食が細くなっているため一日一食の日が多くなっていたが、どうやら今日は違うらしい。

 空腹を訴える胃のあたりをさすりながら、近くの壁掛け時計を見る。

 昼食時…にしては少し遅い時間。

 大学図書館を出るために片づけを始める。

 筆記用具を仕舞い、ノートと教科書を閉じる。

 リュックを開き、筆箱を入れ、工学や力学の教科書が背の順に入っている中、最も分かりやすい手前にノートを入れる。

 準備を終えたら、リュックを背負い、教科書を戻すために経営学の棚へ向かう。


 高校生の頃から、人が多くいる環境での勉強が好きではなかった。

 授業は別にしても自習は自室の方が集中できた。

 もちろん大学でもその点は変わらず、図書館の利用などは全くしなかった。

 このひと月ですっかり慣れたものだと思いながら、すぐ近くの購買へ入る。

 ラッシュ時を終えたばかりであまり品が残っていなかったが、適当なおにぎりと温かいお茶を買えた。

 問題は食べる場所だ。

 購買の前にもベンチやテーブルはある。加えてキャンパス内でも人が集まる場所だ、視界にはいくつも席はある。

 時間も時間。次の授業待ちと思われる人がちらほらいる程度で、埋まる心配もいらない。

 でも、この場所、この景色には埋まり過ぎている。

 食料を片手に、当てもなく校舎の並ぶ方へ歩き出す。


 講義で使う教室は重複することが多く、自分の通う大学だと言うのに土地勘がない。

 歩き続け、人気の感じられないキャンパスの端の方。

 恐らく校舎であろう建物と、恐らく何かの実習棟であろう建物との間に骨組みだけの東屋を見つける。

 授業の声もしない、不気味なほど静かな場所にあるベンチで昼食を取ることにする。

 最近は誰にも使われていないのだろう。少し汚れたベンチの右側を空けて腰を下ろす。

 何も埋まっていない場所と景色にわずかの寂しさを感じ、誤魔化すようにお茶を一口飲んだ。

 屋根はないが、建物のせいで陽は届かず、ここはやけに涼しい。

 おにぎりを咀嚼しながら空を見上げる。

 屋根のないここから見える空は、雲一つない快晴だ。

 空の青さは薄まり始め、かつての濃さを忘れてしまいそうになる。

 冬になったらもう少し白くなっていただろうか。

 気付ける程に色は変わっていただろうか。

 飲み下した一口、追うようにお茶を飲み、わざとらしく息を吐き出す。




 吐き出した白い息が空へ立ち昇る。

 すぐに見えなくなるそれを目で追いながら、外の寒さと体が寒さに慣れていないことを実感する。


 『今日、めっちゃ寒くない?』


 さっきの教室の暖房が効き過ぎていたせいで、耳だけがやたらと熱い。


 『分かる!こっちも効き過ぎててうとうとしちゃったもん』


 一度も共有したことがない授業風景で船を漕ぐ姿を想像して、小さく笑いがこぼれた。

 ふと思い立ち、顔を覗き込んで合った目が少し赤いのを見て、本当はぐっすりだったんじゃないかと思い、余計に笑いが込み上げて来た。


 『何⁉なんで笑ってるの!』


 スマホを鏡代わりに、慌てた様子で顔を確認する姿により笑いが止められなくなる。

 右肩に感じる温度は、まだ少し冷たい。 

 それでも以前より、歩く距離も心の距離も近づいていると感じられると、体も心も温かくなった。

 いや、そんなこと感じなくてもいつも熱くなっていた。

 会えるだけで、話せるだけで、笑えるだけで、一緒にいられるだけで。

 包むように溢れた笑い声と可愛い非難の声を払うように、追い風が強く吹き抜けた。

 

 


 唐突な向かい風に反射的に首をすくめる。

 うつむいた視界に、おにぎりの包装紙が地面を転がるのが映り、風に飛ばされてしまったことに気付く。

 左手で包装紙を拾い上げ、残った二つ目のおにぎりの最後の一口を食べる。

 味はあまり感じない。

 それでもよく噛んで食べる。

 増えた瞬きは気にしない。

 どこかで鳴る鐘の音が左耳には届く。

 空になった口に、残しておいたお茶を流し込む。

 食べる前にいただきますを言い忘れたことを思い出し、小さくごちそうさまでしたとこぼしておく。

 支度をし、ごみを左手にまとめて、東屋もどきを後にする。


 図書館への帰り道。

 行きとは逆になった景色で、ここが初めて通る道ではないことに気付く。

 春先に、足りなかった分の資料を受け取りに行くのに付き添った際に使ったのはこの道だった。

 傾き始めた陽が、右半身を暖める。

 あの場所にはなくて、この場所にはあった。

 何より、自分自身に埋まりすぎていることを自覚できずにいた。

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