第十話 噂の剛球

 場内アナウンスが流れると、球場がざわつき始めた。あの練習試合で名を揚げた大林高校は、県内で密かに注目を集めていた。そのため、竜司を目当てに観戦に来ていた人間が多くいたのだ。


 もちろん、自英学院の選手たちも例外ではない。投球練習をする竜司に対して、スタンドから視線を送っている。その中には、八木と松澤も含まれていた。


 一方で、ベンチでは久保とまなが話し合っていた。


「さっきまで外野守ってた竜司さんがいきなり投げるなんて、大丈夫か?」


「大丈夫! こういう状況を想定して、ちゃんとトレーニングしてあるから」


「でも、なあ」


「もしまずかったら、もう一度レフトに下げて梅宮先輩に交代する。私、ちゃんと考えてるから」


 久保の心配とは裏腹に、竜司は相変わらずの剛球を投げ込んでいた。藤山高校の面々は、その球を見て目を見開いている。


「あれが噂の滝川か……」


「あの真っすぐ、百四十後半は出てるぞ」


 皆、口々にそんな言葉を発していた。やがて投球練習が終わり、試合が再開される。状況はワンアウト満塁で、二塁走者が帰れば逆転だ。竜司はセットポジションから、第一球を投げ込む。ずどんという音が鳴り響き、ストレートが神林のミットに収まった。


「ストライク!!」


 審判のコールとともに、球場にどよめきが起こった。竜司のストレートは、その球速以上の威力を持っていた。ボールの放つエネルギーが、球場の雰囲気を変えていく。


 どよめきが収まらないまま、彼は第二球を投じる。高めのストレートだ。打者は打ちに行くが、バットはボールのはるか下を通過していく。


「ストライク!!」


 再びのどよめき。スタジアム全体を包む異様な雰囲気に、久保とまなも飲み込まれていく。


「竜司さん、すごいな」


「う、うん……。公式戦初登板なのに、全然緊張してない」


 そして竜司は第三球を投じた。再び、高めのストレートだ。同じように打者が手を出していくが、全く当たらない。ボールはそのまま、キャッチャーミットに収まった。


「ストライク!!バッターアウト!!」


 わーっという歓声が、大林高校の応援席から湧いた。これでツーアウト満塁だ。竜司は真剣な眼差しのまま、神林からボールを受け取った。


「おにーちゃん、ナイスピッチングー!!」


「竜司さん、ナイスピッチ!!」


 ベンチからも声援が送られる。次は六番打者だ。いきなり三球三振を見せられた藤山高校の部員たちは、焦りの色を隠せていなかった。


 打席に打者が入ると、竜司はセットポジションに入った。神林のサインは、内角へのストレート。このまま一点も許さないという、強気のリードだった。竜司はふうと息をついてから、初球を投じた。


 神林の要求通り、ボールがインコースへと向かって行く。藤山高校の打者は、焦りからかいきなりスイングをかけてきた。ボールはバットの根元に当たり、ガチンという鈍い音が響く。


「ピッチャー!!」


 神林が竜司に指示を出した。ボールは三塁線上をボテボテと力なく転がって行く。竜司は慌ててボールを取りに行くが、少し体勢を崩した。一塁に送球したものの間に合わず、内野安打となった。その間に三塁ランナーが帰り、三対三の同点となってしまった。


「よっしゃー!!」


 今度は、藤山高校の応援席とベンチが湧いた。完全に打ち取っていたものの、不運な当たり。大林高校のベンチでは、皆が「あ~」とため息をついた。


「おにーちゃん、ドンマイドンマイ!!」


「竜司さん、まだ同点ですよー!!」


 久保とまなが声援を送ると、竜司は二人の方を向いた。片手を挙げ、「すまない」とジェスチャーをした。


 依然として満塁のピンチだったが、竜司は七番打者を三振に抑えた。結局この回、竜司は一球も変化球を投じなかった。


 ベンチに帰ってくるナインを、久保とまなが出迎えた。神林は久保に声を掛け、竜司の投球について相談していた。


「久保、九回もこのまま直球中心で行く。自英学院の奴らが来てるなら、例の新球は見せない方が良いだろう」


「はい、そう思います。竜司さんの直球を印象付けられたら十分ですよ」


 そして、八回裏の攻撃が始まった。打順は九番からだ。この回になんとか勝ち越しを――と盛り上がった大林高校だったが、内藤の前にあっさり三者凡退に打ち取られてしまった。未だに、内藤のカットボールを打つ術を持たなかったのである。


 大林高校ナインが意気消沈するなか、対照的なのは藤山高校だった。


「絶対勝ち越すぞ!!」


「「おう!!!!」」


 九回表が始まる前、藤山高校は円陣を組んでいた。八回表に同点に追いつき、その裏を無失点に抑えたことで勢いを増していたのだ。ブラスバンドの演奏にも一段と熱が入り、より大きな声援が送られている。


 竜司は物ともせず、投球練習を行っていた。大林高校の応援席は固唾を飲んで見守る。藤山高校の勢いか、竜司の剛球か。球場中から、熱い視線が注がれていた。


「プレイ!!」


 審判のコールで、九回表が始まった。竜司はいつも通りのワインドアップで、打者に対してストレートを投げ込んでいく。


 そこからは、まさに圧巻の投球を見せた。八番打者に対しては、直球三つで再び三球三振を奪った。九番打者には多少粘られたものの、最後はフォークボールで空振り三振を取った。


 当初は盛り上がっていた藤山高校のベンチも、徐々にその熱を失っていく。一番打者も積極的に打ちにいくが、当たらない。ストレートを五球続けられ、あえなく三振となった。


「おっしゃあ!!」


 竜司がマウンド上で雄叫びをあげた。それに呼応するかのように、大林高校の応援席からは大きな拍手が送られた。


「おにーちゃん、ナイスピッチング!!」


「ああ、無失点で良かったよ」


 まなに出迎えられた竜司はふうと息をつき、ベンチに座った。大林高校の攻撃は、三番の岡本からだ。当然五番にも打席が回るので、竜司は打撃の準備を始める。ふとベンチ内を見回した彼は、久保がいないことに気づいた。


「そういや、久保は?」


 竜司が問いかけると、まなが返事をした。


「ああ、とっくに準備してるよ」


「準備って、代打の?」


「うん。九回表が始まったとき、私が言う前に裏に下がって素振りしてた」


「そうか」


 竜司はそう返事をして、ドリンクを飲み始めた。それを見ていたまなは、何かを思い出したかのように口を開いた。


「おにーちゃんに、伝言があるって」


「何だ?」


「『延長にはさせませんから』だって」


 ベンチの裏で、久保は黙々とバットを振っていた。宣言通り、九回裏で試合を終わらせるために。大林高校の切り札は、密かに爪を研いでいたのである――

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