第10話

 褪せた紙に描かれた赤い印は、眼前の渓流を指していた。サフィラスは周囲を見渡すと、少年に尋ねる。


「この植物の特徴は?」

「名前の通り、白い花びらが壺みたいな形をしているらしいんだ。そして中には蜜を貯め込んでいて、ソレが薬になるんだってさ」

「成程。 ――もしや、あの植物のことだろうか」


 サフィラスが指をさした先。渓流の岸壁にひっそりと自生しているのは、白い花弁を蓄える一輪の植物だった。


「間違いない、アレだ! けど……」


 およそ手の届かない位置に生えており、少年は頭を悩ませる。


「どうやって採ればいいのかな……?」


 リベラも一緒に解決策を練るも、時間は過ぎていくばかり。するとサフィラスは、少年に打開策を提示する。


「一つ問おう。キミに、恐怖と闘う覚悟はあるかい?」

「恐怖? どういうことだ?」

「私が縄を用意する。キミはそれを伝って、植物を採取するんだ」

「何だって!? そ、そんな……オレはてっきり……」

「とはいえ、一人で成すのは困難だろう。よって私は最低限の補助に徹し、キミに身の危険が迫った場合にのみ手を貸そう。出来るかい?」

「オレが、自分で……あの滝のすぐ側を、ずっと上まで……」


 予想外の提案に、岸壁を見上げた少年の空色の瞳は揺らぐ。しかし両手で自身の頬を叩くと、力強く頷いた。


「いや――分かった、やる。やってやるよ!」

「良い返事だ。では、準備をしてくるよ」


 サフィラスは脇道から上流へ移動すると、手際よく自前の縄を樹の胴へと括り付ける。次いで掴める程度の結び目を幾つか作り、下流へ縄先を投げる。そして少年に手を振り、合図を送った。少年は縄を握ると、もう一度自身を鼓舞する。


「――よし。行ってくる」

「頑張って!」


 そしてリベラの声援を背に、少年は縄をよじ登る。絶えず頬を濡らす水飛沫にも負けず、一心不乱に結び目を一つ、また一つと通過していった。やがて十個目の結び目に足を掛けた時、遂に植物の隣に並んだ。


「クソっ、採れねぇ……!」


 しかし僅かに手が届かず、その場で身動みじろぐ。


『腕、痛てぇ……手だって、今にも緩んじまいそうだ。けど――』


 弱りきった母親の姿を思い出し、ぐっと堪える。


『ここで諦めたら、オレは一生後悔する。 ……絶対に、薬草を持って帰るんだ!』


 そして息を荒らす少年は、大きな賭けに走った。


「こうなったら、一か八か!」


 渾身の力を振り絞り、岩壁を蹴り上げ手を伸ばす。


「よし! あと少し――うわっ!?」


 すんでの所で少年は、縄を掴んでいた手を滑らせた。そして青空が見えた瞬間、脳裏に走馬灯が過ぎり、強く瞼を閉じる。


『母さん、ゴメン……』

「――Tcetorp守護の,Dniw風よ


 しかし直後、何かに包まれるような感覚を覚えた少年は、恐る恐る瞼を開く。すると何故か地面に降り立っており、少年は慌てて頬をつねる。


「痛って!? ……って。もしかしてオレ、生きてる?」


 混乱する少年に、リベラは微笑みながら歩み寄る。


「うん。おかえりなさい!」

「あ、ああ……ただいま。あれ、でも植物は――」


 いつの間にか前に立つサフィラスに尋ねようとすると、端的な答えが返ってきた。


「ほら、自身の右手をご覧」

「え? ……あ」


 少年は言われた通り、自身の右手に視線を動かすと。そこには、白壺草が握られていた。

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