第十三話 決戦前夜

 あの一回戦から時は過ぎ、いよいよ二回戦前日となった。大林高校の部員たちはグラウンドに集まり、最後のミーティングを行っていた。


「スタメンはいつも通りです。おにーちゃん、先発は頼んだから」


「おう、任せとけ」


 もちろん、今日のミーティングもまなを中心に行われていた。自英学院は投打に隙が無い強豪校だ。大林高校が対等に渡り合うには、竜司の完投は必須条件と言ってもいいだろう。


「じゃあ引き続き、自英学院の投手について話します。まずはエースの八木さんです」


 まなはそう言うと、八木の特徴について話し始めた。八木は左投左打の投手だ。攻撃面でも重要な役割を担っており、四番を打っている。だが特筆すべきは何と言っても投手としての能力だ。


「八木さんの球速は最速で百四十五キロです。変化球もいろいろ投げますが、特に注意すべきなのをいくつか挙げます」


 八木の変化球としてまず挙げられるのが、高速スライダーとチェンジアップだ。高速スライダーは小さい曲がり幅で鋭く曲がり、チェンジアップは打者をきりきり舞いにさせる。そして厄介なのが、決め球に使うスプリットだ。チェンジアップよりも速い球速で、打者の手元でストンと落ちる。


「左投げであれだけのスプリットを投げられるピッチャーはそんなにいません。あの球のせいで、ストレートに的を絞るのはまず無理です」


 まながひとしきり説明を終えると、部員たちはがやがやと話し始めた。


「これ、どうやって打つんだ?」


「真っすぐを待ったらスプリットが来て、変化球を待ったら真っすぐで刺されるってことだろ?」


「そんなん、俺たちには無理だよ」


 すると、まなが場を静めた。


「みなさん、お静かに!!」


 それを聞いて、竜司が声を上げる。


「なあ、何か対策とか無いのか?」


 まなははっきりとした口調で、こう言い切った。


「ないよ!! お手上げ!!」


 黙って話を聞いていた久保は、思わずずっこけそうになった。流石に対策しないわけにもいかないので、まなに問いかける。


「まな、本当に無いのか?」


「強いて言うなら、ワンチャンスを生かして点を取りに行くって感じかなあ」


「具体的には?」


「なんでもいいから出塁して、盗塁とバントで少しずつ前の塁に進むしかないよ」


「そりゃ、もっともだな」


 久保はそう言って、考え事を始めた。八木はシニア時代も好投手ではあったが、ここまでではなかった。自分が知っていた八木と、今の八木は違う。彼はそのことを強く実感していた。


「とにかく、フォアボールでも何でも良いです。まずは、しっかりボールを見て行きましょう」


 まなは部員たちに向かってそう呼びかけた。実際、大林高校の打線に八木を打ち崩す力はない。好機を徹底的に待ち続け、それをものにするしかない。厳しい状況だが、まなは励ますような口調で話を続けた。


「厳しいですけど、我慢していれば点を取るチャンスはあると思ってます」


「なんでそう思う?」


 神林がそう問うと、まなは久保を指さした。


「うちには、日本一の切り札がいますから!」


***


 明日の試合に備えて、今日は早めに解散となった。まなが通学路を歩いていると、久保が後ろから追いついてきた。それに気づいた彼女は不思議に思い、久保に問いかける。


「久保くん、家こっちだっけ?」


「いや、今日は寄り道しようと思ってな」


「ふーん、そうなんだ」


 結局、まなが家に着くまで久保はついてきた。そう、あの「滝川バッティングセンター」に着いたのだ。


「久保くん、私の家まで来てどうするの」


「いや、久しぶりにここで打とうと思ってな」


 そう言うと久保は適当なゲージに入り、機械に百円玉を入れた。バットを取り、左打席で構える。


 カーンカーンと快音を響かせ、次々に打球がセンター方向に飛んで行く。まなが初めて声を掛けた、あの日のように。


「久保くん、相変わらずよく打つねえ」


「日本一なんて言われちゃあなあ」


「ふふふ、そうだったね」


 まなはそんな会話をしながら、久保の打撃を見守っていた。彼女から見て、久保のスイングは四月のあの日よりもずっと鋭くなっていた。


 間もなく規定の球数を打ち終わり、久保はゲージから出た。彼が近くのベンチに座ると、まなもその隣に座った。二人は何を話すわけでもなく、ぼーっとしている。すると、先にまなが口を開いた。


「久保くん、ありがとね」


「おいおい、急に何だよ」


 急に感謝の言葉を言われ、久保は驚いた。まなはさらに話を続ける。


「あんな滅茶苦茶な形だったけど、野球部に入ってくれて。しかもちゃんと活躍してるじゃない」


「それはそうかもだけど」


「だからね、感謝してるの。ありがとう」


 それを聞いた久保は、四月から今までの軌跡を振り返った。彼はまなに誘われ、野球部に入った。一度は諦めた野球の道を、もう一度志すことが出来たのだ。そのおかげで、八木たちとの因縁も解消することが出来た。彼の方こそ、まなに感謝したい気持ちでいっぱいだった。


「まな、こちらこそありがとう。野球部に入って良かったと、心から思うよ」


「えへへ、なら良かった」


「けど、こんな話をするのは今じゃない。明日の試合に勝ってから、だろ?」


 そう言って久保は立ち上がり、まなに手を差し出した。


「……うん、そうだね! 頑張ろうね!!」


 まなは彼の手を取り、立ち上がった。明日の相手は自英学院という強敵。本来なら敵うはずのない相手だが、大林高校には竜司と久保がいる。まなと久保は、負けることなど決して考えてはいなかった。


 その時、竜司が帰ってきた。ベンチの前で手を取り合う二人を見て、ひゅーひゅーと声を出す。


「お前ら、相変わらずお熱いなあ」


「おにーちゃん、からかわないでってば!!!」


***


 そしていよいよ、二回戦当日になった。二回戦だというのに、スタンドには多くの観客が詰めかけている。何と言っても、今日の注目は竜司と八木だ。自英学院の二年生エースである八木と、突如として現れた剛腕投手である竜司。二人の投げ合いを期待する観客が多くいるのだ。


 両校の選手たちは既にウォーミングアップ等を終え、ベンチに入っている。今日は自英学院が先攻だ。竜司は深呼吸して、精神を落ち着かせている。まなはスタンドの方を見上げ、きょろきょろと見回していた。


「久保くん、バックネット裏にスピードガン持った人がいるよ! スカウトかも」


「本当か? それは良かった」


 久保の予想通り、自英学院の試合とあってスカウトが駆けつけていたのだ。八木は二年生ながら好投手として名が知られている。プロが注目するのも、当然のことだった。


「まあ、見に来たのは八木先輩だろうけど」


「ついでにおにーちゃんを見てもらえればなんでもいいよ!!」


 二人がわーわーと騒いでいると、審判が出てきた。それを見て、両校のベンチから選手たちが出てくる。


「整列!!!」


 その掛け声とともに、両校の選手たちが走り出した。ホームベースを挟んで、互いに見合って整列している。


「礼!!」


「「「「お願いします!!!!!」」」」


 大林高校ナインが各ポジションに散って行く。自英学院の応援席からは、ブラスバンドの演奏が鳴り響いていた。ついに、自英学院高校と大林高校の試合が始まったのだ。マウンドに上がった竜司はふうと息をつき、打者と対する。


「プレイ!!」


 審判がコールし、竜司は大きく振りかぶった。久保とまなは、ベンチで固唾を飲んで見守っている。いつも通りやれば、竜司は必ず抑えられる。そう信じていたのだ。


 だが一回表は、自英学院の奇襲で幕を開けることになる――

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