万緑叢中

 今日も一日疲れた……。私はいつものように林屋を訪れると、店の角の席へと腰を下ろした。店が混雑している時以外は、店内をくまなく見渡せるこの席に座ることが多い。

 人間観察。などと大層なものではないが、なんとなく地球人の行動を見ていたいのかもしれない。まあ、職業病のようなものなのだろう。

 私を含め客は5名。皆男性客で、私と同じ仕事帰りと見受けられる。


「いらっしゃいませー!」


 そんな事を考えていた私のもとに、林屋の看板娘・綾子嬢がいつものようにオーダーをとりに来てくれた。その時、店内の客と彼女を見比べ、私はつい


「まさに紅一点こういってん、だな」


 などと口走ってしまった。その言葉に綾子嬢は首を傾げると、声を小さくして自身を指差す。


「あの、山川さん?もしかして紅一点って……あたしのことですか?あたしのこと言ってます?」


 ニヤニヤとこちらを覗き込む綾子嬢に、思わず私は視線を切った。


「いや、つい。つい、な?」

「まあ?こんな小さなお店に咲く一輪の花ではありますけど?あたし」


 自身を指差してくるりと身を翻した綾子嬢。そんな彼女に向かって、大将がカウンターから身を乗り出した。


「こら!綾子テメェ!小せぇとはなんだ!小せぇとは!」

「あら?聞こえちゃった?ゴメンってば、お父さん!」


 ペロリと舌を出すと、綾子嬢はカウンターに向かって手を合わせる。そして、私の方に顔を寄せると小声で囁く。


「うふふ。怒られちゃいましたね」

「そりゃあ、そうだろう」

「あら、冷たい。……ところで山川さん。紅一点って言葉はある花のことを指しているんですが、ご存知でしたか?」

「いや?」

「ではでは。綾子さんの雑学タ~イム!と、その前にご注文をどうぞ」


 私は彼女に促されるまま、注文をする。それを厨房に伝えると彼女は満足そうに頷いた。


「ありがとうございます!で、なんですけど。実は『紅一点』って言葉は中国のある詞が語源になってるそうなんですよ」


 中国か。勿論この星に来た時から知ってる国だが、その調査は私の担当外だ。


詠柘榴ざくろをよむ……だったかな?そんなタイトルの詞の中に『万緑叢中紅一点ばんりょくそうちゅうこういってん』っていう一節があって、これが『一面緑の草むらの中に咲くザクロの花』を表してるんだそうです」

「ほぅ。つまり紅一点ってのはザクロの花のことを指してるわけだ」

「はい!ですがこの詞はあくまでザクロの花の情景を詠っているだけなんですよ。その後、赤いザクロの花が一際目立つ……。という部分が転じて、紅一点という言葉は『たくさんあるモノの中で一つだけ違うモノ』って意味になったんだそうですよ」

「……ん?紅一点は男の中に一人だけ女性がいる状態を差す言葉じゃないのか?」


 私の疑問に彼女はチッチッと指を振る。……なんか鼻につくな。


「実は最初は違ったんですよ。まあ、現代はそっちで定着してるから間違いではないんですけどね。日本では赤系は女性を、青系は男性を当てはめる傾向がありますから」


 トイレのマークとかな。と言いかけて口をつぐむ。


(……いかんいかん、仮にもここは食事処。その手の話題は避けねば)


 そんな私の配慮を他所に、綾子嬢は口を開く。


「御手洗いのマークとかそうですよね」

「……」

「まあ、そんなこんなであかは女性を表す色。そこから山川さんの仰った意味に変わっていった……という説が有力らしいですよ」

「なるほどねぇ」


 そこまで聞くと、お冷やを口に含む。彼女との会話で渇いた口内に冷たい水が染み渡った。


「だが、性別を色で分けようなんて今のご時世なら批判されかねないな」

「そうですね。まあ、あたしは赤が好きですけど……。なんかこう、色々と批判が多いのも考えものですよねぇ。生きにくいというか」

「確かに」


 私は懐に手を入れると、今日の職場での出来事を思い出していた。


「生きにくいといえば。私も今日、仕事で……」


 そう言いかけた私の手を、綾子嬢がグッと捕まえている。そして、空いた方の手で彼女は壁の張り紙を指差した。


『NO SMOKING』


 その文字を読むと同時に私は取り出しかけた煙草の箱を懐に戻す。


(そういえば先月から店内禁煙になったのか……)


 いつの世も少数派は辛い。星は違えどそこは変わらないらしい。


「やれやれ。本当、生きにくくなったもんだ」


 小声で呟くと、私は大人しく料理の到着を待つのだった。

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次なる知識を召し上がれ 矢魂 @YAKON

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