第35話

 そして、その日の夜。サフィラスは警邏の視線を掻い潜り、裏口を抜け国王の住まう城へと忍び込む。


『建物の造りは極めて堅牢。だが――』


 外観と同じく生成きなり色の石で造られた内部は、暖かくも冷ややかな印象を放っていた。天井に吊るされた硝子玉は柔らかな光で、足下の赤い絨毯を照らしている。


『……肝心の防備が、驚くほど弱い。あの男の住処とは大違いだ。加えて、彼方の兵士は凄まじい覇気の持ち主だったが、此方の警邏の者は――』


 広い廊下では何人もの黒服の警邏官とすれ違ったが、誰一人として振り向く者はいない。ただ無表情で、一定の範囲を彷徨っている。時折警邏官らは鉢合わせるが、特段コミュニケーションをとることもなく、すぐに踵を返していた。


『……与えられた責務を全うする忠実な駒、か』


 黙々と仕事をこなす彼らを一瞥し、角を曲がって階段を上っていく。そして廊下を通過して行き、一際重厚な作りをした濃茶の扉の前で立ち止まった。


『此処か。さて……鬼が出るか、蛇が出るか』


 サフィラスはドアノブに手を掛けると、小声で言葉を紡ぐ。


「――Neop開け


 解錠の音と共に立ち入った先には、甘い花の香りが仄かに漂う、シックな空間が広がっていた。中央にはソファーが二脚、ローテーブル越しに向き合っている。更に奥へ視線を動かすと、書類が山のように積み重なった机があった。


 その傍らで椅子に腰掛けているのは、薄桃色の髪を短く整えた壮年の男が一人。サフィラスは、変わらず書類にペンを走らせる男に自身の存在を知らせる。


「キミがイルミスの王だろうか」


 すると男は顔を上げ、眼鏡越しに白練しろねりの瞳を細めた。


「待っていたよ」


 茅色の服を着た男は立ち上がると、部屋の中央に置かれたソファーへ手招く。


「こちらへ。話しに来たのだろう?」


 しかしサフィラスが佇んだままでいると、男は率先してソファーに腰を落とした。


「ああ、安心したまえ。そう警戒せずとも、は此処には居ない。 ――さて、簡単に自己紹介をしよう。私はドゥラン・ルル=イルミス。この国を統治する者だ。そして、君達の目的を知っている者でもある」


 その言葉にサフィラスは、ソファーに歩み寄ると会話を続ける。


「……成程、此方の情報は筒抜けという訳だね。想定の範囲内ではあるけれど、一体何処まで機械を通して盗み見たのかな?」

「それは――いや、今は要件のみ済ませよう。僕は君達の、無謀極まりない挑戦に力添えをしたいんだ」


 するとドゥランと名乗る男は、一枚のカードを胸元のポケットから取り出し、テーブルに置く。


「これは文字通りだ。君達の危惧していた権限は、此処に付与されている。コレさえあれば、彼は一切手出し出来なくなるという寸法だ。但し、使用可能回数は一度。くれぐれも、取り扱いには気を付けてくれたまえ」

「……随分と粋な計らいだね。けれど私達は、キミの国に動乱を起こしてしまうかもしれないよ?」

「構わない。国民を解放できる起爆剤となるのであれば、たとえから銃口を向けられようと、甘んじて受け入れる腹積もりだ」


 サフィラスはドゥランと目を合わせると、カードを引き寄せる。


「――そうか。では、有り難く受け取らせてもらうよ」

「礼には及ばない。さあ、彼が嗅ぎ付ける前に戻りたまえ」

「……ああ。言われなくとも」


 サフィラスは仮面に触れると、再びドアノブに手を掛ける。


「――動クナ。両手ヲ上ゲロ」


 地面を這うような声の直後、サフィラスの首元に突き付けられた、熱を帯びた殺意。彼がゆっくりと視線を動かした先では、紅色の瞳が嘲笑っていた。

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