第七話 八木倫太郎
八木の言葉に対し、久保は何の言葉も発することが出来なかった。お互いにしばらく見合っていると、八木の隣にいた男が宥めてきた。
「まあ待てよ、倫太郎。久保が困ってるだろ」
そう話すのは、松澤健太。松澤も自英学院のレギュラーをつかみ取り、八木とバッテリーを組んでいる。
「いいだろ、健太。コイツには言いたいことがたくさんあるんだから」
松澤の制止も無視して、八木はさらに話を続ける。
「お前、あの時『責任を取る』なんて言ってチームを辞めたんだよな?」
「……はい。そうですが」
久保が初めて口を開いた。それに対し、八木の口調が荒くなる。
「じゃあなんで野球やってるんだ!! 自分が何をしたのか分かってるのか!?」
「おい、落ち着けって!!」
今にも殴りかかってきそうな八木を、松澤が何とか抑えていた。カッとなった八木だったが、松澤に宥められて徐々に落ち着きを取り戻した。
「……八木先輩。たしかにあの試合、俺が意地張って続投したせいで負けました。でも」
「俺はそんなことを怒ってるんじゃない」
「え?」
てっきり続投の件を怒っているのかと思っていた久保は、意表を突かれた。すると、今度は松澤が口を開いた。
「実は、あのとき久保を続投させるよう俺が監督に進言していたんだ」
「松澤先輩、どういうことですか?」
「たしかに、お前は六回まで投げて疲れていた。それでも、八木の球よりお前の球の方が勢いがあった」
「それで監督に?」
「そうだ。お前らが知らないところで、こっそり監督に伝えていたんだ」
約二年越しに知る、意外な真実。それを知った久保は、八木の方を見た。
「八木先輩は知っていたんですか?」
「試合のあとで聞かされたんだ。俺はすげえ悔しかったよ」
再び沈黙が訪れる。すると、八木が久保の両肩を掴んだ。
「だからこそ、聞きたいんだ。久保、どうしてチームを辞めたんだ」
「それは」
「二年生エースのお前が抜けて、チームは随分と弱くなった。エースのお前が打たれたことを、誰も責めてはいなかっただろう」
「……」
「なのにチームを放り出した挙句、高校で野球やってるお前が許せねえんだ。答えろ久保!!!」
再び八木が声を荒げた。八木は誰よりも久保の実力を認めていた。だからこそ、チームを抜けてしまった久保のことが許せなかったのだ。
久保はというと、迷っていた。チームを辞めた本当の理由を言うべきか否か。実は怪我でもう投げられないんです――と言うのは簡単だ。だが、それを言う勇気が出なかった。久保もまた、八木の実力を認めている。だからこそ、八木を失望させることを言いたくなかったのだ。
すると、後ろから竜司の声がした。
「すいませ~ん、うちの久保が何かしましたか~~??」
口調はおちゃらけているが、竜司は久保の状況を理解していた。八木の怒鳴り声を聞いて、駆け付けてきたのだ。
「あなたは……」
「どうも、大林高校三年の滝川竜司です。いやあ八木くん、一度お会いしたかった」
八木の問いかけに対し、竜司はそう返事した。そして久保の身体を両手で掴み、自分の後ろに下げた。
「滝川さん、うちの二軍をノーノーにしたそうですね」
既に一軍メンバーにも、今日の試合結果は伝わっていた。ノーノーされたとなれば、どんな投手が投げていたのか気になるのも当然だった。
「いやあ、たまたま調子が良かっただけですよ、ハハハ…… では、僕たちは帰りますから」
竜司は久保を引きずって帰ろうとする。しかし、八木が竜司を呼び止めた。
「あなた、今まで公式戦で一度も投げていないでしょう。どうしてですか?」
その言葉を聞いた久保は驚いた。言われてみれば、竜司のような好投手が今まで自英学院に知られていなかったのはおかしい。けど、まさか公式戦で一度も投げていなかったとは。
「なあに、調子が悪かっただけです。では」
竜司はそう返事して、その場を後にした。久保は竜司と歩きながら、問いを投げかけた。
「竜司さん、公式戦で投げたことないって本当ですか?」
「ああ、そうだ」
「いったいなぜです?」
それを聞いた竜司は、表情を変えずに答えた。
「なあに、お前と同じだよ」
***
自英学院の二軍がノーノーされたというのは、ちょっとしたニュースとなった。県内の野球関係者に竜司の名が知れ渡ることとなり、大林高校野球部は注目の的となった。
月日は流れ、今は六月。夏の大会に向けて、練習は厳しさを増していった。
「久保くん、いくよー!」
「おし、ばっちこーい!」
今日の練習は、ロングティーだ。まながトスしたボールを、久保が外野に向けて打っていく。打球は次々にグラウンドの端っこに到達し、時には柵越えしてしまっている。
「お~」
「すげえ~」
その様子を見ていた他の部員たちは、久保のバッティングに感心していた。ひたすら打撃練習を重ねてきた久保の技術は、着実に成長していた。
一方で、竜司も大会に向けて着々と準備していた。少しでも良い球を投げようと、試行錯誤を繰り返す毎日。ひたすら、投げ込みを行っていた。
久保はロングティーを終え、少し休憩していた。水を飲みに行こうとグラウンドを歩いていると、ブルペンで話し合う竜司と神林を見かけた。
「あの、どうしたんですか?」
「いやあ、変化球について話し合っててな」
久保が声をかけると、竜司がそんなことを言いだした。久保が詳しく話を聞くと、竜司は変化球の種類を増やしたいのだという。
「こんな大会直前に新球なんてさ、やめた方が良いと思うんだよな」
そう話すのは捕手の神林だ。彼の考えはもっともだった。変化球というのは、すぐに身に付くものではない。この時期に覚えたところで、実戦レベルにまで上達できるかは怪しい。
「やっぱそうかあ? あんま欲張らない方がいいかなあ」
竜司がそう話していると、久保が口を開いた。
「いや、増やした方が良いと思います」
「「えっ??」」
久保の言葉に、二人が驚いた。久保はさらに話を続ける。
「竜司さん、プロに行くのが目標なんですよね。だったら、夏の大会ではそこそこ勝ち上がらないといけません」
「たしかに、そうだけどよ」
竜司の返事に対し、久保は理由を詳しく説明した。
「うちが勝ち上がるには、竜司さんが投げ続けるしかありません。そうなれば、フォークとカーブの二球種ではいずれ攻略されます」
「……そうだな」
神林が頷いた。久保はシニア時代、全国大会を経験した男だ。長期の大会で勝ち上がるにはどうしたら良いか、その術をよく理解していた。そして、久保はある提案をした。
「竜司さん、僕が変化球を教えますよ」
「なに、本当か?」
「ええ。シニア時代、ウイニングショットにしていた球があるんです」
そう言って、久保は竜司からボールを受け取った。握り方とリリースの方法を竜司に伝え、ボールを返す。竜司はそれを受け取り、見よう見まねで握り方を試した。
「神林、向こうでちょっと座ってみてくれ」
「おうよ」
そう言って、神林を構えさせた。竜司は大きく振りかぶり、ミットを目掛けて投球する。
指から放たれたボールは、久保の予想をはるかに上回る軌道を描いていった――
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