第15話

 やがて双方からの精神的な圧力に、男が堪えきれず息を吐いた直後。耳をつんざく破裂音が、広場に木霊こだました。


「あ――」


 地面を濡らす血潮に、男は腰を抜かして銃を手放す。周囲からも悲鳴とどよめきが沸き起こり、先程までの威勢は見る影もなくなっていた。


「……ふふ。一体どちらが“悪魔”なのだろうね?」


 仮面を砕かれたサフィラスが静かに嘲笑うと、背後から母親の震えた声が聞こえる。


「ご、ごめんなさい……! 私のせいで、あなたを酷い目に合わせてしまって……! 怪我は大丈夫ですか!?」

「問題ないよ。単なる掠り傷さ」


 サフィラスは頬を伝う血を手の甲で拭うと、村人に最後の審判を下す。


「――Livestraeh悪しき心,ErupStraeh無垢なる心Eh,Anracnier転生せよ


 彼の言葉に呼応した血痕は大地を駆け巡り、村を覆う紅い陣を描いていく。やがて村人達は農具を手放すと、染まりゆく空を仰いだ。



◇◇◇



 少年は一人、朝焼けに目を覚ます。そして大きく腕を伸ばすと、きょろきょろと周囲を見渡した。


「あれ……オレ、こんなとこで何やってたんだっけ……?」


 思い出そうとすると激しい頭痛に襲われ、その不快感に少年は、大人しく村へ戻ることにした。


◇◇◇


 やがて村に辿りついた少年は、手を取り合い田畑を耕す人々に頬を抓る。


『夢じゃない……一体どうなってるんだ?』


 荒れ果てていたうねからは、青々とした葉が所狭しと顔を出しており、子供達は泥に塗れながら、嬉々としてそれを引き抜いている。大人達はその様子を見守りながら、時折助言を行っていた。そして傍らには山盛りの籠が置かれており、少年は訝しむ。


『こんなに豊かだったか……? いや、違う。食いもんなんて、奪い合うくらい少なかったはずだ。 ……オレ、もしかしたら違う村に来ちまったのか?』

「お、ようやく戻ってきたのか」

「っ、誰だ!?」


 少年が慌てて振り返ると、背後にはくわを持った男が立っていた。


「アンタは――」

「随分と他人行儀じゃねえか、スウェル。それに何だ?その警戒心丸出しの構えは。どっかで頭でもぶつけたか?」


 男はケラケラと笑うと、背負っている籠から大振りの野菜を二本取り出す。


「ほら、お前さんとカノハさんの分。“良いメニューが浮かんだ”って張り切ってたから、さっさと帰って顔を見せてやんな」

「……分かった。

「おう! 良いってことよ!」


 少年は会釈をすると、足早にその場を立ち去る。


『アイツ――まるで人が変わったみたいだ。どうして平気な顔して、俺に話しかけてきたんだ? 今まで散々、オレと母さんに嫌がらせをしてきたくせに』


 底知れぬ恐怖に冷や汗をかいていると、突如正面から抱き留められる。


「わっ!?」

「お帰りなさい、スウェル!」

「か、母さん!?」

「ええ。正真正銘、あなたのお母さんのカノハよ。 ……お母さんの顔、忘れちゃった?」

「いや、えっと――」


 母親の顔を見つめていると、次第に記憶が曖昧になっていく。焦燥感に駆られて俯くと、膝に白いハンカチが結ばれているのが見えた。


『……オレは昨日、どうして村の外へ? 何か、誰か大切な人を忘れて――』

「ふふっ、“もっと遠くから篝火かがりびを見るんだ!”なんて言って、村を飛び出しちゃった時には驚いたわ。お祭りが、よっぽど楽しかったのね」


 顔を上げると、母親が悪戯っぽく笑っていた。少年は目を見開くが、次の瞬間には表情を綻ばせる。


「――ああ! まさか、そのまま洞穴で寝るとは思わなかったぜ!」

「まったくもう、誰に似たのかしら。 ――さあ! 冷めないうちに、朝ごはんを食べるわよ。今日は普段と違う料理に挑戦したから、後で感想を聞かせてね?」

「やった! 楽しみだぜ!」


 少年は母親の手を握ると、浮足立ちながら自宅を目指す。其処そこにはもう、ただ平和な日常が在るばかりだった。

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