第十四話 奇襲

 竜司は振りかぶって、第一球を投じた。外へのストレートだ。一番打者はそれを見逃がしたが、ボールはしっかりストライクゾーンを通過していた。


「ストライク!!」


 審判のコールで、大林高校のベンチが湧く。


「ナイスピ―!!」


「落ち着いていけー!!」


 久保とまなは、相変わらずじっと見守っている。大林高校の打線で八木から何点も取るのは不可能だ。竜司が大量失点しようものなら、致命傷になる。竜司の投球は、大林高校の勝敗に直結しているのだ。


 神林が返球し、竜司はそれを受け取った。サインを交換して、竜司は再び大きく振りかぶった。そして力強く、ボールが指から放たれていく。


「あっ」


 すると、まなが小さく声を上げた。彼女の視線の先には、セーフティバントの構えを取る打者がいた。コツンという音とともに、ボールはピッチャー前に転がっていく。


「ピッチャー!!」


 神林が指示を出し、竜司がボールを捕りに行く。打球の勢いは死んでおらず、きちんと処理出来ればアウトに出来そうだった。だが、竜司はグラブでボールを弾いてしまった。慌てて拾い上げて送球したが、間に合わなかった。


「セーフ!!」


「よっしゃー!!」


「ナイスバントー!!」


 自英学院のベンチが一気に湧いた。スコアボードの「E」のランプが灯り、竜司のエラーであることが示されていた。


「竜司、切り替えていけ」


 神林が竜司に声を掛けた。竜司は大丈夫だと身振りで伝え、マウンドに戻った。一方で、ベンチではまなと久保が話をしていた。


「竜司さん、珍しく緊張してるのかな」


「いや、そうじゃないと思う」


「え?」


「もしかしたら、最悪なケースかも」


 まなは厳しい表情でそう言った。それを見た久保は、練習試合での出来事を思い出していた。試合の終盤で見られた、自英学院の不自然な攻撃。結局その正体は分からなかったが、そのとき感じたのと同じ不気味さが心に湧き出ていた。


 続けて、二番打者が打席に入った。送りバントの構えはない。竜司はランナーを警戒して牽制球を投じたが、特に動きは見られなかった。


「バントの構えはしてないし、走る気配もない。ヒッティングか?」


「どうだろう。おにーちゃん相手なのに、強気だね」


 竜司はセットポジションから、第一球を投じた。すると、打者がバントの構えに素早く切り替えた。カツンという音とともに、ボールが三塁線上に転がっていく。そう、自英学院が二連続でセーフティバントを仕掛けてきたのだ。


「ピッチャー!!」


 再び神林が指示を出す。竜司が走って捕りに行くが、体勢を崩してしまった。二塁を諦めて一塁に送球したが、間に合わない。今度は「H」のランプが灯り、自英学院のベンチがさらに湧いた。


「オッケーオッケー!!」


「ナイスバントー!!」


 これでノーアウト一二塁だ。このあとの打順は三番の松澤に、四番の八木。大林高校は初回から大ピンチを迎えることになった。


 まなは厳しい表情を変えていない。思わず、久保がまなに問いかけた。


「自英学院がこんなバント攻めをしてくるとは思わなかったな。強豪らしくない」


「違うよ、久保くん。向こうはおにーちゃんの弱点を既に見抜いてる」


「どういうことだ?」


「おにーちゃん、怪我のせいでフィールディングが苦手なの」


 まなの言う通り、竜司は守備を苦手としていた。かつて膝を怪我した影響で、脚の動きに癖がついてしまっていたのだ。基本的にはプレーに影響は無いのだが、守備で咄嗟の動きを取ろうとすると思うように体を動かせない。


「じゃあ、この前の練習試合は」


「あの最終回、自英学院は試合を捨てておにーちゃんのデータを取っていたんだと思う。それで、フィールディングのまずさがバレちゃったってわけね」


 練習試合は組合せ抽選会の前に行われたものだ。すなわち、その時点では大林高校と自英学院の対戦が起きる可能性は低かったわけだ。それでも、未知の好投手である竜司に対してデータ取りを怠らなかった。自英学院が強豪校たる所以は、そういった箇所に現れていた。


「三番、キャッチャー、松澤くん」


 場内アナウンスが流れ、松澤が右打席に向かおうとしている。神林は内野陣に守備の指示を出したあと、ベンチの方を見る。


「久保!!」


 そしてそう叫び、右手首を軽く捻った。久保はそれを見て、大きく頷く。それを見たまなは、彼に問いかけた。


「久保くん、まさかもう?」


「先制点だけは許すわけにはいかない。出し惜しみは無しだ」


「でも、まだ一回だし」


「この状況で抑えるには、これしかない」


 久保が頷いたのを確認して、神林は座った。打席の松澤は、既にバントの構えをしている。


「またバントみたいだね」


「ワンアウト二三塁の形を狙っているみたいだな。あわよくば竜司さんの守備につけ込んで、バッターも生きようってわけだ」


 本来、クリーンナップに送りバントをさせるというのは、強豪校が弱小校相手にすることではない。しかし、自英学院は徹底して竜司の弱点を突く構えだったのだ。


 神林は内角に構え、サインを出す。竜司は落ち着いてそれを見て、セットポジションを取った。そして素早く足を上げ、第一球を投じた。


 指から放たれたボールは、真っ直ぐインコースへと向かっていく。松澤はしっかりと転がそうと、バットを少しずつ内に寄せていく。


 だが次の瞬間、松澤は目を見開いた。直球だと思っていた球が、自分の胸元に向かって変化したからだ。


「ッ……!?」


 松澤は思わず声を出す。ボールはバットの根元に当たり、ガツンという音を立てて舞い上がった。


「キャッチャー!!」


 竜司が大声で叫んだ。打球はホームベース近くへのフライとなった。神林は落ち着いて構え、しっかりと捕球した。


「ワンアウトワンアウトー!!」


「竜司さん落ち着いてー!!」


 ひとまずワンアウトを取れたことで、大林高校のベンチが盛り上がった。久保とまなも、ほっと息をついた。


 一方、データに無い変化球を投じられたことで、自英学院のベンチは騒がしくなっていた。アウトになった松澤は、打席に向かおうとしている八木から声を掛けられた。


「健太、さっきのは?」


「練習試合のときは投げてない球だ。だけど、何の球かはっきり分かったよ」


「ああ、あの軌道と球のキレ。間違いない」


 八木はちらりと大林高校のベンチを見た。彼の視線の先には、久保の姿があった。そして一言、松澤に告げる。


「あれは、久保のシュートだ」

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