第三話 右腕
久保雄大には、忘れられない夏がある。それは中学二年生の頃。シニアのエースとして活躍していた彼は、全国大会の準決勝まで勝ち進んでいた。
試合は七回表まで終わり、二対二の同点だった。久保のチームは先攻であるから、裏に得点を許せばサヨナラ負けである。久保はその試合、既に六回まで投げていた。
「監督、俺に代えてください。久保の球は捉えられてます」
そう言うのは、三年生の投手の
彼の提案は当然のことであった。というのも、久保は五回までは無失点であったが、六回に二失点を許して同点とされていたからだ。だが、久保は意地を張った。
「いや、監督。俺に投げさせてください!!」
それに対し、八木も言い返す。
「お前はもう十分投げただろう。俺に任せておけ」
「おい、落ち着けよお前ら」
捕手の
「あくまで監督が決めることだ。お前らが言い争って決めることじゃない」
「じゃあ、どうなんですか監督!!」
八木が問うと、監督は静かに答えた。
「……久保、お前が七回も投げろ。八木、お前は延長で使う」
「はい!!」
「そんな……」
久保は大きな声で返事をした。当然自分が投げるのだと思っていた八木は、監督の決断に驚きを隠せなかった。
「なぜですか、監督!!」
「いいから、お前は延長に備えて準備していろ」
監督にそう言われ、八木は渋々ブルペンに向かった。
そして迎えた七回裏。久保は三連打を許し、あっさりサヨナラ負けを喫した。
彼はその試合のあと、「自分が意地を張った責任を取る」という名目でチームを去った。だが本当の理由は違った。
無理に投げ続けた代償として、右腕が壊れてしまったのである。かつての球が、もう投げられない。自分が目標としていたプロ野球なんて、夢のまた夢。それを知っていながら野球を続けるのは、中学二年生にとっては酷なことだった。
その年、八木と松澤は自英学院高校へと進学した。自英学院は野球の強豪校であり、甲子園にも何度も出場している。八木は高校でその才能を開花させ、今や自英学院のエースナンバーを背負っている――
***
一打席勝負の翌日。正式に野球部へと入部した久保は、部員の前で挨拶をすることになった。
「久保雄大です!よろしくお願いします!!」
部員たちは拍手で出迎えた。そして、竜司が口を開いた。
「改めて、キャプテンの滝川竜司だ。よろしくな」
「はい。お願いします」
「うちは部員も多くないし、君でちょうど十八人だ。副キャプテン、自己紹介してくれ」
「
「はい!ありがとうございます」
その後、各部員の自己紹介があった。そして最後に、ジャージ姿のまなが自己紹介した。
「一年の滝川まな!前にも言ったけど、マネージャーやってるからよろしくね!」
「よし、これで全員だな!」
竜司がそう言うと、久保は質問をした。
「そういえば、監督はいないんですか?」
「一応顧問はいるけど、あんま野球に詳しくないんだ」
「じゃあ、試合のサインとかどうしてるんですか」
「あたし!!」
まなが大きな声で割って入った。
「え?」
「あー、試合のサインはまなが出すことになってるんだ」
「どういうことですか?」
そう聞くと、竜司はくすりと笑った。
「まあ、そのうち分かるさ」
「はあ、そうですか」
すると、竜司が久保の背中をバーンと叩いた。
「というわけで、久保!我が大林高校野球部へようこそ!!」
久保の気持ちが、一段と引き締まった。シニアの頃とはまるで違うが、もう一度野球を真剣にやり込むという実感が湧いてきたのだ。
「はい!!頑張ります!!」
そして練習が始まった。球を投げられない久保は、グラウンドの隅で素振りに徹していた。シニアの頃は四番を打つほどの強打者でもあった。投球も守備も出来ない彼にとって、残されたのは打撃しかない。ただひたすら、バットを振り続けた。
しばらくすると、まながボールの入ったかごとネットを持ってきた。
「久保くーん、手伝うよー!!」
「滝川か、どうしたんだ?」
「久保くん、打撃練習しかすることないでしょ?練習相手いないかなって」
「そりゃ、助かるけど」
「じゃあ、トス出してあげるから打ちなよ」
そうして、トスバッティングが始まった。まなのトスする球を、良い音を響かせて久保が打ち返していく。
「滝川、トスするのうまいな」
「まあ、中学の頃からやってるからねー」
そんな会話をしながら、ただ打ち続けていく。やがて全て打ち終わり、二人でネットに入った球をかごに戻し始めた。
久保はふと、グラウンドで守備練習をする部員たちを見た。何でもないように、捕った球を一塁に送球していく。そんな当たり前の景色でも、彼にとっては羨ましいものだったのだ。
「やっぱり、みんなと練習したい?」
久保の後ろから、まなが声をかけてきた。
「野球をやる以上は、そりゃな」
「そっか……」
まなは黙り込んでしまった。
「どうした、滝川?」
「あたしと同じだね」
「え?」
意外な言葉に、久保は驚かされた。
「あたし、中学の頃はマネージャーじゃなくて選手だったから」
久保に対し、まなは静かにそう告げた。彼女はグラウンドの方を見つめ、少し寂しそうな表情をしていた。
それを見た久保は、何かを思いついたようにはっとした。バットを持ち、まなに差し出した。
「今度は滝川が打てよ。俺がトスするからさ」
まなは困惑した表情で、久保に返事した。
「えっ??いいよ、私は」
「何言ってんだよ。こういうのはかわりばんこだろ」
「じゃ、じゃあ……」
久保に促されるまま、まなはバットを受け取った。
「よし、いくぞ」
久保がトスをあげ、今度はまながバットを振る。最初は戸惑っていた彼女も、段々と本気でスイングするようになってきた。
「久保くん、もっと速く!!」
「おうよ!!」
カーンカーンという音が響き渡る。まなは、打撃の感触を存分に味わっていた。そして、あっという間にかごの球を打ち尽くしてしまった。
「ありがとう、久保くん!! すっごい楽しかった!!」
「なら、良かったよ」
ボールを片付けながら、二人は楽しげに会話していた。昨日いがみ合っていたとは思えないほど、すっかり打ち解けてしまったのである。二人にとって、野球とはそういうものだった。
「滝川、今日は助かったよ。良ければ、明日からも手伝ってくれないか」
「もちろん! その代わり、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「おにーちゃんと間違えないように、まなって呼び捨てにして!」
まなは少し照れながら、そう言った。
「分かったよ、まな。明日からもよろしくな!」
そう言って、二人はハイタッチした。
間もなく他の部員たちの練習も終わり、ミーティングの時間となった。竜司がいろいろと話したあと、こんなことを言いだした。
「それからだな、来月に練習試合をすることになった。夏の大会に向けて、本気でいくぞ」
「相手はどこなんだ?」
副キャプテンの神林がそう問うと、竜司はふふんと小さく笑った。
「相手はなんと、自英学院だ!!」
それを聞いた久保の表情が、一気に曇った。
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