第九話 夏の始まり

 とうとう、一回戦の日となった。部員たちは球場の外に集まって、まなを中心にミーティングを行っていた。まなが、今日のスタメンを発表していく。


「一番は、いつも通り松木先輩です。今日はライトです」


「おうよ」


「二、三、四番もいつもと同じです。寺北先輩、岡本先輩、神林先輩の並びでいきます」


「「「オッケー」」」


「そして、五番はおにーちゃんね」


「おう」


「打ち合わせ通り、今日はレフトだから」


「分かってるって」


 そう、大林高校は竜司を温存する賭けに出ていたのだ。二回戦では、シードの自英学院と当たる。そのため、竜司の体力消耗を避けて万全の状態で自英学院と対戦する。そういう計画だった。


 引き続き、まなが六番から九番までのスタメンを発表していく。今日は九番に三年生投手の近江が入っている。右投げ右打ちの投手で、竜司が復帰するまではエースナンバーを付けていた。


「近江、頼むぞ!!」


「分かってるよ、竜司」


 竜司が励ますと、近江はそれに答えた。まなは控え選手に対して、試合中の動きの指示を出している。二年生投手の梅宮に対しては、状況次第で肩を作るように伝えていた。なるべく竜司の登板を避けるため、今日は近江と梅宮でしのぐ作戦だからだ。まなは最後に久保を指さし、こう告げた。


「久保くん、もちろん代打で待機ね。チャンスが来れば、必ず使うから」


「任せとけって」


 久保はいつものように、そう答えた。彼のつけている背番号は18番。十八人しかいない大林高校野球部において、一番最後の番号だった。


「よし、いくぞお!」


「「「おう!!!」」」


 竜司を中心に円陣を組み、皆で気合いを入れた。球場に入り、各々がウォーミングアップを始める。


 その様子を眺めていた久保が、まなに話しかけた。


「しかし、うちの野球部ってまとまってるよな」


「え?」


「こう言っちゃなんだけど、毎年せいぜい一、二回戦負けの弱小校じゃないか。それなのに、皆やる気があるって言うか」


「違うよ、久保くん。おにーちゃんたちが変えたの」


「どういうことだ?」


「たしかに、おにーちゃんが入部した頃は大してやる気がない部活だったらしいけど。おにーちゃんと神林先輩が皆を鼓舞して、ここまでまとまりのある部になったの」


「そうなのか?」


「そう。おにーちゃんが試合に復帰する頃には、やる気ならどこにも負けない部になったってこと」


 竜司はたしかに、自英学院への入学を諦めることになった。だが、プロという目標は失わずにひたすら努力を続けた。それが皆を感化し、大林高校野球部は活気ある部活へと生まれ変わっていたのだ。


 しかし、まなは複雑な表情で久保に告げた。


「正直、やる気はあっても地力が無いことには変わりない。おにーちゃんを温存したのだって、危ない選択肢だよ」


 それに対し、久保は表情を引き締める。


「まあ、仕方ないだろ。とにかく、勝つしかない」


 今日の対戦相手は、藤山高校だ。中堅校で、三回戦に残ることも珍しくない。大林高校にとっては分が悪い相手だった。


 試合開始直前、まなを中心に再度ミーティングが行われる。


「今日はこちらが後攻ですし、初回に先制されるのは何とか防ぎましょう」


「「おう!!」」


「相手先発は左投げの内藤さんです。エースですし、大振りせずコンパクトに打ちましょう」


「「おう!!」」


「じゃあ、行きますよ!!」


「「おう!!!」」


 そして、試合が始まる。審判の合図で両校が整列し、互いを見合う。


「それでは、礼!!」


「「「「お願いします!!!!」」」」


 挨拶とともに、大林高校のナインが各ポジションへと散って行く。久保はベンチに戻り、まなの隣に陣取った。そして、二人で試合開始を待っていた。


「近江先輩の調子、どうだろうね」


「出来れば竜司さんの登板は避けたいな」


 そんな会話をしていると、審判が合図をした。


「プレイ!!」


「近江先輩、初球ですよー!!」


「落ち着いていけー!!」


 それと同時に、部員たちが近江を盛り立てる。藤山高校のブラスバンドが演奏を開始し、応援を盛り上げる。大林高校のナインは、守備に備えて表情を引き締めた。そして、近江が初球を投じる。


「ストライク!!」


 外角にストレートが決まった。まずワンストライクだ。神林がボールを返し、近江がそれを受け取る。


「近江先輩、いいですよー!!」


「その調子その調子ー!!」


 初球でストライクが取れて安心したのか、近江は落ち着いた表情で投げていく。そのまま、先頭打者を内野ゴロに打ち取った。


「ワンアウトワンアウトー!!」


「ナイスピ―!!」


 先頭打者を打ち取った近江は、徐々に調子を出していく。そのまま二番と三番を打ち取り、初回は三者凡退に抑えることが出来た。


「ナイスピ―だ、近江!!」


 レフトから戻ってきた竜司が、ベンチに帰る近江に声を掛けた。それに対し、近江も言葉を返す。


「おう、元エースを舐めるなよ」


「頼もしいな、この後も頼むぞ!!」


 そう言って、竜司は近江の背中をバンバンと叩いた。ベンチでは、久保とまながナインを励ます。


「皆さん、こっからですよ!!」


「久保くんの言う通りです!! 初回に先制点取っちゃいましょう!!」


「「おうよ!!」」


 一回表を三者凡退に抑えたことによって、大林高校に勢いが生まれた。そして、一回裏の攻撃。一番の松木が出塁すると、次々に打線が繋がって行く。神林と竜司の二連続タイムリーで、一気に三点を先制した。


「ナイバッチ、竜司さーん!!」


「おにーちゃん、ナイスバッティング!!」


 久保とまなは、ベンチから懸命に声援を送っていた。理由は違えど、スタメンで出ることが出来ないというのは同じ。彼らに出来るのは、応援という形でチームを盛り上げることだけだった。


 近江はその後も好投を続けた。四回表に一点を失ったものの、大崩れはせずに投球を続けていた。一方で藤山高校の内藤も調子を取り戻し、二回以降は無失点だった。内藤の決め球はカットボール。大林高校は、それを打つのに大分苦労していた。


 試合は進み、七回裏。打順は六番の岩沢からだ。岩沢は審判と捕手に挨拶し、左打席に入る。


「岩沢先輩、ファイトー!」


 久保は相変わらず、大声で声援を送る。内藤は岩沢に対して初球を投じた。いきなりカットボールを投じてきたが、岩沢は積極的に打ちに行く。そして、カキンという打球音が響いた。


「ショート!」


 藤山高校の捕手が指示を出した。岩沢は懸命に走るが、ショートがしっかり送球してアウトになった。この打席を見ていた久保が、まなに話しかけた。


「なあ、向こうの先発って何球投げたんだ?」


「まだ八十球くらい。初回に三失点させた割に、あまり投げさせられてないね」


「こう内野ゴロばかり打たされてたんじゃなあ」


 大林高校は、カットボールに芯を外されて思うような打撃が出来ていなかった。内野ゴロでテンポよく打ち取られてしまい、なかなか点差を開くことが出来ない。


 そうこうしている間に、七番、八番と打ち取られてしまった。これでスリーアウトだ。ネクストバッターズサークルに入っていた近江がバットを置き、グラブを持って慌ただしくマウンドに向かった。久保は険しい表情で、まなに話しかける。


「なあ、まな。そろそろ近江先輩じゃ危ない気がする」


「そうね。二点差しかないし、試合の流れは完全に向こう。そろそろ交代した方が良いかもね」


「梅宮先輩が肩作ってるけど、出来るだけ近江先輩を引っ張りたいしな。難しいな」


 そして迎えた八回表。久保の予感は的中した。近江は先頭の九番打者こそ打ち取ったものの、一番、二番、三番と三連打を浴びた。一点を失い、なおもワンアウト一三塁のピンチ。大林高校はタイムを取り、内野陣がマウンドに集まった。ベンチでも、久保とまなが話し合う。


「なあ、まな。流石に交代した方がいいんじゃないか」


「久保くん、まだリードしているのはこっちだよ! 近江先輩には、もう少し粘ってもらおうよ」


 結局、近江の続投ということになった。久保はグラウンドの方を見ていたが、ふと横を見るとまながベンチから身を乗り出していた。まなはスタンドの方を見上げ、何かを考えている。


「まな、どうかした?」


「久保くん、あそこ」


 久保も身を乗り出し、まなが指さす方に目を凝らした。そこには、自英学院のジャージを着た選手たちがいた。そう、一軍の選手が観戦に訪れていたのだ。


「あれ、自英学院じゃないか。わざわざ一軍総出で観に来るなんてな」


「たぶん、おにーちゃんを見に来たんだと思う。二軍がノーノーされたんだし、そりゃ気になるよね」


 久保とまながスタンドを見ていると、いつの間にか内野陣がポジションについていた。二人は慌ててベンチの中に戻る。間もなく、試合が再開された。


 近江が対するのは四番打者。際どいところを攻めて行くが、思うようにストライクが入らない。カウントはスリーボールワンストライクだ。


「まな、やっぱりヤバいって。梅宮先輩に交代した方が――」


 久保がまなの方を振り向くと、まなは何だか考え事をしていた。


「どうしたんだ、まな?」


「久保くん、これは最大のチャンスだよ」


「え?」


「自英学院の一軍に、おにーちゃんの投球を見せつける絶好の場面になる」


「お前、何を言って――」


 そのとき、審判のコールが響き渡った。


「ボール、フォア!!」


 それを聞き、四番打者が一塁へと歩き出した。これでワンアウト満塁だ。するとまなはタイムを取り、竜司を手招きする。


「選手交代!!」


 そして、審判に向かってそう叫んだ。それを見た久保は驚き、まなに問いかける。


「う、梅宮先輩じゃないのか?」


「違うよ」


 監督(とは名ばかりの素人顧問)が審判に選手交代を告げに行く。間もなく、場内にアナウンスが流れ出した。


「大林高校、選手の交代をお知らせいたします。近江くんに代わりまして木尾くんが入り、ライト。ライトの松木くんが、レフト。そして――」


「レフトの滝川くんが、ピッチャー。以上に変わります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る