第五話 代打、久保

 豪快なフォームから放たれた直球が、キャッチャーミットに吸い込まれる。迎え撃とうとするバットの軌道は、ボールのはるか下に描かれていく。快晴の空に、審判の声が大きく響き渡った。


「ストライク!! バッターアウト!!」


「しゃあ!!!」


 竜司が大きい声をあげ、ガッツポーズをする。それに合わせて、ベンチにいる他の部員も声援を送った。


「ナイスピッチング!!」


「竜司さんナイスピー!!」


 試合は既に六回裏。互いに得点が入らず、零対零のままだった。最初は平常心を保っていた自英学院の選手にも、段々と焦りの色がにじみ出てきた。


「あのストレート、やっぱり速い」


「こんなピッチャーがいるなんて聞いてなかったぞ」


 自英学院のベンチで、選手たちが口々にそんな言葉を発している。それに対して、久保とまなは冷静に試合を分析していた。


「まな、竜司さんの球数は?」


「まだ七十球くらい。おにーちゃん、流石ね」


 まなはスコアブックの記入をしながら、久保に対してそう答えた。まなは当然という顔をしていたが、久保は竜司のピッチングに対して恐れすら抱いていた。


 驚くべきはその球数ではなく、自英学院のヒットの本数だ。なんと、竜司は未だに一本の安打も許していないのである。


「すごいな、自英学院の選手が未だに直球を捉えられてない」


「当然でしょ。おにーちゃんのストレートは簡単には打てないわ」


 二人が会話している間に、再び審判の声が大きく響き渡る。


「ストライク! バッターアウト!!」


「おっしゃあ!!!」


 竜司が一段と大きい声を出した。これでスリーアウトになり、大林高校のナインがベンチに引き上げてきた。


「おにーちゃん、ナイスピッチ!!」


「ありがとう。このまま九回までいけたらいいな」


「竜司さん、相手は全く手が出てませんよ。いけます」


 久保とまなが竜司に声をかけていると、自英学院のベンチから二軍監督の怒号が飛んで来た。


「お前ら!!未だにノーヒットとはどういうことだ!!」


「「すいません!!」」


 その様子を見ていたまなが、ふひひと笑った。


「おにーちゃんのボール、ちゃんと通用してるね」


「ああ、手応えばっちりだ」


 竜司はそう答えながら、ぐいと水を飲んだ。ふうと息をつくと、バッティンググローブをつけた。


「次の回は神林からか。頼むぞ、神林!!」


「おうよ、任せとけって」


 今日の試合では、神林が四番、竜司が五番に入っていた。大林高校には何本か安打は生まれていたものの、未だに得点することは出来ていない。


 神林が打席に向かったあと、まなが久保に声をかけた。


「久保くん、バットを振っておいて。もう七回表だし、チャンスが来れば代打に出すから」


「オッケー。竜司さん、援護待っててください」


「さすが、頼もしいな」


 竜司はネクストバッターズサークルに向かいながら、そう答えた。


 自英学院の先発は、二年生の斎藤という投手だった。八木ほどではないものの、県内では有名な好投手だ。今度の夏の大会では一軍入りするのだと予想されている。


 斎藤もここまで無失点に抑えてきたが、ここにきて徐々に疲れが出てきていた。神林に対してスリーボールワンストライクとすると、五球目も外れてフォアボールとなった。


「神林、ナイスセン!!」


「神林先輩、ナイスです!!」


 先頭打者の出塁というチャンスに、大林高校のベンチが盛り上がる。裏で準備をする久保にもそれが伝わり、彼の素振りをより鋭くさせた。


 次の打者は、五番の竜司だ。高校野球ではバントで送るのがセオリーだが、まなは斎藤の疲れを見逃さなかった。ここでアウトをくれてやるのはもったいない。竜司に出したサインは、ヒッティングだった。


 竜司が右打席に入った。斎藤が牽制球を投げ、神林が一塁に戻る。竜司がベンチを見たが、まなはサインを変えなかった。


 四球のあとの初球、投手はストライクを投じたいものだ。同じ投手である竜司は、その心理をしっかりと理解していた。


 斎藤がセットポジションから初球を投じる。アウトコースへ置きに行ったストレートだ。竜司はそれを見逃さず、逆方向に打ち返した。


 竜司の打球は、低い軌道を描いて右方向に飛んで行く。少し開いていた一二塁間を綺麗に抜け、ライト前へのヒットとなった。


「おにーちゃん、ナイスバッティング!!」


「竜司さん、ナイバッチ!!!」


 お手本通りのバッティングにベンチも盛り上がる。これでノーアウト一二塁のチャンスとなった。自英学院はタイムを取り、内野陣がマウンドに集まった。


 その間に、まなはベンチの裏にいた久保を呼んだ。


「久保くん、そろそろ出番だから。心の準備しておいて」


「おう」


 久保はバットを持って、ベンチに出てきた。自英学院の内野陣が再び散らばり、試合が再開される。


 打順は六番だ。さっきとは一転して、まなは送りバントのサインを出した。ワンアウト二三塁という状況を作り、代打に久保を出して勝負をかける。そういうプランだった。


 斎藤が初球を投じた。六番の岩沢は初球からバントを試みたが、やや強い打球になった。強豪校らしく、自英学院の守備は堅い。斎藤は素早く打球を処理して、三塁に送球した。そして、二塁ランナーの神林がアウトになった。


「「あ~~」」


 さっきまで盛り上がっていた大林高校のベンチに、ため息がこだました。これでワンアウト一二塁。チャンスには変わりないが、試合の流れが自英学院へと渡ってしまった。


「斎藤、ワンアウトだぞー!!」


「落ち着いていけー!!」


 盛り下がる大林高校に対して、自英学院のベンチに活気が出てきた。野球というのは、ワンプレーで試合の趨勢が変わってしまうのだ。


 だが、ここから流れを再び引き戻すことも出来る。そう考えたまなが、大きな声で審判に告げた。


「代打、久保!!!!」


 その声を聞き、久保がベンチから歩き出す。その姿を見て、大林高校のベンチが再び盛り上がってきた。


「頼むぞー久保!!!」


「お前が打てよー!!」


 打席に入る前に、久保は大きく深呼吸をした。ヘルメットのひさしに手を当て、審判と捕手に挨拶をする。


「お願いします」


 そして、ゆっくりと左打席に入った。バットの先でトントンとホームベースを叩き、斎藤の方を向いてバットを構えた。


 久保はあくまで高校一年生。とくべつ身長が高いわけでも、体格が良いわけでもない。だが、一打席にかける思いは誰よりも強い。その思いが気迫となり、ものすごい威圧感を発していた。


 久保ののただならぬ雰囲気に、自英学院のベンチはざわついていた。自英学院の選手にはシニア出身の選手も多い。久保という名字を聞いて、その正体に気づいたものも少なくないようだった。


 もちろん、斎藤もそのうちの一人だった。だが、動揺する素振りは見せない。折角手に入れた流れを簡単に手渡すわけにはいかない、そんな決意だったのだ。


 状況はワンアウト一二塁。久保は自英学院の守備陣の方を見た。バックホームに備えて、外野陣はやや前に出てきている。内野陣はゲッツーを取る構えだ。


 斎藤がセットポジションから初球を投じた。投じたのは直球だった。ボールは低い軌道を描き、キャッチャーミットに収まる。


「ボール!」


「いいぞー久保!!」


「よく見ていけー!!」


 審判が大きな声でコールし、ベンチも久保を盛り立てる。自英学院のバッテリーは、ゴロを打たせようと低めに配球してくる。打席に立つ久保も、そのことはよく分かっていた。


 斎藤の特徴は、大きく曲がるスライダーだ。六回まで無得点だったのも、大林高校のナインがそれを打ち崩せなかったからだ。


(スライダーが来る前に、ストレートを叩く)


 そう考えている久保に対し、斎藤が二球目を投じた。指先から放たれたボールが、真っすぐホームベースに向かって突き進んでいく。


(ストレートだっ!!)


 久保はテイクバックを取って、一気にスイングを開始した。だが、ボールが逃げるように曲がって行く。タイミングは合っていたが、バットはそのまま空を切った。


「ストライク!!」


「ナイスボール斎藤!!」


「その調子で行けー!!」


 審判がコールし、今度は自英学院のベンチが盛り上がった。一つアウトを取れたことで、斎藤は調子を取り戻していた。ここにきて、再び絶好のスライダーを投じてきたのである。


 一方、久保は何が起こったのか理解できなかった。ストレートのつもりで打ちにいったのに、一気にボールが視界から消えたのだから。


「久保くーん、落ち着いて!!」


「しっかり引きつけろー!!」


 自英学院に負けじと、大林高校からも声援が送られる。久保はベンチの方を見て、まなのサインを確認した。まなのサインは、もちろん「打て」だ。まなは自分を信じて打席に送ってくれている。そのことを再確認した久保は、もう一度バットを握り直した。


 斎藤は三球目を投じた。久保は今度も打ちに行くが、バットは再び空を切った。そう、三球目もスライダーだった。初見でスライダーを捉えることは出来ない。そう踏んでいた自英学院のバッテリーは、スライダーで押し切る構えだったのだ。


 これでワンボールツーストライクだ。追い込まれた久保は一度打席を外し、ふうと息をついた。一方で、ベンチでは神林とまなが話し合っていた。


「なあ、もう一度スライダーで来ると思うか?」


「分かりません。けど、久保くんは必ず打ちます」


 その言葉に神林は意表を突かれた。


「『必ず』とはどういうことだ?」


「見てれば分かりますよ。ほら、神林先輩も応援してください!!」


 神林はその意図が分からぬまま、バッターボックスの方を見た。すると、迷いのない表情で打席に立つ久保が目に入ってきた。二球スライダーを仕留め損ねておきながら、なぜそんな表情が出来るのか。神林には分からなかった。


 斎藤はセットポジションから、四球目を投じた。その指から放たれたのは、やはりスライダーだった。久保はスイングを開始する。久保の目はしっかりとボールを捉えていた。そのままバットを前方に進出させていき、一気に振り切った。


 カキンという音が響いた。一瞬、グラウンドが静寂に包まれる。久保の打球は、真っ青な空に舞い上がっていった。

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