第7話 用意周到な俺、準備不足なお前
忙しい六月も終わりに近づき、七月には期末テストだ。五月の中間テストでだいたいのパワーバランスは分かった。月宮はやはり成績が悪い。中間テストでは赤点を三つも取った。
「ねえ、日野くんって頭いいよね? 私に数学教えてよ」
「はあ……お前に構う暇なんてねえよ」
「そこをなんとか! この通り!」
手を合わせて懇願する月宮。だが、俺はそれを受け入れる気はなかった。ここで優しくしたら調子に乗る。土屋とかに聞けばいいじゃねえか。
「土屋はどうなんだよ? あいつは真面目そうだし、いいんじゃねえか?」
「優子ちゃんも数学苦手なんだって……。だから優子ちゃんも呼んでくるね!」
あーあ、余計なこと言ってしまった。土屋にも教えないといけない。俺は一人で勉強したいんだよ。
「日野くん、私にも数学教えて! 赤点回避しないといけないのよー!」
どいつもこいつも数学が苦手なようだ。数学というのは、人類発展の過程を体験できる素晴らしい学問であるということを、こいつらに教えてやりたい。ということで、今日は教室に残って勉強会だ。
「仕方ないな」
「ありがとう! 助かるわ!」
「さすが日野くん、さすひの!」
「バカなこと言うな」
テスト範囲はそれほど広くない。数学ⅠAともに序盤の単元なのにつまづくということは、こいつらは中学の頃から数学が苦手なんだろう。まずは基礎から教えていくか。
「日野くん、ここってどうなってるの?」
「こんなの、中学で習っただろ」
「忘れちゃったもん!」
「はあ……」
先が思いやられる。それに比べ、土屋の方がまだマシなようだ。基本的なところは分かっている。俺は土屋にも説明した。
「そんな考え方があったのね。さすがだわ!」
土屋は理解が早くて助かる。それに比べて月宮は……。
「くぅ……」
変な寝息を立てて寝始めた。やる気あるのかお前。
「月宮、起きろ。死刑に処すぞ」
「日野くん、すぐ死刑にするなんて小学生みたいね」
確かに、小学生の頃はすぐ死刑と言っていた。よく考えたら恐ろしい。しかし、俺は月宮に対してかなり怒りを覚えていたことは間違いない。
「お前、中間テストの時点で赤点が三つもあるんだろ? 期末テストでも赤点取ったら補習確定だぞ?」
「うーん……それはやだ……」
「なら起きろ。勉強しろ」
「はーい……」
月宮はようやく勉強を始める。まだ全然進んでいないな。土屋はほとんど終わっているというのに。
「土屋はもう帰っていいぞ」
「それじゃあ、お先〜」
土屋を見送りつつ、月宮のノートを見る。ほとんど白紙。その白はもはや美しさすら感じさせる完璧な白だ。
「ほら、因数分解くらいパパッと……」
「えー……分かんないよー……」
「xに注目するんだよ」
こいつは中学で習ったことすら分かっていない。教えるにはかなりの労力がかかることは予想がつく。さて、どうしたものか。
「……そろそろ帰らないとな」
時計はもう六時三十分を指している。あまり長く教室に残っていると、先生に催促される。
「ほら、この参考書貸してやるから、テストまでにはマスターしとけよ」
「はーい……」
眠そうにしやがって……。家に帰ってからは勉強しなさそう。
カバンを持って教室の外に出る。月宮と一緒に駅の方に向かう。
「ねえ、日野くん」
「ん?」
「その……勉強教えてくれてありがとうね……」
突然改まってなんだ? 月宮らしくない。なんか企んでるのか?
「別にいいさ」
「頑張って赤点回避する」
赤点回避が目標か……。低すぎる。もっと入試を見据えた目標を立てるべきだと思うが……。入試といえば、月宮はどこの大学に行きたいんだろう? 気になったので尋ねてみた。
「月宮は大学行くのか?」
「行く! でも、学部は決めてないよ」
「……俺も同じような感じだ」
「えー、日野くんのことだから、『学部も決めてないとか、チンパンジーだろ』とか言うのかと思った」
月宮は俺のモノマネのつもりか、声を低くして話し始めた。全く似ていない……。
月宮の変なモノマネを聞いて考えたが、俺は将来どのようになりたいんだろう? できれば人と会わずにできる仕事がいい。結婚なんてしたくない。まあ、将来のことについてある程度は考えているということだ。
「私、将来のことはまだ考えてない。というか、思いつかないよ。自分がしたいことも分からないのに」
「土屋は何て言ってたんだ?」
「優子ちゃんは作家さんだって」
イメージ通りだ。本を読むのが好きなやつは書きたくなるものなのだろうか。
「……将来のことを決めてるやつもいて、決めてないやつもいる。決めてるやつは、目標に向かって頑張れる。決めてないやつは、いくらでも可能性がある。そう思わないか?」
「日野くんにしてはいいこと言うね」
俺らしくないことを言ってしまったかもしれないと気づいて、少し恥ずかしくなる。
「うるせぇ……」
駅に着き、電車が来るまでの時間は、長くて長くて仕方ないように感じた。
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