第19話 荒波を超えて

 もう夕日が照らす刻にも関わらず大雨のせいで周りは夜と変わらないぐらい真っ暗だ。

 私はカグヤをおんぶしツムグさんに荷物を持ってもらいながら漁村に向かって走る。

 関係ないけどカグヤ少し重くなった気がする。どうやら狛村では良い生活ができているようで何よりだ。


 雨に打たれて柔らかくなった地面に時より足を滑らしそうになるがなんとか堪えながらしばらく走っていると目の前でツムグさんが勢いよく足を滑らせて転け泥が辺りに飛び散った。

 私は顔に掛かった泥を袖で拭うとツムグさんに駆け寄る・


 「ツムグさん大丈夫!?」


 ツムグさんはかなり痛そうに立ち上がる。


 「——いたたた」


 ツムグさんは体を泥だらけにして顔についた泥を手で擦ろうと——て、それ傷がひどくなっちゃう!


 「待ってください触っちゃダメです!」


 私はカグヤを下ろすと帯に挟んでいた布切れを取り出しツムグさんの顔を拭う。

 よく見ると膝とか顔とかところどころ擦りむいてる。

 ある程度ツムグさんの体についた泥をとるとツムグさんは恥ずかしそうに礼を言った。


 「あ、ありがとう」


 本当なら川の水とかで流したいけどこの雨だ。川は危ないしむしろ泥で汚れて傷口から膿ができるから早く漁村に向かおう。

 私はカグヤを見る。


 「カグヤ。小走りなら大丈夫よね?」


 「うん。暇な時一人で山で遊んでいる時もあるから」


 「——カグヤ。しばらく一人で山に入るの禁止ね」


 「えー」とカグヤは抗議の声を出したけど雨の日の山は危ないから仕方がないことだ。

 私はツムグさんに持ってもらっている荷物を前に抱えると背中をツムグさんに向ける。


 「えっと、マカ? なんの真似かな?」


 「その怪我ひどくなる前に村に行きたいんです。ほら、背中に乗ってください」


 「——ボク、君より多分年上だから。年上としての誇りだけは無くしたくないんだ。うん、怪我は大丈夫だから行こう」


 「——ツムグさんがそう言うなら良いけど」


 ツムグさんはコケる時に足を捻ったのか片足を引き摺りながら歩いている。

 やっぱりおんぶをした方がいいと思うんだけど。


 「マカ。私がツムグをおんぶするから走って行こう。このままだと大雨の中で山道を歩くから余計に危ない」


 「そうだね。——そうしようか」


 私とカグヤはツムグさんに小走りで追いつくとカグヤは有無を言わさずツムグさんを持ち上げると肩に乗せた。

 ツムグさんは驚きの声をあげて暴れる。


 「ちょっとぉ!?」


 「よし、行くよカグヤ!」


 「分かった」


 私はカグヤと共に漁村に向かって走った。ツムグさんは一見私と同い年に見えるカグヤに子供みたいに運ばれるのが嫌なのか顔を顰めて足をバタバタにさせながら叫んだ。


 「まだおんぶの方が許せるのに! 米俵みたいに持たれるのは嫌なんだけど!」


 ツムグさんの声は無惨に雨音に掻き消された。


 ——————。


 しばらく山道を降りようやく漁村にたどり着いた。

 正直濡れて凍えた体を温めたかったけど我儘なんて言えない。

 村の門を越えると私はあたりを見渡しながら港に向かう。


 大雨でさらにもう夜だからか人気なんて無い。

 外も既に真っ暗で雨に家の灯りはどこにも無い。


 ツムグさんはカグヤの方から強引に降りて背中から地面に落ちた。

 

 「いったい!」とツムグさんは腰をさすりながら立ち上がると私を睨む。


 「マカ。とりあえず家船だよ」


 「——そうだけど流石に寝ていると思うよ?」


 「大丈夫。神様のお告げでは大丈夫なんだ」


 ——その神様のお告げは信じてもいいのだろうか。


 ツムグさんは有無を言わせず私の肩を叩く。


 「港は向こうだから急ごう。走って!」


 そう言うとツムグさんは私とカグヤを置いて行って走り出した。

 するとカグヤは私の着物の袖を引っ張る。


 「ねぇ、マカ。ツムグって人の言葉信頼できる?」


 「——」


 正直に言ってツムグさんは信頼できると言われたら怪しい。オトシロさんの件もあるけどそのお告げを私神様の名前を一向に話そうとしてくれない。

 だけど今の時点で疑ってでもしてツムグさんを見捨てた場合、私にどうしろと言われても何もできない。


——だから、今回だけはツムグさんに従おう。


 「大丈夫だよカグヤ。行こう」


 カグヤに手を伸ばすと、少し心配そうな表情をしながらも強く私の手を握る。


 「マカがそう言うなら良い」


 カグヤの言葉に心が躍りそうになるのを抑えて既に見えなくなったツムグさんを目指して向かった方向に走り出した。


 しばらく走るとようやく港に着いた。

 港の先は大きな海が広がり船がたくさん並んでいるが人気が無い。

 しばらく奥に進むと雨の中ツムグさんがポツンと背中を向けて立っており、その正面にはツムグさんの胸ほどの身長しかないお婆さんが顔を見上げていた。


 カグヤと共にツムグさんに近づくとお婆さんは私たちに気づきニコリと笑う。


 「おやツムグさん。この子達がお仲間かい?」


 「うん。そうだよ。だからさ、早速なんだけど鳥取(トリトリ)まで船を出してくれないかな? 報酬はないんだけど」


 「——それは無理だね流石にもう遅いよ。まぁ、そんなことより今は大雨だよ。アタシの家に連れたってあげよう。今日は泊まりなさい」


 「あ、えーと……」


 私が困惑しているとお婆さんは私に近づき腰を撫でて来た。


 「は、はい?」


 離れようとするとお婆さんは開いたもう片方の手を私の腹に置きに離れなくされてしまった。

 お婆さんは私の反応が面白かったのかケラケラと笑う。


 「年頃だねぇ。肉付きが良いののだから婚儀をした後かと思ったがこの中では一番子供じゃないかな。ほら早く着いてきな」


 お婆さんはケラケラと笑いながら私から離れそのまま家のある方向に歩いて行った。


 「——私ってそんなに子供っぽいかな」


 そう口にこぼすとカグヤが私の方に手を置き「マカは私の頼れるお姉さんだよ?」とまるで子供をあやすような口調で慰めてくれた。


 ——恥ずかしい。


 私はお婆さんの後を追うように歩いた。


 ——————。


 ほんの少し歩いてお婆さんの家にお邪魔させてもらうと濡れた衣を脱がされ、お婆さんが若い頃に着ていたかもしれない衣を着て囲炉裏の前に座らされた。

 私はカグヤと寄り添って凍えた体を温めているとお婆さんは器にほんの少しの味噌を乗せて持って来てくれた。


 「あ、別に大丈夫ですよ。私たち食料を持って来ているんで」


 「まぁ気にせず食べな。今日はよく売れたからね」


 ——売れた? もしかしたらこのお婆さんが……。


 ツムグさんとカグヤは器に盛られた味噌を少し摘んで口にする。

 大丈夫だとは思うけど聞いてみるか。


 「あの、お婆さん。少し良いですか?」


 「ん? なんだいお嬢ちゃん?」


 「お婆さんの名前。もしかしてカブカセですか?」


 私がそう口にすると先ほどまで味噌を摘んでいたツムグさんは咄嗟に手を止め、カグヤは気にせず食べている。

 お婆さんは拍子抜けしたような顔をすると徐々に目を細めて大笑いした。


 「あーはははは! よく気づいたのお嬢ちゃん。いや、源マカよ」


 「——っ。なんで私の名前を知っているんです?」


 お婆さん——カブカセさんはニヤリと笑うと自身の額に指を差す。

 てっきり模様だと思っていた縦の線に指を入れた次の瞬間、指を左右に動かし線をまぶたのように広げると目脂と似たようなものがポロポロと落ち額から三つ目の目が現れた。

 額の目は私とツムグさんをギロリと見つめるとツムグさんはびっくりして後ろに尻餅をつけて倒れると私の後ろに隠れた。


 「マ、マカ!?」


 ツムグさんの声に耳を貸しながらカブカセさんを見る。

 額の目。小さい頃お兄さんが話していたことが本当なら人の心を読める妖怪か?


 カブカセはニヤリと笑うと頷いた。


 「そうだよマカ。お前さんの思っている通りだ」


 「——そうですよね。三つ目の目玉を持っていると言ったらその妖怪しかいないはずなので」


 お腹が一杯になったのかカグヤは手を止めてカブカセさんを見ると額の目をじっと見つめると興味深そうに立ち上がりカブカセさんに近づいた。


 「お婆ちゃんその目玉は? すっごく綺麗」


 「アタシは心が読める妖怪だよ。怖くないのかい? ——ん? お前さん今までで初めての奴だね。心を読める妖怪をこんな使い方しようとするなんて」


 ——いったい何を考えているのカグヤ?


 少々私が呆れているとツムグさんは力を込めて私の肩を揺さぶった。


 「マカ! 食われるよ! 逃げようよ!」


 「いや、この妖怪は人殺さないって」


 「嘘だ! 絶対殺すんだ!」


 珍しくツムグさんは取り乱し、息を荒くする。

 一体どうしたんだろう。

 

 カブカセさんは両目を閉じ額の目だけを開けてツムグさんを見ると少し頷いた。


 「なるほど。ツムグさんとやら。小さい頃に故郷を雑多の妖怪どもに滅ぼされたんだねぇ。だけど大丈夫だよ。アタシはこう見えて海人(ウミヒト)では——」


 お婆さんが最後に何かを口にしようとした瞬間ツムグさんは急に倒れるとおかしな呼吸をし始めた。


 「ヒューっ! ヒューっ!」


 まるで肺が破れたかのような音に何もできないでいるとカブカセさんは即座に立ち上がりツムグさんの背中を撫でた。


 「ほれ、落ち着け。大丈夫だ。落ち着きなさい」


ツムグさんは体をガタガタと小刻みに揺らしカグヤもどうしたら良いのか分からずあたふたしていた。

 カブカセさんは私たちを見ると安心させようとしているのか優しく微笑んだ。


 「——お前たちはもう寝なさい。話は明日しよう。アタシはこの子を寝かしつけるよ」


 ——。


 この場では私は何も出来ず、ただツムグさんを見守ることしか出来なかった。

 ツムグさんはというと暫く酷く怯えていたのをカグヤが抱きしめて撫でると瞬く間に眠った。

 カグヤはツムグさんに抱きしめられたまま隣で眠っている。それに対して私は眠れず、雨音を聞きながらカブカセさんの夜酒に付き合っていた。

 無論、私は一滴も飲んでいないけど。


 カブカセさんはほんのり酔っているのか頬を赤く染めてゆっくり喋り始めた。


 「あのツムグと言う女。心の中を覗くとかなり重い過去があるみたいだね」

 

 「——それはどう言ったものですか?」


 「あの子の集落はアタシと同じ心を読める妖怪に滅ぼされたみたいなんだよ。額の目を使って村人を懐柔して酒で眠らせた後——一気にね」


 「——その妖怪は優しいと聞いたのですけど。違うのですか?」


 「優しいさ。そう、馬鹿みたいに優しいから恩人の為に意地でも義理を果たそうとしてしまうんだい。本当惨めなんだよね。優しいとは何か考えさせられるよ」


 「——」


 ツムグさんは妖怪をひどく怖がったのは今まで信頼していたのを裏切られたからなんだろう。

 よくよく思い出せばツムグさんは嫌われたり、裏切られたりするのを嫌っているようだった。

 例えば私をオトシロさんの元に放り込んでしまった時、なんだかんだ助けに来てくれた。

 それから天河村で二ヶ月ほど放置して本気で怒ったこと。これは流石に怒るけどあの時の目はかなり寂しそうで涙を流しそうだった。


 私はツムグさんのことをよく分からないままにして偏見で見てしまっていた。


 「マカよ。あの子の心はすごく弱いよ」


 カブカセさんはそう口にして私の手を強く握った。


 「特にお前さんとは歳が近いから嫌われたくない一心で興味を持たれようとしているみたいだよ。そしてマカを唯一の友人と思っている。このことは忘れるなよ?」


 「私のことを……友人として?」


 私は後ろで涙を流しながら眠るツムグさんを見る。

 そういえば私はツムグさんが相手のせいか気軽に話しかけれていた。なのに不思議なことに友人とは見れていなかった。


 ——いや、もしかしたら私が友人と見たくなかっただけなのかもしれない。

 人を——大切な人(兄)を失いさらに存在まで消えて誰も兄がいたことを信じてくれなかったせいで一時期は人を信じることを出来なくなった。


 その時どうせ人を信じても裏切られるんだと思い込みが今の私を作った。だけど、カグヤやチホオオロさん。小切谷村の一件で信じた方がいいことに気づけた。


 これからは、友人と接してみよう。


 カブカセさんは私の答えに満足したのかご満悦な顔で優しく微笑んでいた。


 ——————。


 翌日。日がようやく山の頂から顔を出し、顔に降りかかる朝日と共に私はようやく眠れない夜を超えてしまったことを実感した。いや、眠れないのは私が悪い。

 あれからしばらく考え事をしたせいで眠気が飛んでしまった。もう一つは酒臭くなるまで飲んで私の膝の上で豪勢ないびきで眠っているカブカセさんも原因の一つ。


 「ぐがーぐがー」


 カブカセさんのいびきが私の頭を震わせる。いい加減この姿勢がしんどくなって来た。


 「誰か起きないかな……」


 心の声を口につい漏らす。

 するとカグヤは顔に力を入れて小声で唸ると目を擦りながら寝起きの重い体を起こす。


 「ん、マカ起きてたの?」


 「うん。眠れなくて」


 「寝ないと気が狂うってイナメお婆ちゃんが言っていたから寝ないとダメだよ」


 「ごめんごめん」


 珍しくカグヤが強い口調を発したことに感心していると続けてツムグさんカブカセさんが起きた。

 カブカセさんはしばらくぼー寝ぼけているとすっと立ち上がった。


 「よし、ではマカよ。お主の頼み事を叶えてやろう」


 え、話していな——心を読まれたか。


 「あぁ、そうだよ。天河のチホサコマ様からの依頼だね。物部からの援軍を呼べとの。勿論いいとも」


 カブカセさんはニヤリと笑うとツムグさんを見た。

 ツムグさんは寝起きなのにカブカセさんと目が合うとまるでこの世のものとは思えないものを見る目をして年下であるはずのカグヤの背中に隠れた。

 カブカセさんにとってその反応は面白かったのか「ひゃっひゃっひゃ!」と大きな声で笑った。


 「まーだアタシを見て怯えるのかい! まぁいいさほらお嬢ちゃんたち、アタシの気が変わるまでに支度しな。その間に子分どもを起こしてくるよ」


 カブカセさんは寝起きにしては素早い動きで着替えると家から出て行った。

 私は少し驚いて固まっていると後ろでカグヤがツムグさんをまるでお姉さんのように優しく揺らしている。


 「ツムグ。もう大丈夫だよて」


 カグヤは満更ではない顔でツムグさんの体を揺らすとツムグさんは声を震わせる。


 「マカもカグヤもおかしいよ。優しい人をそうやすやす信じたら酷い目に遭うよ。優しい人ほど裏が怖いんだよ。なんでみんなそう信じれるんだよ……」


 ——やはり昨日の影響かまだツムグさんは混乱しているようだ。


 「ツムグさんは何を怯えているんですか? 世の中人それぞれですよ」


 「みんな妖怪は優しいっていうけど、襲うのもいるんだよ!? いくら別人だからといって信用できないよ! 熊に襲われた人がクマを手懐けた人から怖くないって言われて信用できないのと一緒だよ」


 「——うんそうだね。なら、私は怖いですか? 私はみんなと違う銀髪で赤い眼をしていますよ」


 「——」


 「もしツムグさんが誰からも妖怪じゃないと教えられなかった、もしくは源氏はこの髪と目を持つ人が生まれることを知らなかったら私を見て怖がってた?」


 「——それは、マカが泣いていたから。普通の子だって分かったから」


 ツムグさんは小声でボソボソと話すけど私の耳には聞こえなかった。

 少し言い過ぎたよね。今まさに後ろからのカグヤの視線が痛い。


 私は肩の力を抜いてツムグさんに近づく。


 「もし、何かがあれば私が守りますから。私が強いのは知っていますよね?」


 「——うん、マカはボクを裏切らない? ボクは君と話してとても信頼できる人だと思っているから」


 「——勿論ですよ」


 ツムグさんは初めて弱々しい手で私の手を掴んだ。するとカグヤは私の方に手を乗せる。


 「それじゃ私は荷物の支度をしておくから。マカとツムグは寝癖と自分の荷物をまとめて」


 カグヤはそう言うと食料が入った袋の中を見て口を縛るなど手際良く支度を進めてくれる。


 それから私たちは支度を済ませると予想よりも早くカブカセさんが戻ってきた。

 カブカセさん戸口から顔を覗かせると私たちを見下ろす。


 「お嬢ちゃんたち用意できたかい? なら、早く出て来ておくれ。こっちはもう支度ができているよ」


 「はい! 分かりました! では行きましょうか」


 私は剣と盾を腰に掛け、食料が入った袋を肩に乗せて後ろに立つ二人を見ると会釈で返した。

 

 ————


 それから家を出て港までカブカセさんと歩く。その間でも怖いのかツムグさんは私の後ろを歩くカグヤの着物の袖を掴んで目が合わないように歩いていた。

 やっぱり幼い頃に怖い経験をしたら中々忘れないよね。


 そうこうしている内に港に着くとたくさんあった船の周りには二十人ぐらいの身体中に刺繍をしている腕が大きい老若な男たちが荷物を船に乗せていた。そして各船の親方らしき人が子分たちに身振り手振りで指示を出しているようだ。

 カブカセさんは親方たちを見ると大きく息を吸い声を出した。


 「お前たち! お客人が来たぞ! 用意はどうだ!」


 カブカセさんの声に親方のうちカブカセさんと何となく同じ顔をした上半身裸の刺青を入れた大男が満面の笑みで手を振る。


 「ばあば! 用意出来たよぉ! 後は乗るだけだよぉ!」


 大男は予想に反した若々しい高い声で嬉しそうに叫ぶとカブカセさんは嬉しそうに笑みを浮かべる。


 「そうか! 早くなったなぁ」


 そして振り向いて私たちを見ると船に指を差した。


 「さぁ、乗りな。お前たちに海人(ウミヒト)の航海を見せてやろう」


 私たちは覚悟を決めて、船に乗った。


 ————。


 私たちは他のと比べて大きな船の真ん中に乗り、そして座るとカブカセさんが先頭に立ちその後から男たちが船の左右に乗ると櫂をしっかりと握って座る。

 カブカセさんが手を前に突き出した次の瞬間男たちが大きな声を出して一斉に漕ぎ始めた。


 「えいっ! えいっ!」


 船は最初はゆっくりだったのが徐々に速度を上げていく。

 私の背中ではツムグさんは少し覚えた表情でカグヤの手をしっかりと握っていた。


 それからしばらくカブカセさんは風に髪を漂わせながら両手を広げ何かを唱え始める。


 「良き船、良き風、良き海の。光り輝く大海に住まう大神よ! 黄金魚(コガネサカナ)を掌り、子々孫々の海人(ウミヒト)をお守りす! 我ら感謝を込めて、貝の首飾りを納めたもうす!」


 カブカセさんは首にかけている貝の首飾りを取ると海に投げ入れた。

 そして柏手を三回鳴らし一度お辞儀をすると顔を上げるとゆっくり座った。そしてやり切った顔で振り返り私たちを見た。


 「どうじゃ? これが海人(ウミヒト)の航海だ。必ず航海するときはこれをする慣わしがあるんだよ」


 海人か。そういえばイナメさんが海人というやけに航海が上手な一族がいると言うのは聞いていた。

 あまり詳しくないけど、彼らがその海人なのは間違いない。


 私は四つん這いでゆっくりカブカセさんに近づく。


 「あの、カブカセさんたち海人(ウミヒト)の氏って聞いても大丈夫ですか?」


 「ん? あぁ、アタシたちは海養(ウミカヒ)だよ。遠い祖先は筑紫の海部に住んでいたんだよ」


 「なるほど。ちなみにここに来たのは何年前ですか?」


 「ざっと三十年前だ。北の果てにある大陸との交易を安雲の国造がしたいと言って来たから筑紫から移り住んだんだ。のうノリナマ」


 カブカセさんは私の隣で漕いでいる目つきが怖いノリナマと呼ばれたお爺さんに言うと、ノリナマは首を上下に動かす。


 「そうですな。カブカセ様が一族の繁栄を鑑みてここに移住することを決めたのじゃ。ちなみにカブカセ様は心を読める妖怪様じゃよ」


 「あ、それは知ってます」


 「そ、そうか……」


 つい返してしまったと思った頃にはノリナマさんは露骨に酷く落ち込んだ。少し申し訳ないことをしてしまったな。


 カブカセさんは胡座に崩すと手に顎を乗せ頬杖にする。 


 「今日の波は良い。二日か三日後には鳥取(トリトリ)に着くだろうさ」


 「ありがとうございます」


 私は返事を返すとツムグさんに視線を移す。

 ツムグさんはここが居ずらそうな顔を露骨に浮かべている。

 幼い頃に心を読める妖怪に裏切られ故郷が滅ぼされた。だから妖怪は信頼できないと言う態度を見せているのだろう。


 ——それにしても。


 私は横目でカブカセさんを見る。


 カブカセさんは一体いつから海人(ウミヒト)の棟梁になったのだろうかが分からない。

 あの集落は彼ら海養(ウミカヒ)の集落。その祖先を知っていると言うことと妖怪な時点でカブカセさんが少なくともこの一族の祖先——現人神(氏神)そのものか?


 カブカセさんは額の目を少し開けて私を見ている。

 恐らく心を読んでいる。


 「あの、カブカセさんはいくつですか?」


 「おや、それだけかい?」


 カブカセさんは度肝をつかれた顔をすると「本当に面白い女じゃな!」と言って興奮気味に早口で喋り始めた。


 要約すると私の予想通りだ。

 あの集落の人たちはみんな二百年前に生まれたカブカセさんと海養(ウミカヒ)氏の祖先の子供たちの末裔たちだそうだ。

 彼らはそこに移住して今は天河の一族に仕え交易を担いながら天河の一族の使者を海で運ぶ役割も果たしている。


 カブカセさんは満足げな表情を浮かべると私の手を両手で包んだ。


 「あと、お前さんが旅をしているのは天人とやらが関わっているんだね。お前の行動する要因は」


 「——そこまで分かるのですか。ここまで来ると隠し事は無理ですね」


 「——あぁ、だから物部の元に向かい増援を引き連れ国造と戦うのだろう? だが、アタシならもう一ついい案があるよ」


 「——なんですか?」


 「筑紫島一帯を治めるお前の同族。筑紫原源氏に天人のことを伝えよう。味方は多い方がいいはずだろ?」


 「——巻き込んでもいいんですか? もしかしたら死ぬのかもしれませんよ?」


 「何をいうのだ。よく考えてみろ今どこにいる? いつ死ぬのかわからない海のど真ん中だよ? そんな軟弱者が海を越えられるかい!」


 カブカセさんの言葉に男たちは笑い始めた。それもゲラゲラと。

 振り返るとカグヤも息を合わせて声に出して笑っている。目は笑っていないから多分どこが面白かったのかを理解できていないのだろう。


 そしてカブカセさんは私から離れ振り返って進行方向を見る。


 「では、一気に向かおうかい。暫くかかるけど船の上で吐くんじゃないよ!」


 「——はい!」


 私の言葉に合わせるようにカグヤはいつの間にか私の背中を掴んで初めて大きな声を出した。私は驚いて咄嗟に振り返るとカグヤは笑みを浮かべていた。

 カグヤのその顔を見ると不思議なことに少し頬が緩んだ。

 その中でただ一人、ツムグさんだけは暗く膝を抱えて顔を隠していた。


 私はこの酷く怯える少女に何かできる事はないのか?


 私は何もできない自分に腹が立ち,、友人として関わりたいと決意してその勇気がない事に胃が痛くなるのをただ静かに実感した。


 

 

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