだが。


 先生は僕が持ってきたコンビニの袋を漁った。


「あれ? 頼んでたお酒はー?」


「買ってません。どうせまた飲んでるんだろうなと思ったんで、一緒に頼まれてた二日酔いの薬しか買ってません」


 僕がぴしゃりと突っぱねると、先生は大きな目を見開いて絶句した。絶望の沈黙のあと、おへそを出して脚を広げ、駄々を捏ねはじめる。


「君はお使いもろくにできないのか! アシスタント失格だぞ」


「アシスタントだからこそ、先生の健康の管理をしてるんです。お酒は今日はもうおしまい! 空き缶、片付けますよ。原稿もこんなに散らかして、全くもう」


 先生の執筆アシスタントとして雇われたはずが、今のところ僕は、酒クズの世話係でしかない。

 飲み過ぎの先生に薬を買ってきたり、食事を忘れる先生に差し入れを持ってきたり。今日みたいに潰れている日には、こうして部屋に上がることもままある。


「はあ。"経験"が大事っていうから、先生のもとで経験を積もうと思ったのに。小説の書き方を教えてもらえるわけではなく、ただパシリにされてる」


 缶をゴミ袋に詰めながらぼやくと、先生は胡座をかいてのっそりと起き上がった。


「そんなに"経験"したいなら、早速やってもらおう」


 僕はさっと振り向いた。ようやくなにか、為になることをやらせてもらえそうだ。先生は床に落ちていた紙を二枚拾い、僕の前に掲げる。


「心霊スポット探検か降霊術、どっちがいい?」


「……へ?」


 片方の紙には廃病院の写真。もう片方には、ひとりかくれんぼの手順が書かれている。


「なんですかこれ。心霊スポットに、降霊術って。僕、怖いの嫌いって言ったじゃないですか!」


「だからだよ、小鳩くん。化け物だって、リアクションが面白い奴のほうが脅かしがいがあるだろう」


 怒る僕に、先生は眠そうな目で言う。


「『"経験"が大事』なんて偉そうにアドバイスしたけどさ、実は私自身が経験できない性格でねー。性格のせいなのかなんなのか、恐怖に対して鈍感なのよ」


「恐怖に、鈍感……?」


「ホラーを見ても心霊スポットに行っても怖いと感じないのよ。霊感らしきものもないし。私がひとりで心霊現象に立ち会ったとしても、別に怖くないから、どう怖いのか文にできない」


「は、はあ」


「だから様々な人を取材して、『恐怖を感じた経験』を聞いて執筆に落とし込んでる。鴉川でサイン会やったのも、あの辺に興味深い怪談があったからだ」


 先生は二枚の紙を無造作に重ねた。


「文献によると異界に繋がる霊道があるんだとかで、それについて取材したかったんだよ。サイン会の体裁ならムクちゃんも同行してくれるっていうから、ついでにサイン会やってさ」


 サイン会開催地の鴉川市は、ゆかりの地でもモデル地でもない。気まぐれな先生が突然こんな場所でサイン会イベントを起こしたのは、こんな事情があったからなのか。

 先生は酒クズだけれど、やはりちゃんと作家なのだなと再認識する。


「しかしまあ、心霊スポットに行った人とか、幽霊を見た人とか、探して取材するのがまず大変。そしてその人が恐怖を上手に言語化できるとも限らない」


「そっか。たしかにそれは手間がかかりますね」


「で、聞けば小鳩くんは、怖い話が苦手だっていうじゃない。しかも小説家だというから、平均以上の表現力がある」


 先生の目は、僕を真っ直ぐ見ている。


「君に怖い"経験"をしてもらえれば、ネタに困らない」


「ん?」


 僕はここで眉を寄せた。なんだか嫌な流れになってきた。


「君は"経験"できるし、悪くない話だろう?」


 そう言われて初めて、僕は自分が心霊検証に使われるために雇われたと気づいたのだった。

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