第7話

 青年は、枝の先を地面に滑らせる。すると小石だらけの足もとに、光る線が浮かび上がった。思わず少女は顔を上げるも、説明は淡々と始まる。


「まず、今私達が滞在している場所がここだ。そして昨夜の森が、おおよそこの辺りにある。双方の区間の距離は、500km程だろうか。要となる国境は、このように引かれていて――」

「うーんと……」


 円と円の間に書かれた、不規則に折れ曲がる線と距離。……言っていることは分かるものの、理解が追いつかない。少女が閉口すると、青年は枝を置く。


「……簡潔に述べるならば、“昨夜の場所からはとても離れている。そして彼らはこの線を簡単には越えられないから、暫くは安全”ということさ」

「うん、分かった。でもそんなに遠い場所から、どうやってここまで来れたの?」


 少女が知る移動手段は、馬に直接乗るか、馬車で運ばれていくかの二択だった。けれど気絶する直前に、馬の姿はない。それどころか、空を飛んだ記憶が唐突に浮かび上がる。


 ――もしかして。淡い期待が、少女の胸を膨らませる。すると案の定、青年は頷いた。


「覚えているようだね。そう、昨日は空を飛んで移動したんだ」

「すごい! お兄さんは魔法使いなの?」

「……ああ。厳密には異なるけれど、その認識で構わないよ」


 意味深な回答をする青年は、一転して少女の瞳を捉える。


「時にキミは、この先どう生きていきたい?」

「え……?」

「とは言え、選択肢は二つだけ。キミが暮らしていたあの森に、戻るか否かだ」

「森――」


 青年の問い掛けに、少女はハッと目を見開く。


「そうだ――炎は? あのあと森は、どうなっちゃったの?」

「案ずることはないよ。森の延焼は、私がさせてある。無論、友達も無傷さ」

「良かった……! マリーも無事なんだ!」


 胸を撫で下ろす少女に、青年は頷く。


「その反応から察するに、彼の地に戻ることを選ぶようだね。――では、出逢った泉まで送り届けよう。魔法で有効な隠れ蓑を用意するから、暫くはそれを用いて生活すると良い」


 青年は立ち上がるが、一方で少女は、俯いたまま動こうとしない。青年が声を掛けようとすると、少女は躊躇いがちに口を開いた。


「……あ、あのね。今、すごく迷ってるの。お家に帰ろうか、その……」


 真っ直ぐ青年を見たかと思えば、一転、言い淀み視線を逸らす少女。すると青年は、おもむろに少女の隣に腰掛ける。


「……ちなみにもう一つの選択肢――“戻らない”を選んだ場合、世界中を旅することになる」

「世界中を、旅する……」

「私は訳あって、今に至るまでに、自身の故郷から離れた事が無くてね。しかし決意の末に、先日実行に移したのだけれど……ご覧の通り、波乱の幕開けとなってしまった」

「ご、ごめんなさ――」

「とはいえ、こうして稀有な巡り合わせもあった。ヒトはこういう出来事を、と言うのだろう? ならばそれに倣い、共に行動をしても良いのかもしれない。無論、強制はしないよ」


 青年は閉口し、少女の答えを待つ。すると暫くの静寂の後に、少女は青年と目を合わせた。


「――わ、私も! 私も、色んな所に行きたい!」

「決まりだね。では手始めに、朝食を摂りに行こう」


 差し伸べられた手に、少女は嬉々として手を重ねる。そのまま青年と共に立ち上がり、朝陽の差す方へと歩き出した。


◇◇◇


 洞穴から程近い場所には、底まで透き通る渓流があった。高所から絶え間なく流れ落ちる水は、よく見ると虹を発生させている。そのたもとには多種多様な生物がおり、二人が近寄っても逃げることなく泳いでいた。


 すると少女は、さざめく木の葉の音に両手を広げて深呼吸をする。


「あの森とは空気のにおいも、住んでるお魚さんも違う……絵本で読んだお話は、本当だったんだ」

「地域によって生物や環境が異なるから、今のうちに観察しておくと良いだろう。 ――時に、好みの魚を教えて貰えるだろうか」

「好きなお魚?」

「決めかねるようであれば、此方で選択するよ」

「えっと……うん。見てみる」


 少女はしゃがみ込み、目を凝らす。銀色の鱗をもつ魚に、黄みを帯びた貝、岩に擬態している茶色い蟹。そして一際目立つ、紅色の尾びれをなびかせる細長い魚。その優雅に泳ぐ姿に見惚れていると、水をかき分ける音が耳に入った。

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