次なる知識を召し上がれ

矢魂

胡椒の呼称

 ああ、つまらん。実につまらない。地球での生活はなんて退屈にまみれているのだろうか?

 私の名前は山川陸やまかわりく。今年で25歳になるどこにでもいるサラリーマン……になっている。

 その正体は、地球の文化を秘密裏に持ち帰る為派遣された惑星間スパイ・『ビット星人』のエリートなのだ。

 数年前。私は初めてこの地球の地に降り立った。母星で最低限の知識のみを詰め込み、右も左も分からぬまま、ただ若さに任せて新天地へと赴いたのだ。だが、今にして思えばその頃が一番充実していたのかもしれない。

 次から次へと明らかになる地球の文化。まるで洪水のように流れ込んでくる知識の波は、私を刺激的な日々へと運んでくれた。……だが、今はどうだ?

 生活のために就いた商社の仕事。地球人に怪しまれぬよう淡々と繰り返す日常。いつしか私はあの刺激的な日々を忘れ、ただただ職場と自宅を往復する機械へと変貌していた。


「いらっしゃいませー!」


 そんなことに考えを巡らせながら、私は行き付けの定食屋・『林屋はやしや』の戸を開いた。中からは店員の元気な声が出迎えてくれた。

 基本自炊をしない私は、コンビニ弁当か外食で夕食を済ませる。自宅と会社の間にあるこの店は、仕事帰りによく利用するのだ。


(さて、今日は何を食べようか?)


 そんなことを考えながら席に着くと、この定食屋の一人娘・林綾子はやしあやこが声をかけてきた。


「いらっしゃーい!山川さん!今日は何にします?」


 今年で二十歳はたちになる彼女は、この国で言う所の『看板娘』というヤツらしい。


「そうだな……」


 同じような毎日を過ごす私にとって、『食』とは限られた楽しみの一つだ。故に、じゃあいつもので!……なんて雑な注文はしない。

 私はメニュー表を開くと、それをパラパラと捲る。そして、自分の胃袋と舌。更には視覚や嗅覚までも駆使して最適解を導きだす。


「じゃあ、鶏の唐揚げ定食で」

「はーい!かしこまりましたー!」


 私の注文を聞くなり、彼女は元気よく厨房へオーダーを通した。そしてまた、慌ただしく仕事へと戻っていった。


「お待たせしました!唐揚げ定食でーす!」


 店内の隅に置かれたテレビを眺める私の脇から、定食の載った盆を持った彼女が現れる。

 大盛のご飯に大ぶりな唐揚げが6つ。更に味噌汁とサラダがついている。空腹も相まって、私は思わず唾を飲み込んだ。だが次の瞬間、私の視線は盆の端に置かれた小皿に吸い寄せられた。


(前に頼んだ時はこんなものなかったハズだが……)


 うぐいす色の物体が入った小皿を指差すと、私は綾子嬢に質問をする。


「あの、これはなんだろうか?」

「ああ。それは柚子胡椒です。最近始めたんですよ。お好みで唐揚げにつけて召し上がってくださいね」

「なるほど、柚子胡椒か。唐揚げにつけたことはなかったな」


 早速それを箸で一掬いすると、ちょんと唐揚げにつけた。そしてそのまま一口……。


「うん。うまい」

「本当ですか?良かったぁ」

「ああ。油の旨味と柚子の香りが凄く合う。それにの辛味も後を引いて……」

「ふふっ」

「ん?どうした?」

「いえ。勘違いされる方も多いのですが、実は柚子胡椒に胡椒は使われていないんですよ?」

「えっ!?」


 綾子嬢の言葉に私は箸を止める。


「柚子、胡椒なのにか?」

「柚子、胡椒なのにです」


 私達の会話を聞いていたのか、カウンター席で酒を飲んでいた常連の男がこちらを向いた。


「そりゃあ兄ちゃん。カッパ巻きだってカッパは入ってねぇだろ?」

「いや、多分そういう方向性じゃないと思いますが……」


 思わぬ横槍に、話が脱線しかけた。だが、すぐさま軌道修正すると、私は再び彼女の方を向く。


「じゃあ何で柚子胡椒なんて名前になったんだ?」


 私の質問に、綾子嬢はニヤリと笑う。そして待ってましたとばかりに人差し指を立てると解説を始めた。


「そもそも柚子胡椒というのは、柚子と唐辛子を熟成させて作られた調味料のことなんですよ」

「へえ。この辛味は唐辛子由来のモノってワケか」

「はい。実は九州の一部地域では唐辛子のことを胡椒と呼ぶそうですよ。柚子胡椒の発祥も大分県のとある農家だとも言われてるんです」

「なるほど……」


 何気無い世間話から得た、たいして役にたたないであろう情報。だが、それが私の渇いた知識欲を僅かに満たしていくのを胸の奥で感じる。


「詳しいんだな。林さんは」

「えへへ。実はあたし最近、雑学にハマってまして」


 雑学。そういうのもあるのか。


「なあ、良かったらもっと聞かせてくれないか?その、雑学とやらを」

「えっ?……わかりました!んーと、そうですねぇ」


 顎に手を当て次なる雑学を考え始めた彼女の後ろから、綾子嬢の父にして林屋の大将が顔をだした。


「おう!綾子!ちっとこっち手伝ってくれんか!」

「あっ!はーい!……すいません、山川さん。また、次の機会に」

「いや、すまんね。お仕事中に」


 そういって小さく手を振ると、彼女は厨房の方へと消えていった。

 どんな小さな事でも『知る』ということは想像以上に私の生きる活力に繋がるらしい。胸の奥が熱くなる感覚に喜びを覚えながら、また林屋ここにくる楽しみが増えたと、私は食べかけの唐揚げ定食を頬張った。


「なるほどなるほど。九州じゃあ唐辛子を胡椒と呼称しているわけか……ひひひ!なんつって!」


 まあ、その直後。カウンターに座る中年の一言で、私の心は冷え固まったのだがね。

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