第八話 合宿
六月も下旬になり、夏の大会の抽選会が開かれる時期となった。ある日の放課後、代表として竜司が抽選会に行ってくじを引いてきたのだが――
「おにーちゃん、何やってんのよ~~!!」
組み合わせ表を見たまなが、抽選会から帰ってきた竜司の背中をぽかぽかと叩いている。それもそのはず。
なんと、竜司は第一シードの隣の山を引き当ててしまったのだ。もちろん第一シードは自英学院だ。すなわち、一回戦を突破すると自英学院と対戦することになる。
竜司は苦笑いしていたが、久保はそこまで落ち込んでいなかった。久保はまなを引きはがしながら、竜司に声をかけた。
「竜司さん、これはチャンスですよ」
「ええ? お前、何言ってんだ?」
「自英学院の試合となれば、一人くらいはプロのスカウトが来ます。竜司さんを見てもらえるかも」
それを聞いた竜司とまなが反応した。二人は顔を見合わせ、たしかにそうだなと頷いていた。
「さすが久保くん! いいことに気づいたね」
「そのためには、とにかく一回戦に勝たなくちゃですけど」
「そうだな、久保。さあ、練習だ練習」
そうして、竜司はグラウンドへと走って行った。久保も練習に戻ろうとすると、まなに呼び止められた。
「久保くん、ちょっと待って!」
「なんだ、まな?」
「今週末の合宿で使う道具を準備したいの! 私一人じゃ大変だから手伝ってくれない?」
「ああ、それくらいなら問題ないよ」
久保はそう返事して、まなについて行った。久保が連れて行かれた先は、グラウンドの隅にある倉庫だった。
「それで、どれを運べばいいんだ?」
「久保くんはそこらへんのかごとか運んどいてー!」
「オッケー」
久保はそう言いながら、左手だけでかごを持った。
「あっ、久保くん大丈夫!? 大会前だし、無理しなくていいよ!」
「大丈夫だよ、このくらい」
「なら、いいけど」
まなは倉庫の鍵を閉めた。そして、二人で体育館へと歩いて行った。
「この高校、体育館に合宿所があるんだな」
「ねー、どの部活も強くないくせに生意気だよね」
「それ、言ってて悲しくならないのか」
そんなおしゃべりを楽しんでいた二人だが、久保の頭にある疑問が浮かんだ。
「なあ、一つ聞いていいか?」
「なあに、久保くん?」
「竜司さん、なんで一度も公式戦で投げたことが無いんだ?」
その言葉を聞き、まなが立ち止まった。そして久保に向き直り、静かに口を開いた。
「おにーちゃんはね…… 本当は、自英学院に行くはずだったの」
その言葉を聞き、久保は言葉を失った。思わずかごから手を放してしまい、がらんという音が響いた。
「ど、どういうことだ?」
「おにーちゃんは、中学で軟式野球部だったの。そこそこ有名なピッチャーだったから、自英学院の入部試験を受けるつもりだった」
「じゃあ、なんで」
久保がそう聞くと、まなは表情を暗くした。何かを思い出したかのような表情で、目に涙を浮かべている。
「けど、けど…… おにーちゃんは、中三の時に膝を怪我をしたの」
そのとき、久保は練習試合のときのことを思い出した。「なあに、お前と同じだよ」という竜司の言葉。その意味を、今になって理解したのだ。
久保はまなのもとに駆け寄った。だが、かける言葉が見つからない。ただ黙っていると、まながさらに話を続けた。
「それで、自英学院は諦めようって…… 仕方なく、うちの高校に進学したの」
「……そうだったのか。それで今まで投げていなかったのか?」
「そう。ずっと治療に専念してきて、今年からようやく復帰できることになったの」
竜司も、かつては自分と同じ立場だったのだ。それを知った久保は、竜司に対する認識を大きく改めることになった。
プロという目標に向かって努力しているが、妹やチームメイトに対してはどこか飄々とした感じで振舞っている。久保は、竜司という存在をそのように認識していた。しかし、その裏には大きな苦労があったのだ。想像もつかないほどの、辛い治療とリハビリ。竜司はそれを乗り越え、まさに夢を掴もうとしていた。
久保はズボンのポケットからハンカチを取り出し、まなに差し出した。
「ありがとう、久保くん。でも、汗まみれだからヤダ」
まなは少し笑って、そんな返事をした。
「この野郎、元気じゃねえか」
久保はハンカチをポケットに突っ込み、かごを再び持った。
「ほら、練習時間が無くなるだろ」
「もー、もうちょっと慰めてくれてもいいじゃない」
二人は再び歩き出した。その間、久保は自分の右腕のことを考えていた。俺も頑張って治療すれば、三年の頃にはまた投げられるのかなあ。そんな思いを抱えつつ、かごを運んだ。
それから数日後。いよいよ大会前の合宿が始まった。
「いくぞー!!」
「「ばっちこーい!!!」」
グラウンドでは、皆が威勢よくノックを受けている。久保とまなは、相変わらずグラウンドの隅で打撃練習を重ねていた。
「久保くん、入部した頃より振りが鋭くなったね!!」
「まあ、こんだけバット振っていればなあ」
そう言いながら、久保はバットを振り続ける。やがて打ち終われば、今度はまなにトスをあげる。そのルーチンも変わらないままだった。
その後、部員全員でサインプレーや走塁の確認を行った。みっちり夕方遅くまで練習したため、部員たちはすっかりへとへとになっていた。
その夜。部員たちは皆、合宿所で雑魚寝していた。夜中に久保がトイレに起きると、合宿所の外で夜空を見上げる竜司を見かけた。
「竜司さん、何してるんですか?」
久保は竜司に声を掛け、隣に立った。
「いや、眠れないもんでな。お前は便所か?」
「まあ、そんなとこです」
そうして、しばらく二人で夜空を眺めていた。特に何を話すわけでもなく、沈黙が流れる。すると、竜司が口を開いた。
「まなとはうまくやってるか?」
「うまく……というのは」
「バカ、毎日毎日一緒に練習してるくせに何もないのか?」
「ないですよ、そんなの。だいたい妹の男事情に口突っ込まないでくださいよ」
それを聞いた竜司がハハハと笑った。それを見た久保が、あることについて竜司に尋ねた。
「竜司さん、怪我をしてたってまなから聞きましたよ」
「なんだ、アイツそんなことを話したのか。昔の話だよ」
「でも、自英学院に行くはずだったって」
「ハハハ。今更どうしようもない話さ。ここの野球部はいい奴ばかりだし、後悔なんてしてないさ」
竜司は表情を変えずにそう答えた。久保はどうにも納得できず、さらに問いかけた。
「でも、まなは泣いてましたよ」
その瞬間、竜司が真顔になった。少し俯き、口を開いた。
「まなは、自分のせいで俺が怪我をしたと思ってるんだ」
「どういうことです?」
「俺が膝を怪我したのは、とある練習試合で投げていたときだったんだ」
「それで?」
「そのとき俺の球を受けていたのが、まなだったんだ」
一瞬、時が止まった。久保が何も言えないでいると、竜司が詳しく説明した。
竜司は当時から、神林とバッテリーを組んでいた。だが練習試合の日、神林は風邪をひいてしまった。そこで、一年生捕手のまなが試合に出ることになった。
まなは竜司とバッテリーを組めるとあって、とても喜んだという。だが試合途中で、竜司に異変が起きた。投球直後に、膝から崩れ落ちたのだ。
すぐに病院に運ばれたものの、治療には長期間かかることが判明した。その結果、自英学院を諦めることになった。そして神林と共に大林高校へと進学し、再起を誓ったというわけだったのだ。
「別に、まなのリードに落ち度があったわけじゃない。何度もそう説明したんだけどな」
「じゃあ、まながこの高校に進学したのも?」
「俺に申し訳なく思っていたからみたいだ。女子野球部がある高校を勧めたんだが、アイツはうちを選んだ」
「そう……だったんですね」
再び、二人の間に沈黙が流れる。すると、竜司が再び口を開いた。
「なあ、久保。仮に俺がプロに行けたとして、その後まなはどうなる?」
「えっ?」
「俺をプロに、なんて目標を失ったまなはどうしたらいいんだ?」
「それは……そうですが」
「だからな、久保」
そう言うと、竜司は久保の手を掴んだ。
「この大会が終わったら、お前がまなの目標になるんだ」
「俺が……まなの目標にですか?」
「そうだ、お前しかいない。頼むぞ」
久保がその言葉の意味を理解できぬまま、竜司は合宿所へと歩き出した。だが数歩歩いたところで、竜司は振り返った。そして一言、久保に告げた。
「お前も、プロ野球を目指せ」
その合宿から一週間後。いよいよ、夏の大会が幕を開けた。
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