第十二話 宣言通り

 久保はバットを放り投げ、一塁を目指してひたすら駆ける。


「ショート!!」


 左方向に転がる打球を見て、藤山高校の捕手が指示を出した。打球にはそこそこ勢いがあり、遊撃手は三遊間の奥深くで捕球した。なんとか体勢を整え、一塁に送球する。


「駆け抜けろー!!」


 まながベンチから声を出す。久保はひたすら、前に向かって足を動かす。それと同時に、遊撃手が投げたボールが一塁に近づく。球場中の視線が、一塁に注がれていた。


 久保はその足で一塁を駆け抜けた。それとほぼ同時に、一塁手が送球を捕球する。既に神林はホームを踏んでいる。サヨナラか、延長か。塁審の判断に、試合の行方が託されていた。


「セーフ!!」


 そのコールがなされた瞬間、スタジアムにわーっと大歓声がこだました。一方で藤山高校の選手たちはうなだれ、エースの内藤は膝をついて目に涙を浮かべている。


「よっしゃー!!!」


「ナイスだ久保ー!!!」


 次々に大林高校の選手がベンチから飛び出した。投球練習をしていた竜司も駆けつけ、皆で久保を讃えていた。


 まなは笑顔で、ベンチの前に立った。彼女にとって、久保は期待通りのバッティングをしてくれたのだ。皆が苦しんでいたカットボールに対し、わざと三遊間にゴロを打つ。久保は左打者であるから、そうすれば内野安打になる可能性が高い。


 ツーアウト三塁という状況であれば、内野安打でもサヨナラになる。「三塁ランナーが帰ればいい」とは、そういうことだったのだ。


 両校の選手がホームベースを挟んで整列し、挨拶をした。スタンドからは、一回戦ながら熱い戦いを見せた選手たちに拍手が巻き起こっていた。


「いい試合だったぞー!!」


「滝川ー、次の試合も頼むぞー!!」


 大林高校の選手たちは応援席に向かって挨拶したあと、ベンチの片付けを始めた。久保が一人でベンチを出て廊下を歩いていると、藤山高校の選手たちと出くわした。すると、目を腫らした内藤が久保に声をかけた。


「久保くん、最後のは狙って打ったの?」


 それに対し、久保は堂々と答えた。


「はい、狙って打ちました。クリーンヒットを狙うより、その方が確率が高いですから」


 それを聞いた内藤は、笑顔になった。彼にとって、あの内野安打が心残りだった。たまたま内野安打になったのか、それとも必然だったのか気になっていたのだ。彼は右手を差し出し、口を開いた。


「そうか、ならいいんだ。狙って打たれたのならなんの後悔もない。ナイスバッティング」


「ありがとうございます。皆さんの分も頑張りますから」


 そう言って久保は内藤の右手を取り、握手した。高校野球は、負ければ終わり。敗者は、勝者にその夢を託していくしかないのだ。


 久保は球場の外に出た。トイレに行こうと周りをうろうろとしていると、見覚えのあるジャージの集団が見えてきた。そう、自英学院の一軍だ。


 やれやれ、出くわす前に逃げるか。そう思った久保だったが、遅かった。二人の人間がその集団を抜けてきたのである。もちろんその二人とは、八木と松澤である。


「おい、待てよ久保!!」


 八木は久保を呼び止めた。久保は仕方なくその場に立ち止まり、八木の方を向いた。


「なんですか、八木先輩」


「お前、怪我してるんじゃないのか」


 その言葉を聞き、久保は意表を突かれた。この間の練習試合では、怪我の話はしなかったはずだ。誰かから伝わったのだろうか。彼は心の中で考えを巡らせたが、とりあえず誤魔化すことにした。


「何のことですか?」


 久保はそう答えたが、八木は追及を止めない。


「とぼけるなよ。なんで、お前がスタメンじゃないんだ」


「え?」


「今日のスタメンの奴らより、お前の方がよっぽど打てるはずだ」


「それは……」


「それに、お前一球もブルペンで投げてなかっただろう。控え投手だからベンチってわけでもなさそうだしな」


「……」


 八木は確信を持ったように問いかけてくる。久保は何も言えずに黙り込んでしまった。すると、八木の横にいた松澤が口を開いた。


「試合中、倫太郎とそう話し合っててな。不思議に思ってたんだ」


「そう、でしたか」


「で、どうなんだ?」


 久保は深呼吸した。ここまで言われては仕方ない。彼はこの二人、特に八木を失望させたくはなかった。それでも、秘密というのはいずれ明かさなくてはならないのだ。


「先輩たちの言う通りです。俺の右腕は壊れています。チームを辞めたのも、本当はこれが理由です」


「そうか」


 久保の言葉に対し、八木は静かに返事した。三人の間に沈黙が流れる。しばらくすると、八木が久保に対して頭を下げた。


「この前は悪かった。お前のこと、何も考えてなかったよ」


 それを見た久保は、慌てて言葉を返した。


「いえ、チームを投げ出したのはたしかですから。俺の方こそ、無責任でした」


 八木は頭を上げ、改めて問いかけた。


「なあ、一つ教えてくれないか。なんでお前は野球を続けているんだ」


 久保は考えた。なぜ自分が野球を続けているのか。まなに誘われ、竜司と一打席勝負をして、野球への情熱を取り戻した。けどそれはあくまで「野球部に入った」理由。「野球を続ける」理由は何か。彼は八木と松澤の方に向き直り、はっきりと答えた。


「俺は、目標を叶えるために野球をしています。ある人の目標と、自分自身の目標のために」


 八木と松澤は、少し意外そうな顔をした。シニア時代から、久保は熱心に野球に取り組んでいた。だがその圧倒的な才能ゆえに、どこか周りから疎まれる面もあった。そんな久保が、他人の目標のために野球をしている。昔では考えられないことだったのだ。


「そうか、お前も変わったな」


 八木はそう言った。彼が自英学院のエースにまで成長したように、久保もまた、昔とは違った姿を見せていたのである。彼はそのまま、久保に宣戦布告をした。


「いいか、次の試合は俺たちが必ず勝つ。お前には打たせん」


「いいですよ、八木先輩。そっちこそ、うちの竜司さんにノーノーされないでくださいよ」


「ふん、俺たちを舐めるなよ。帰ろう、健太」


「ああ、そうするか。じゃあな、久保」


 そう言って、二人は去っていった。残された久保は、どこかスッキリとした心持ちだった。先輩たちとの因縁を解消し、何の問題もなく試合に臨むことが出来る。絶対に活躍してやろう、心の中でそう誓った。


「久保く~ん、帰るよー!!」


 遠くからまなの呼ぶ声がする。久保はその方向へと向かって歩き出した。次の二回戦は六日後だ。大林高校にとって一番の試練となる試合。絶対的王者と、剛腕投手率いる弱小校。勝利の女神はどちらに微笑むのか――

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